赤ワインの話から変わっていく話

数年前から、赤ワインをよく飲むようになりました。6,7年くらい前に、女友達と飲み会をして、そのときにとある女性が1杯目から赤ワインを頼んでいて、すごいな、と思ったのをよく覚えているのですが、なんですごいなって思ったかというと、そのころの私は、全くもって赤ワインなんて飲めなかったからなんですね。苦いし、渋いし、アルコール度数高いし、みたいな感じで。

 

なんですが、なぜだか3,4年前からやたらと赤ワインを飲むようになりました。最初は、あ、これ美味しいかも、みたいなワインがあって、続けて他のものも飲み比べていたら、全般的に赤ワインを美味しいと思うようになってきた感じ。だったと思う。

 

赤ワインが飲めると便利です。たいていどの飲み屋にもあるし、大人が飲んでも恥ずかしくないし、食事にも合わせられるので。二人での食事会でも、相手が私と同じくらい飲んでくれれば、ボトルで頼んでも飲み切れるくらいには、飲めるようになった。ってつまり、ボトルの半分くらいは飲めるようになった、ってことですよね。割り算。

 

私は、コーヒーを飲むようになったのも3年前くらいからなんですよね。最初は、ってもうそのころ40歳近かったけど、砂糖とミルクがないと飲めなかった。今ではブラックのコーヒーをとても美味しいと思って飲みます。

 

嗜好って変わるのだよな。無理して変える必要はないけど、いつの間にか変わっていることもある。

 

私という人間は変わっているのかな。変わっているといえば変わっているし、変わっていないといえば変わっていない。昔の自分、それはすべて誤解にもとづく姿だ。自分でも、他人でも。

 

他人が思い出せる自分、あるいは自分が思い出せる誰かというのは、ほんの一面から見た姿にしか過ぎない。過去の自分も同じく、今と言う一面から見たごく一部の姿にしか過ぎない。

 

今の自分は、未来の自分からの視線を、意識しているかなあ? していない気がするなあ。たとえば5年後の私が今の私のことを振り返ってみてどう思うか?なんて、全くもって考慮していない。

 

逆の視線は意識している気がする。今の自分は、未来の自分をどう見ているか。未来の自分には、期待をしているし、信頼をしているし、心配をしている。少し先の自分のために、今できることをしている、という感覚がある。

 

じゃあ、未来の自分は、そのときになって、今の自分に感謝してくれるか? というとしない気がするなあ。過去は過去で、省みないのでは、と思う。

 

反省とか、分析とか、過去を振り返るの、苦手なのよね。いつも前しか見ていない。

 

学ばない、ともいうし、ポジティブ、ともいう。

 

前しか見ていないと、ブログが支離滅裂になります。おやすみなさい。