浮上してきたおばちゃん
さっき、400字くらい書いていた記事が消えたのですけどね。もう、そのことでぐだぐだ言うのはやめます。誰が悪いわけでもない。いや、はてなかChromeかNECか、どこかのトラブルなので誰かが悪いのだけど、責めたところで事態は変わらないから。
何を書いていたかというと、今、ビールを飲んでいるのですけど、缶が冷たくて、しかもビール自体をあまりおいしく思えない、という話でした。なんとなく、仕事おつかれー、のアイコンとして、ビールは美味しそうなイメージだけど、よく考えたら、私はもう、ビールを好きじゃないかもしれない。
ただ、昼間にビールを買ってきて、今日のやるべきことが終わったらビール飲むぞ、というモチベーションに使うことができたのはよかった。今日は、朝、布団から起きだして、やろうと思ったことを書き出していたのでした。やりたいこと、やらなきゃいけないこと、たくさんあるけど、一度にやれることは一つなのだから、順番にやっていくしかないわけで。
このところ、心が荒んでいて、自分に言い訳をしていました。私はこれまで精いっぱいやってきたのだから、もうこの先は、少しくらい手を抜いたり、自分を甘やかしてもいいはずだ、みたいに思っていた。善良に生きることを、放棄していた。
けど、善良に生きることと、それで報われることは、もしかしたら関係ないかもしれないよ、と友達に言われて、ちょっとハッとしました。そうだ。何か、報いを求めて、私は善良に生きてきたわけではないのだ。
善良に生きてきた過去の財産でもって、私は今、友達に恵まれている。私に会いたいと言って、時間を作ってくれる友人がたくさんいる。
今、善良に生きることを放棄したら、この先の長い人生、友人が離れていってしまうかもしれない。それはさみしい。
だから、もう一度、善良に生きることにしました。
善良に生きるって何だ、って話ですけど、私の場合、善良に生きるというのは、早起きをするってことですね。わはは。
このところ、寒いのと眠いのとで布団から出られない日が続いていたので、環境を変えることにしました。具体的に言うと、和室で寝ていたのを、リビングに布団をしいて寝ることにしました。リビングのエアコンでタイマーをセットして、朝、起きるべき時間には、部屋を温めておく。
この作戦を実行してみたいと思います。
何か、挑戦したり、継続したりしたいと思ったとき、変えるべきは決意ではなく、道具や環境だと、どこかで読みました。考えや決心といった脳の中のできごとは、見えないから、かんたんに覆されます。何かを変えたいと思ったら、目に見えるものを変える。
たぶん、Chromeが落ちてブログの下書きが消える、というのも、パソコンを換えたら解決するんだろうなー、と思います。私の部屋には3台もパソコンがあるのだから、別のを使えばいいのだ。あー、なんでこんなことにも気づかなかったんだろう。
人間の思い込みって、なかなかに手ごわいなあ、と思います。多くの人間が陥っている思い込みというのが、「自分はまともで有能だ」というもの。私も、この思い込みには、かなり深く陥っています。自分と敵対する人を、すべからく「話の通じない人」と決めつけてしまう。
本当は、私のコミュニケーション能力が低いだけかもしれないんですけどね。
もう一度、善良な気持ちに戻って、あきらめずにコミュニケーションをとっていこうと思います。
抽象的なことばかり書いててスミマセン。大人(おばちゃん)には、書けることと書けないことがあるんですのよ。おほほほほ。