私が幸せな理由を書こうと思ったよ

今、

 

経営者の教科書―――成功するリーダーになるための考え方と行動
 

 という本で勉強をしているのだけど、この本の最初のほうに、

 

 「幸せ」とは、自分で感じるものです。他人がどう言おうと、自分が幸せと思っていれば幸せなのです。

 一方、「成功」は他人が決めるものだと私は考えています。自分で成功だと思っていても、周りの人や社会が評価しない限り成功ではないのです。

 

という言葉が出てくる。

 

私は「いつも今がいちばん幸せ」と思っていて、それはもう、本当に、どんな状況でも自分を幸せに思うことができる能力なのだけど、それを身につけることができたのは、両親のおかげだと思っている。両親が、知性と愛情の両方をもって、正しく、かつ感情的に私を育ててくれたから。

 

なんだけど、最初に書いておきたいと思ったのは、私はたぐい稀なる(と言い切る)立派な両親に育ててもらい、たぐい稀なる(と言い切る)問題の少ない家庭で育って、それが、私の幸せになれた理由だと思っているけれど、決して幸せな家庭に育たなければ幸せになれないとは思っていないし、それが幸せになるために絶対に必要なことだとも思っていない。

 

例えばさ、たぐい稀なる容姿にめぐまれた人がその容姿のおかげで幸せになれたり、たぐい稀なる絵の才能にめぐまれた人がその才能のおかげで幸せになれたり、たぐい稀なる運動神経をもった人がその運動神経のおかげで幸せになれたり、たぐい稀なるメンターに出会えた人がそのメンターのおかげで幸せになれたり、たぐい稀なるホワイトな企業に入社した人がその会社のおかげで幸せになれたり、そういうこともあると思っている。

 

それが、私の場合は両親であったというだけのこと。

 

逆に、それしかない、という思考にはまって自分を不幸だと思っていた時期もあった。

 

数年前、まだ前の会社に勤めていたころ。そのころ私は、自分には何もない、と思っていた。30代後半、社会的にまわりが成功していく年代。高校の同級生男子たちは独立したり、地位を上げたりしていく。嵐のような乳幼児育児が過ぎたママ友たちは、優雅に趣味の時間を過ごしたり、夫とデートしたりしている。独身貴族の同級生女子たちは、海外にバカンスに出かけたり、映画やコンサートに出かけている。

 

私はうだつの上がらない平社員で、愛情の足りない母親で、夫に言いたいことも言えず、特に打ち込めるような趣味も特技もなく、そして何の取り柄もない人間だと思っていた。

 

唯一自慢できるのは両親で、だからといって、アラフォー女が自分の結婚生活を棚にあげて両親のことを褒めるなんて意味が分からないし、そもそも、傍目に見たら田舎で貧乏暮らしをしている両親なんて、私には素晴らしい両親でも、「だから何?」って話だ。

 

おおう、伝えたいことをちゃんと伝えようとすると、時間も字数も必要なのだね。って今さら。結論のない投稿ですみません。勝手気ままなうさぎです。