いろいろ矛盾をはらんだ文章

おはようございます。昨日の夜、気合をいれたおかげで、よく眠れました。すっきり。あとでスクワットしようと思います。

 

昨日、続けることが難しいと書いたけれど、私にとって、文章を書くことは本当にずっと続いていることなので、これ、なんとかして仕事にならないかなあ、と思っています。楽しくラクしてお金がもらえるって、そんなにありがたいことはないので。

 

もちろん、ラクに書けることが仕事になるほど甘くないってことは、よくよく分かっています。ですが、理想を語るのはタダですしね。あと、そのゴールに向かって考えることもね。いつか、そうなったらいいなあ、と。

 

仕事って、基本的にはいってこい、つまり自分の食べる分だけ稼げばいいのでは、と思うのですが、なんでそういうことになってないかっていうと、自分で稼ぐことのできない人を、社会で支えていかないといけないからですよね。子供や老人、病気の人、障害のある人。

 

「社会」というのをいちばん小さい単位でとらえると、それが家族なのでしょうね。大人は子供を育てなければいけない。子供は老いた親を面倒みなければならない。

 

それさえできない家族を支えるのが自治体であり、さらにそれも大変な自治体を支えるのが国家である、と思うのですが、そのために働けー、働け―、と言われても、働けませーん、すみませーん、という感じ。ホント、自分の稼ぐ分だけでも大変なことなので。

 

もちろん、稼げる人はどんどん稼いでくれたらいいと思います。いい暮らしをしたい人は、すればいいと思います。でも、私は「いい暮らし」というものにあんまり興味がないのですよねー。「幸せな暮らし」とか「豊かな暮らし」はしたいと思うけれど。

 

でも、「いい暮らし」が好きな人にとっては、それが「幸せ」であり「豊か」であるのでしょう。それはそれでよいと思います。私には、人の暮らしをどうこう言う資格はありません。

 

コンビニのサラダが食べられて、夜ゆっくり安心して眠れて、朝起きて好き勝手文章を書いても誰にも怒られない。私にとっては、これが本当に、本当に幸せな生活です。これ以上は何も望まないわ。これを手に入れるまで、長かった。

 

こうして、書いているうちにポジティブになれるときは、ポジティブなときです。当たり前ですが、書いてるうちにどんどん落ち込むときは、落ち込んでいるときです。書いていると、自分の精神状態が如実に分かって面白い。

 

書いて気分が上がることもあれば、書いて気分が下がることもある。文章に罪はない。あなたにも罪はない。書きたければ書けばいいし、書きたくなければ書かなければよい。

 

私の文章だって、読みたければ読めばいいし、読みたくなければ読まなければいいと思います。

 

でも、読んでくださる方には感謝しています。おかげおかげのげで暮らせ、でございます。

 

オムツオムツオムツ。←わかる人だけわかってください。