ちぎりブレッドを買いに行きたい

こんばんは。めちゃめちゃお久しぶりです。うさぎです。生きてます。

 

「誰か私と一緒に老いてくれる」人を見つけたいと思って始めたこのブログ、残念ながら、まだ一緒に老いてくれる人は見つかっていません。

 

っていうかですね、一緒に老いてくれなくてもいいですよ。私の愚痴を聞いてくれる人が欲しいです。

 

前にもさんざん書いてたと思うんですけど、私、愚痴を言うことができないのですよねえええええ。「こんなことを言われても困るだろうな」「こんな話を聞かされても面白くないだろうな」という気持ちが先だってしまって。

 

しかも、今日、厳密にいえば昨日からめちゃめちゃもやもやしていることは、状況とか登場する人物関係(っていうかその人と私の人間関係)がひとことで説明できないので、愚痴る前に説明するだけで疲れてしまいそうだし、私がもやもやする理由まできちんとわかるように状況を説明するのってかなり難しいと思うんですよ。

 

長い時間と、適切な言葉を使って、えんえんに状況説明して、いざ、「こんなこと言われたんですよ! ひどいでしょ?」と言ったところで、聞いてくれた人が「えー、そうかな」なんて言おうものなら、私はそこでがっくりうなだれてしまいますよ。必死で説明した私の時間と労力を返せ!って怒鳴りたくなりますよ。そしたらもう、「は、愚痴聞いてくれって言ったのはお前やろがい」って逆ギレされること間違いなしです。

 

そんな結末が見えているところで愚痴るとか、非生産的すぎてやってられません。

 

しかし、あまりにもやもやするので、仕事が手につかず、早く仕事を終わらせてサミットにちぎりブレッドを買いにいきたいのですが、全然仕事が終わらあないので、ちぎりブレッドのために、ひさびさにはてなブログにログインしました。IDも、パスワードも、忘れてないですよ。忘れるわけないじゃないですか。

 

で、ログインしたと思ったら、やっぱり具体的な愚痴ではなくて、あーだこーだ、あーだこーだ、書いてまもなく900字に届きそうな勢いです。

 

やっぱり私は文字を連ねることが好きなんですねー。全くもって、とある人物から言われたセリフの理不尽さにふれることなく、心が晴れやかになってきました。

 

関係ないついでに、さらにどうでもよいことを書きますけど、この頃、とにかく肉体的にも精神的にも健康で、快適な人生で、街中のマッサージ屋さんとかを見かけるたびに、若いころはなんであんなに体中が痛かったんだろうなあ、と思っています。もうすぐ46歳。

 

お読みいただき、ありがとうございました。ちぎりブレッド、まだあるかな。

知らなかったことを教えようかと思ってやめた

お久しぶりです。うさぎです。生きてます。とても元気に生きています。

 

時間に余裕ができると、気持ちがざわざわしてしまうのが、私の悪い癖。悪いんだか、そもそも癖なんだか、よくわかりませんが、とにかく自分では「気持ちがざわざわする」というのがいちばんぴったりする表現です。

 

そういうときに、何をすべきかというところで、私は文章を書きたくなるのです。鉛筆でノートに文字を書きつけてもいいのですが、成果物を見直してもあまり美しくもなければ楽しくもないので、もったいないのですね。

 

どうせ書くなら、という貧乏根性がこういうところで発動します。文字を美しく書くことを心がけるよりも、パソコンのフォントを利用したほうが私の場合はずっと効率が良いですし、わかりやすい文章を仕上げるためにごしごし消しゴムを使うよりも、パソコンのカーソルをかちゃかちゃ動かすほうがずっと簡単です。

 

心を落ち着けるためにすずりと筆を出して書をしたためるという方もいらっしゃるでしょう。それはそれですばらしく文化的だと思います。心をこめてコーヒーを入れるという方もいらっしゃるでしょう。それはそれでとても優雅だと思います。

 

ただ、私の場合は、こうしてキーボードで文字を打ち込むのが好きで、これがいちばん自分の心の健康を保つために有効だというのを自覚しているので、それをしているまでです。

 

はい、500字を超えました。ここまで、ほとんどよどみなく文章を作り出していますが、まるで、なんのためにもならない、少しも、だれの役にも立たない文章ですね。

 

分かっています。読んでくださる方、ありがとうございます。あなたの貴重な人生の一部分を、私の文章を読むために使ってくださり、ありがとうございます。

 

せっかくここまで読んでいただいたので、何か少しでもお役に立つことを書きたいと思います。

 

先日、家庭裁判所から封書が届きました。普通郵便で、ポストに入っていました。

 

その数週間前に、とある弁護士事務所と話をしていて、あなた、もうじき家庭裁判所から呼び出しが来ますから、よろしくお願いしますね、と言われたので、その呼び出しの通知は書留で来ますか、見落とすといけないので、と確認したところ、書留で届きますから大丈夫ですよ、と言われたのですが、普通郵便でした。

 

弁護士さんに、間違ってましたよ、知らなかったんですか、って教えてあげようかな、と思いましたが、母親から「心象悪くなるからやめておきなさい」って言われたのでやめました。

 

まあ、そんなわけで心がざわざわしているのでした。今日も1日がんばりましょう~。

前向きに生きています

なんとー。

 

一ヶ月近く、記事を書いておりませんでした。どうも、お久しぶりです。と書いてはみるものの、はてさて、これを読んでくださる方はいらっしゃるのでしょうか。

 

なんだかずっと忙しかった、というのはうそではありませんが、ここに来なかったいちばんの理由ではない気がします。

 

私、私を知っている人に向けて、文章が書けるようになってきたんですね。正しく言うと、また、書けるようになってきた。

 

3年前、もう、私を知っている誰に向けて文章を書いたらいいか分からない、という状況に陥って、この匿名ブログを始めました。こんなこと書いたらどう思われるかな、というのが怖くて、知り合いが読む場所で、文章を書けなかった。

 

今は、もうそれが怖くなくなりました。結局、私のことをどういう風に理解するかなんて、私にはコントロールできないこと。私は、私が面白いと思ったことを、面白いと思った書き方で書く。

 

それを、生身の自分を知っている人に対して、また、できるようになってきました。

 

ああ、この1年で、回復したなあ、私。

 

たぶん、とにもかくにも頭の中で考えることが爆発しそうに渦巻いていて、爆発させないためにここに吐きだしていた、そのころの私の文章は、面白かったと思います。頭の中で何が起こっているのか、ということを徹底的に出し切っていたから。

 

でも、今の私は、頭の中で考えることが、ふふん、それってしょせんは頭の中でしか考えてないことでしょ、っていう風に、思考が変わってきている。

 

頭の中で考えることって、解釈や分析は、人の気持ちを落ち着けるのに役立つけど、でも、それは何かを生み出すことにはならないんじゃないか、って気がします。

 

解釈や分析というのは、過去に対しての思考だから。私は今、頭を未来のための思考に使いたい。作戦や、企画。発信の仕方、工夫。そういうものを考えて、考えたあとに、行動をしている。している感覚がある。

 

過去に行ったことや体験したことについて考えるのは、反省や解釈、分析にはなるけれど、なんというか、脳の中で思考が止まってしまう気がする。それはそれで、面白いし、人生に対しての姿勢を深めることには役立つと思うのだけれど。

 

でも、今の私は未来にやりたいことがある。それは、何年も先のこととか、ライフワークみたいなことじゃなくて、明日までに終わらせたい仕事があるから、今からこの順番でこういう作業をする、とか。今月で答えの出るプロジェクトがあるから、全力を尽くすためにこれとこれをやってみよう、ダメだったらまた考えよう、とか。

 

前向き、未来志向なんですよね。面白くないですよね。でも、私は元気です。元気なのは、うれしいこと。

 

読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

問い詰めても過去は変わらない

「なんで言ってくれなかったの?」というセリフほど、意味のないものはない、と思う。AさんがBさんにCという内容を伝えられなかった、という事実はもう変えがたい過去のことであって、その理由を聞いたところで、Bさんに何かメリットがあるのだろうか?

 

「なんで言ってくれなかったの?」というセリフを言ってしまうBさんの心境として、私がいちばん容易に想像できるものは、「そのときAさんがちゃんと私に言ってくれていたら、事態はもっとマシだった」「Aさんが私に言ってくれなかったから、今の困った事態になっている」「Aさんが私にCだと伝えてくれさえいたら、私の力で今の状況には陥っていなかったはずだ」などなど。

 

つまり、Bさんにとって、自分は悪くない、Cだと言わなかったAさんが悪い、という思考回路が、そこにあるような気がする。

 

一方、BさんにCだと言えなかった、あるいは言おうと思わなかった、あるいは言うつもりがなかったAさん…と、すでに理由がさまざまに推測できてしまうわけだけれど、私がいちばん容易に想像できるAさんの心中は、「言ったらBさんから怒られると思った」だ。

 

言ったら怒られると思って、言わなかった。で、言わなかったことで、やっぱり「なんで言わなかったの」と怒られる。

 

だったら最初から言えばよかった、とはならない。たぶん。Bさんが、Aさんから離れていくだけだ。

 

Aさんが、Bさんに離れてほしいなら、「なんで言ってくれなかったの」と問い詰めたらいいと思う。

 

けど、BさんにとってAさんが大切な人で、これからもずっと何かを一緒にしていきたいのであれば、言うべきセリフは「なんで言ってくれなかったの」ではなく、「言ってくれるタイミングをあげられなくてごめんね」だ。あるいは、「話し合う時間をとれなくてごめんね」「私にはなんでも言っていいってことを伝えてあげられなくてごめんね」「話しかけづらい雰囲気を出していたならごめんね」「もっと早く私から話を聞けばよかったね、ごめんね」だ。

 

私は、たぶん謝りすぎなんだと思う。バイトの子にも、「わー、それ、言ってなかった、ごめん!」「えー、そうか、ごめん、まだこれ教えてなかったね」「うーん、分かりづらかったかな、ごめんね、違うんだよ」などなど。

 

だってさ。伝えたいと思っているのはこちらなんだから。伝わってほしいと思って話し手いるのは、私なんだから。伝わらなかったら、悪いのは私だ。

 

べつに謝ることがいいことだとか、優しさや思いやりが全てだ、というわけじゃない。過去のことは変えられないという、そういう現実的な解決策として、「なんで言ってくれなかったの」っていう問い詰めには意味がないと、そう思っている次第であります。

 

名もないスキルを駆使する

うーん、そうかー。なんとなく、ここ数日、気分がふわふわとしていて、自分の時間の軸はどこにあったんだっけかなー、と思っていたが、そうかー。11日に、ものすごいダイエットのリバウンドをして、へこんでいたんだな。そうかー。成長しとらんなー。昨日もリバウンドしたぞ。さらに、今日もなんだかんだと食べ続けているぞ。ダメじゃん、私。

 

自分の時間というか、意識というか、生活のすべてを、ダイエットに使っているうちはいいのだ。毎朝、体重計に乗って、数字が小さくなっていき、それで充実感を感じていられれば、それでいいのだ。

 

問題は、ダイエットよりも大切な事案というか、ダイエットのことはさておき、向き合わなければいけない重要な項目が人生に浮上してきたときだ。

 

たとえば、仕事で失敗するとか。

 

たとえば、仕事でイヤな人と付き合うとか。

 

たとえば、仕事で〆切を勘違いしていて焦るとか。

 

たとえば、仕事でやむなくお酒の場に出るとか。

 

こういうことが、たくさん起こったために、この1週間はなんだかふわふわしてたなー。ダイエットを、している場合じゃなかった、というか。

 

ストレス解消のために食べる、というのが良くないと、悟ったからダイエットを始めたのに。ストレス解消のために食べていたころの私に戻っているではないか。ダメですよ、これは。

 

なんだか書いていて、結局私は、ダイエットに失敗しているのではないか、という気がしてきたけれど、いや、違う。断じて違う。ちょっと、今、つまづいているだけだ。ここであきらめてはいけないのだ。

 

明日から、またがんばろう。寝不足が、いちばん良くない。ずーっと、ずーっと、しっかり寝ていたのに、この1週間は3日くらい、寝不足になってしまった。なんでだ。なんでかっていうと、帰るのが遅いからだよ。

 

今日もまだ、会社にいるよ。まだ帰らないよ。本当は帰った方がいいんだけど。だらだら仕事をしているよ。よくないよね。

 

やらなくてもいい仕事をさー。一生懸命やってしまうんだよねー。お金にならない仕事をさー。せっせとクオリティ上げてしまうんだよねー。

 

名もないスキル。できて当たり前のテクニック。

 

たとえば、読んでみてすっと分かる書類とかね。記入するときに全然悩むことのない申込書とかね。問合せフォームからの入力がスムーズな一覧表とかね。

 

こういうものを作るのが、得意なんですよね。だから、やっちゃうんですよね。でも、これって名前のないスキルだし、出来上がったものを手にした人は、違和感を感じないから、それが当たり前になっちゃうんですよね。

 

そういうものだけは、身につけているんだよね、私。

 

今日はとことんネガティブです

今朝はもう、1200グラムのリバウンドという、私の今回のダイエット開始以来もっともひどいリバウンド記録を出しちまいまして、本日とことん落ち込んでおります。

 

こうなることは分かっていたのです。昨日、なんだかもうずっと食べていた。しかも、パンを。パンはダメです。パンを食べるのは、本当にダメです。

 

私はパンが大好きですよ。めちゃめちゃ美味しいです。パンは美味しい。美味しすぎる。

 

しかし、あれは体重を減らす上では天敵なのです。もう、てきめんに体重が増えます。リバウンドをするためのトランポリンみたいなものです。

 

パンを食べて体重を減らすというのは、どだい無理な話なんです。炭水化物、本当にカロリーが高い。

 

ああ、落ち込んでいるせいで、全然字数が増えません。こうやって、改行ばかりしていると、1000字がものすごく遠いのです。まだ350字。

 

話題を変えましょう。

 

と言っても、今日はなんだかネガティブな話題しか出てこないです。頭が痛いとか。髪型が気に入らないとか。肩がこってしまって湿布を貼っているとか。

 

無理やりポジティブなことを見つけて書くという訓練だと思って、何かいいことを見つけてみたいと思うのですが…ダメだ。たぶん、今私の脳みそはネガティブフィルターがかかってきて、ポジティブなことを見つけるための機能が働かない感じ。

 

ああ、そういえば、仕事も全然すすんでいない。今日やらなければいけないと思っていた仕事が、全然終わっていない。今日いちにち、これまで私はいったい、何をしていたんだ。ばかばかばかー。

 

うーむ。

 

ここまで自分が前向きなことを見つけられないのも珍しい。珍しいけど、たまにはそういうこともある。

 

こういうときは、寝るに限る。しかし、まだ帰れない。会社を出られないという事情がある。早く帰って寝たい。あ、そうか。ちょっと運動しようかな。

 

あー、違うんだ、違うんだ。またネガティブなことを思いだしてしまった!!! 昨日、昼間に食べ過ぎたということを自覚していた私は、夕方に久しぶりにランニングでもするか、とスポーツウェアを着て、外へ出かけたわけなんだが、ひざの裏が痛くなってしまったのですよ!!! ひざが痛い、という症状が、夏に出て、それ以来、ちょっと歩くと痛みが出てくる。

 

ひざの痛みを感じつつ歩きながら、歩くことができなくなるって、絶望的だな…と思いましたよ。私は、歩いて自分の体を運ぶことが大好きなんです。体を動かすのがわりと好きで、中でもさっさと大股で歩くのが大好きで。

 

この爽快感は、小股でちょこちょこ歩いても得られないのです。絶望感を思い出していたら1000字を越えました。無理やり書いてみることに何の意味があるのか分かりませんが、とりあえず書きました。おしまい。

別に私が悪いわけじゃないけど

あかん…、この数日、腹の立つことが多すぎて、今朝はもうどうにもこうにも、気持ちのもって行き場がない。

 

「は? バカじゃねえの?」

「あんた、なんでこんないいかげんなの?」

「勝手なことばかり言ってこないでよ」

 

その場で、面と向かって、言ってのけることができたらどんなにいいだろう。それで相手がどう思うかなんて、気遣わずにいられたら、こちらはどんなに気が楽だろう。

 

「バカじゃねえの?」って言われて、気分のいい人なんて、いるわけがない。ましてや相手は20歳以上も年上で、社会的な立場もある人で、さらには一緒にプロジェクトを進めていこうということに賛同した相手。この相手に「バカじゃねえの?」と思ってしまう私。思いたくないけれど、そう思わせてしまう相手の行動。これを、どうやってやり過ごしてプロジェクトを進めていったらいいというのか。

 

「なんでこんないいかげんなの?」と、言われたら、相手はすぐに反省して行動を改めてくれるだろうか。そう思いたいけれど、もう、これが何年も繰り返されてきたことなのだ。ああ、私のやっていることに対して、敬意や関心がないからこそ、同じことの繰り返しなんだろうな、と思う。その場では「あっ、ごめんなさい!」と謝ってくれるけれど、すぐにまた、私が同じ居心地の悪さを感じる事態に陥る。

 

「勝手なことばかり言ってこないで」と、こちらは思うけれど、向こうからしたら勝手なことを言っているつもりはないのだろう。仕事の一環でもあり、もしかしたら来てくれるかも、もしかしたら協力してくれるかも、というつもりで誘ってくれているだけなのだ、とは思う。思うけれど、私にとってはいつもいつも断るのが申し訳なくて、それが心労になっているのだ。

 

結局、相手の気持ちを尊重しなきゃと思うあまり、自分の気持ちをないがしろにしているのだな、私は。でも、相手の気持ちを尊重したいと思うのも、私の本当の気持ちなのだ。だから、腹の立ったことを、ないことにしてはいけない。

 

少しだけ、あと、1年だけ我慢して、やっぱり無理なら、もう離れよう。離れられないと思うから、葛藤が生まれるのだ。だってもう、何度も繰り返している事態なのだから。結局、人は変わらないのだから。私だって変わらないし、変えられないし、腹の立ってしまう自分をないことにしながら仕事をする、そこまでの義理はない。

 

はあ。なんだかなあ。消えてなくなってしまいたいよ。いろいろめんどくさい。