友達をなくすとは

まー、最近の私はいろいろなことに冷めた目を向けていて、世の中を変えたいとか、社会を良くしたいとか、そういうことに躍起になっている人のことを、うん、まあ、好きにしてください、という感じで見ているのですが、「あんまりそういうひねくれた態度でいると友達なくすから、ちょっと良くないなと思ってるんですけどね」と、今日出会った人に言ったところ、「友達をなくすのはなんで良くないんでしょうね」と言われて、その会話を交わしたのは電車の中だったのだけど、そこでもう私は降りなければいけない駅だったので、答えを伝えられなかった。

 

まあ、友達をなくすのが良くない、という発言が、私も無責任だったというか、媚びていたというか、適当なことを言って流そうとしていたというか、そもそも友達をなくす、という状況って、あんまりないと思っている。

 

なぜかというと、友達というのは(友達だけじゃなくて恋人とか夫婦とか親子とか師弟とか、人間の関係はなんでもそうだと思うけど)、基本的に、片方が相手を友達だと認識しているだけであって、友達同士、とか、恋人同士、というのは、たまたま同時に相手も自分を友達だとか恋人だとか認識しているだけであって、二人の間にある関係性なんてものは本当はなくて、誰かが誰かをどう認識しているか、一方的にどう思っているか、というだけの話だと思うわけ。

 

たとえば、私がAちゃんのことを感じいい人だな、おしゃれだし、話も面白いし、空いてる時間帯も重なることが多いから、ランチしたりお茶したり、たまに飲みにいったりしたいな、と思う。まあ、友達になりたいな、と思う。

 

Aちゃんも私のことをそう思って、ランチやお茶や飲み会ができれば、それはそれでよい。

 

ところが時が経ち、あるころからAちゃんがやたらと社会に対して憤りを覚え始めたとする。なんだかよく分からないけど、勉強会とか活動とかに参加して、選挙があれば「この党に入れて!」みたいなことを言ってきたとする。

 

私は、どうするかね? 想像するだけでめんどくさいわ。Aちゃんとはもう、ランチもお茶も、飲み会も行かなくていいな、って思っちゃうだろうな。

 

その時、Aちゃんがいくら私を友達だと思って社会を変えるための活動に誘ってくれたとしても、私はもう、Aちゃんは友達じゃなくてもいいな、って思っちゃうだろうな。

 

これって、友達をなくしたというのか? 言わない気がする。

 

なくしたくない友達なら、自分がずっと友達だと思い続ければよいだけ。関係性なんて、脳の中にしかない。

 

今、忘れている友達を、思い出せないように。友達が脳から消えてしまっても、たぶん私は、友達をなくしたとは認識しないだろう。

 

「こういう風に言っておけば角が立たない」みたいなことが、言えなくなってきた。めんどくさいなー。今さら思春期でもあるまいに。

 

おやすみなさい。相変わらず、胸が痛い。