社会的な人間関係がもたらす幸せ

いろいろふがいない私だけれど、今日は幸せなことがたくさんあった。

 

仕事関係でとある公演のチケットをいただけることになったので、お世話になってきた年配の男性を誘ったら、喜んで来てくださるということになった。両親よりも年上の、すでに補聴器を耳に入れていらっしゃって、それでも会話がおぼつかないくらいの年齢の方だけども、私はその人のことをとても好きで尊敬しているので、二人で音楽を聴きにいくという機会に、男性から「喜んで伺います」とお返事をいただいたことは、とても嬉しい。

 

2点目。一緒に働いて3ヶ月目になるスタッフから、「僕、今すっごく幸せですよ!」と言ってもらった。特に私と一緒に働くことが幸せだとか、職場について満足しているという意味ではなく、転職の経験や職場環境の話の中で、トータルな人生としての今の瞬間を幸せだと思っている、という文脈だったのだけれど、彼のトータルな人生の中に、私も入っていることは確実なので、その私が入っている人生を彼が「すっごく幸せ」だと表現してくれていることを、私はとても幸せなことだと思った。というか、これ、雇用者としては誇りに思っていいんじゃないかと思うんですけどね。どうなんでしょうか。

 

3点目。出さなければいけない書きものがあって、あー、いよいよ書かなきゃ、と思って書いて送ったら、あっさりOKが出た。そこまでクオリティを求められる文章ではなかったというだけのことだけれども、やはり、はしにも棒にもかからない文章ではなかったのだ、ということで、それだけで私は満足している。

 

4点目、と書きたいところだけれど、そうそうたくさんはありません。が、この3つがあっただけでも、今日はとても幸せだなあ、と思う。

 

私と社会的な関係を結びたい、と思ってくれる人がいることは幸せだ。社会的な関係、というのは、雇用とか、契約とか。個人的な関係を結びたいと思ってくれる人が、いるのかどうか、今日は逆に分からない感じ。友情も、愛情も、どこまで図々しくなって良いのか、悪いのか、今は計りかねているので。私のことを友情だったり恋愛感情だったりで、けっこうな深度で好きだと思っていてくれる人が、どれくらいいるのか、今はさっぱり分からない。

 

家族というのは社会的な関係なのか、個人的な関係なのか。義務教育の年齢にある子どもと親は、社会的な関係でもある。教育を受けさせる義務があるから。たぶん、成人してしまった同士の親子関係というのは、個人的な関係なのだろう。それを、社会的な関係だと取り違えて、何か契約とか取引みたいな感覚で付き合うと、おかしなことになる。

 

とりあえず今日の私は、社会の中で生きている。

 

おやすみなさい。