食べることと働くこと

先日の嘔吐以来、食べ物を食べるのが怖い。どのくらい食べたらいいのか、何を食べたらいいのか、よく分からない。また気分が悪くなるのもいやだし、太りたくないし、だからといって体調を崩したりしたくないし。適切な食事って、難しいぞ。

 

何を食べたらいいのかよくわからないときは、無理に食べなくてもよいのかもしれない、と思う。意外と体は正直にメッセージを発してくるので、その声を素直に聞けばいいような気もする。

 

一日3食しっかり食べましょう、とか、世の中にはこんなおいしいものがありますよ、とか、これは健康のためにいい食べ物ですよ、とか、まわりやメディアはいろいろ言ってくるけれど、自分の体の言うことを、素直に聞いていたらいいのではないかしらん。

 

きっと今、私の体はあまり食べ物を求めていないのだろう。だったら、それに素直に従おう。体力が落ちて病気になってしまったら、そのときにまた考えよう。

 

もしかして、お酒をやめていることにも関係するのかな。お酒を飲むと、いろいろ食べたくなったけれど、それがなくなったということかもしれない。飲食店ではお酒を飲ませたがるけど、お酒なんてなくても、人間の体は生きていけるようにできているのだ。

 

衣、食、住。着るものも欲しいと思わない。食べるもにも欲がない。住むところはある。

 

欲がなさ過ぎて、こういう人間が日本の経済を停滞させているのだなー、と思いますが、仕方ない。私は私の美学に従って生きるまでだ。

 

中2長男が、友達としゃべっている声が聞こえてくる。話の内容までは分からないけれど、女の子の声と男の子の声が混じって聞こえてくる。楽しそうだ。本当に、楽しそうで、私は幸せ。青春だなー。

 

息子には彼女がいるのだろうか。聞きたいけど、聞かない。彼から打ち明けてくれたらいいな、と思うけれど、そんな日は来るのかな。彼女じゃなくて彼氏でもいいし、もちろん誰も好きにならなくてもいいのだけれど。

 

彼を幸せにしてくれる人とは、仲良くしたいから。私も彼を幸せにしたいと思っている人間の一人として認めてほしいから。だから、息子の友達や恋人には、会ってみたいと思う。

 

そして、そんな人たちから、ある程度は敬意をもってもらえる大人でいなければ。あまりにやさぐれたりふてくされたりしていては、息子の母親として恥ずかしいではないですか。それは、世間体とか立場とかではなくて、普通に、人間として。大人として。社会人として。

 

社会人には勤労の義務があるのですよねー。嗚呼、働かねば。働いてますけどね。

 

おやすみなさい。