気持ちが荒んでるかも

3日前の私は、寝つきが悪いことを愚痴っていたのですね。

 

今日の私は、腰が痛いことを愚痴ります。

 

腰が、痛い…。久しぶりに腰が痛いです。職を変えてからというもの、ほとんど無理をしない生活だったためか、身体が痛いということがあまりなかったのですが。

 

このところ、肩こりもあるし、腰も痛い。単に加齢だと言われればそれまでだけれど、原因が分かったところで何の解決にもならないので(だって若返ることはできませんから)、なんとかしてもうちょっと快適な状態で生活を送りたいと思います。

 

最近、映画も見れていないし、少し前とは、生活の様子が変わってきた感じがします。なんて言うと、いつでも変わりつつあるのだから、当たり前なんですけどね。

 

言いたいことを、言ったそばから、反論が自分に沸いてしまって、何も言えない。何も言えない、と書きつつ、書きたいことを書いてるやんけ、みたいな。

 

世界に起きる現象を、切り取って、順番にならべて、物語にして、意味をつけて。

 

言葉にするってそういうことだ。そんなことをするのは人間だけだ。人間だから言葉にしてしまうけれども、動物的に感じることを言葉に書くというのは、どだい矛盾した行為なのだ。

 

何が言いたいのだ私は。何も言いたくないのか私は。

 

もっと前のブログは、もっと素直だった気がするぞ。なんで素直じゃなくなってしまったのだ。

 

加齢か。これもまた加齢が原因か。

 

だったら年なんて取りたくない。だったらも何も、年を取りたくない。いや、年は取ってもいいけれど、どうせ年を取るなら、生きやすくなってほしい。年を取れば取るほど生きにくくなるなんて、年を取る甲斐がないではありませんか。

 

なんだか荒れてますね、うさぎさん。

 

そういう気分のときもある。一昨日、昨日は、寝つきは悪くなかったのだけれど、布団に入れる時間が遅くて、寝不足なのかも。もうちょっと寝たい。もうそろそろ眠ってしまいたい。

 

が、無理なんである。今日はまだ会社にいるのである。こんなに退社時間が遅くては、早寝なんてできないのである。

 

腰が痛いのを、何とかしたい。整体とか、マッサージとか、なんかこう、ごりごりと治してすっきり、みたいな体験をしたい。

 

ままならない人生であることよ。好き勝手やっているようで、思うようにいかないことがたくさん。満足できないことがいっぱい。

 

贅沢だなあ、と思うけれども。足るを知る、を実践したい一方で、挑戦を捨ててしまってはいけない、とも思う。

 

いや、ウソだな。もう、挑戦はいいよ。安心して暮らしたい。心穏やかに暮らしたい。

 

おやすみなさい。これから家まで帰らないといけないけど。

人生で何よりも大切なこと

眠い、眠い、と言いながら、寝なきゃ、寝なきゃ、と言いながら、ここ数日、寝つきが悪くて、イヤになります。

 

何度も言っていますが、私は、自分で自分をコントロールできないのがイヤなのです。寝ると決めたら寝たいのです。眠ると決めたら眠りたいのです。眠りたいのに眠れないのは、イライラします。

 

コントロールできることは幸せです。ですが、コントロールできないことをあきらめるのも、また幸せです。眠りに落ちるのは、そのどちらでしょうか。

 

眠りたいけど眠れないからあきらめる、というのは、あまり幸せだとは思えません。私が人生で優先していることには順番があって、書いてみるとしたら、

 

1.よく眠る。

2.コントロールする。

3.あきらめる。

 

という順番なのです。だから、よく眠ることは、コントロールすることにも、あきらめることにも勝る、何より優先すべき人生の最重要項目なのです。

 

だから、コントロールできようができまいが、あきらめられようがあきらめられまいが、眠らなくてはならないのです。

 

睡眠、大事ですよ。人間、最後はよく眠った者が勝ちます。たぶんですけど。でも、まわりの人たちはあんまりよく寝ていないような気もします。私だけがぐーぐー寝て、私だけが一人びんぼーになっている気もします。

 

でも、寝てしまえばこっちのもんです。一晩寝ると、次の日には悩みや怒りもわりと消えています。きれいさっぱり消えています、と書きたいところですが、そこまでは言えないので、わりと消えています、と言っておきます。

 

もう一つ、人生で大事なことを忘れていました。それは、歯を磨くことです。眠る前には、必ず歯を磨かなければなりません。シャワーを浴びたり、顔を洗ったりする必要はありませんが、歯を磨くのはマストです。絶対です。歯を磨かないで寝るなんてことは、許されません。

 

顔を洗わずに寝てしまったとしても、化粧は翌朝に落とせばよい。シャワーを浴びずに寝てしまったとしても、体は次の日の朝、出かけるまでに清潔にすればよい。

 

しかし、歯を磨かずに眠って虫歯になってしまったとしたら、取り返しがつかないのです。取り返しがつかない。恐ろしい言葉だ。

 

実は、上の前歯のど真ん中の裏側に、ごくごく軽い虫歯があります。こんなところが黒くなったら美人が台無しなので、戦々恐々としています。この虫歯だけは、断じて進行させてはならない。

 

それではそろそろ、歯を磨いて寝ることにします。今日は、あまり悶えずに寝られますように。

書いておくと実行できる

へへいへーい。

 

カラ元気を出してみました。いや、普通に元気です。本当に、元気です。

 

こんな、毎日愚にもつかない文章を、読んでくださっている方がいるというのは、本当にありがたいことです。スターをいくつもいくつもつけてくださる方までいらっしゃるというのは、なんともなんともありがたいことです。ありがとうございます。

 

なんともまあ、ひどい生活をしているのですよ。四十路を過ぎた女がこんなことでいいのか、と思いつつ、たとえて言えば、インスタントラーメンを作って、どんぶりに移すのがめんどくさいから鍋からそのまま食べている、みたいなそういう生活です。

 

実際のところ、住んでいるところはちゃんとダイニングもリビングもあるタイプのマンションなんですが、台所のコンロの横で食事をしています。運ぶのも、テーブルを片付けるのも、拭くのも、拭いた台ふきを洗うのも、めんどくさいんだもん。

 

めんどくさい、めんどくさい。あー、めんどくさい。

 

めんどくささに抗って、きちんと生活できている人って、本当に素晴らしいと思います。私の、このめんどくさくて仕方ない、と思う性分は、人間に共通のものではないのか? 私だけが特殊なのか? なんでみんな、そんなにきちんと生活できてるの?

 

とはいえ、今日はわりとやらなければいけないことを、やった土曜日だったのです。先週にも書きましたが、メモ帳がちゃんといい仕事をしています。パソコンにウィルスバスターを入れたりとか、スーツの袖の内側がほころびているのを縫ったりとか、そういうのを、「やろう」と思っているだけだと、やらずに1日が終わって、ああ今日も何もできなかった、となるけれども、書き留めておいて、それを消していくと、やらなければいけないことも、きちんとできたことも、「見える化」されているので、週末の充実感が確実にアップします。

 

本当は、やるべきことを全部済ませたら、DVDを借りてこようと思ってたんですよ。なんですが、やるべきことを全部済ませたのが夜の8時過ぎで、その後からDVD借りてきたら、確実に寝るのが10時を過ぎてしまう、と思ってあきらめたのでした。

 

だったらDVDを見ない代わりに10時に寝ればいいのに。なんでまだ起きてるの、私。もうすぐ11時になりますわよ。

 

本当は、お湯をはったお風呂にも入りたかったのですけどね。かなわずでした。このまま寝る。明日の朝、もしかしたらお湯につかるかもしれない。つからずシャワーで済ますかもしれない。

 

書かないと、やらない。

 

「食事をダイニングに運んで食べる」って書いておけばそうするかもしれませんが、やろうと思いもしないことは、書かないのです。

 

おやすみなさい。

 

ガンバレナイ病は生涯つづく

眠い。眠いぞよ。

 

夜10時に寝るという目標さえクリアできない私は、ダメダメなんじゃないか。

 

嘘です。

 

ちょっとヒマになるとすぐスマホFacebookだのTwitterだの見てしまう私は、ダメダメなんじゃないか。

 

嘘です。いや、完全に嘘ではありません。

 

ちょっとSNSの時間を減らそうと思って、Kindleでこの本を買ってよみました。

 

 

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

 

 

まあ、今さら、ですよね。すみません。

 

でも、何となく読まずに一生を終えるのはもったいない気がしたのです。

 

で、読んでみましたが、ほんっとうに、ほんっとうに、申し訳ないのですが、私にはうつになりそうな要素が何ひとつない、と思いました…。

 

いくらつらくても(というか、つらい思いをこの先もしないんじゃないかという気がする)、診断書を書いてくれるお医者さんはいないわ、きっと。

 

ごめんなさい。自慢したいわけでも何でもないんです。むしろ、全然がんばりが足らない私は、それこそダメダメなんじゃないか、って思ってしまうんですけど、でも、本当に、そんな風になる、はるか手前で引き返してしまうんです、私。

 

この、ガンバレナイ病は、一生続くんだろうなあ…。死のまぎわになって、「ああ、私には生涯いちども、ひとつも、あのときはがんばった、あれはやりきった、って思えることがないわ…」と思うのではないかという気がする。恐ろしい。

 

人間、夢中になれることがあるというのは幸せですよ。なりふり構わずに、がむしゃらに、できてしまうことがあるのは、幸せですよ。

 

もちろん、うつになんてならないほうがいいです。うつは、心の風邪ではなくて、心のガンだって書いてありました。放置してはいけないのだと。

 

どうやら私は、自分と真反対の世界のことに興味がわくタイプらしくて、子どもを授かったときには、「産まない」と決めた女の人のエッセイをやたらと探して読んでいました。

 

なんて、すぐにまとめてしまいたくなるのですが、自分と真反対の世界に興味がわくなんて、嘘です。私は都会暮らしが好きですが、田舎暮らしを楽しもう!みたいな本にはまったく興味がありません。

 

たまたま読んでみた本に理由をつけたり、たまたま読んだ本の種類をまとめてみたり、そんな分析にはほとんど意味がないと思っているのですがね。

 

決めつけるのが嫌いなんです、私。たぶん決めつけられなくて苦労してる部分もあるけれど、決めつけすぎて苦しくなる、ということがないのは、すごくお気楽なんだと思います。

 

おやすみなさい。眠い。

 

自分の身にふりかかったことを書く

うにゅにゅにゅにゅ。3日空いてしまった。こうしてどんどん、このブログが私の人生からフェードアウトしていくのかなあ。なんだかさみしいなあ。

 

って、自分のことなのに、自分で距離感を調節できないなんて、ヘンなの。

 

人生って、自分って、身体って、思考って、コントロールできないことだらけだと思いませんか。私、数年前まで、いろんなことをもっとコントロールして生きていると思っていました。

 

けど、今は、本当に、ままならないことが多いです。人間関係も、どんなに自分ががんばってみても、相手がとる行動が予想とちょっと違っていたら、そこからどんどん違いが生まれて、当初に思い描いていた未来とは、全然違う事態に陥ってしまう。

 

大事なのは今。過去のことは変えられない。未来のことは分からない。だから、大事なのは今。

 

それは、コントロールできなくて、コントロールできると人は幸せを感じるのだそうですが、私は今、いくらコントロールできなくても、過去に起こったことを、自分で言語化できると幸せになれるらしい、という仮説を信じています。

 

自分に起こったこと。自分が体験したこと。自分にふりかかったこと。これらをすべて、なんであんなことになったのだろう、ではなくて、あのときこうこうこういうことが起こった。私は●●を体験した。自分に××がふりかかった。というのを、きちんと言語化できると落ち着くし、忘れることもできるし、刻み付けることもできるし、つまり、過去を自分の中で解釈できるのだ。

 

解釈できるというのは、コントロールできるということだ。どのように受け止めたらよいか分からないものは、混乱したままだ。混乱していると、次に進めない。大切な今に集中できない。

 

だから、自分に起こったことを言語化するのはよいと思う。自分を落ち着かせる1つの方法として。自分がちょっとでも幸せを感じやすくなるためのトレーニングとして。

 

私は今、ブログのことをうっかり忘れてしまうほど、ブログの優先順位が低くなっている。それだけでなく、昨日はものすごく体調が悪くて、夜の8時には布団に入ってしまった。

 

そんなことがあったので、ブログを書けずにいた。なんで書けなかったんだろう、とは思っていない。混乱はしていない。

 

だけど、なんとなくやっぱり書くことは好きで、あまりに間が空くと、再開するのにハードルが上がりそうだから、なるべく書き続けようと思っている。

 

こんな、全く内容のない文章ですけどね。書きたくて書いてるんだからいいですよね。

 

おやすみなさい。

メモ帳を作って気分がよい

この週末は、たぶんいつもと同じようにだらだらと過ごしたはずなのですが、なぜか充実感があります。

 

その秘密は、メモ帳です。

 

私は、食べることにも着ることにもほとんどこだわりがないと思っていますが、持つものは厳選します。厳選、というほど厳しい感じでもないのですが、ものを持つことがあまり好きではないので、1つのものを買って気に入ったら、それを長く使うし、「持つ」ことが目的のコレクションとかはいっさいしていません。

 

そういえば、先日買ってものすごい靴擦れになった靴は、結局捨てました。迷っていても仕方ない、と思ったので。迷えば迷うほど未練が残るな、と思って、思い切って1日履いただけで捨てました。

 

つまり、買うときに厳選するのではなくて、持ち続けるのに厳選する、という感じですね。

 

何の話だったかすっかり忘れて違う方向に行きそうでしたが、メモ帳のおかげでいい週末になった、という話です。

 

私、メモ帳には、ものすごくこだわりがあるのです。

 

A4の裏紙(表面に失敗したコピー紙の再利用)を4つ切り、つまりA6にして、会社なら穴をあけてリングでとめてデスクの前につるしてある。メモをとりたいときは、そこからびりっとやぶる。

 

家のメモは、上記と同じA6の裏紙をかなりの枚数まとめて、100円ショップで買ったキラキラの入った水のりで貼る。

 

メモ用紙をわざわざ買うなんて、そんなもったいないことは、絶対にできません。人からもらったメモ帳は、キャラとか線とか入っていると、使いづらくて許せません。

 

私は何かを「もったいない」と思う気持ちが強いのです。なので、裏紙を作ったお手製のメモ帳は、いっさい心が痛むことなく、また使いづらいキャラとか線とか飾りとかがなく、ストレスフリーにメモができるのです。

 

家用のメモの作り方、テキストだけでお分かりいただけましたでしょうか? 写真にとって見せればいいのですが、テキストだけにこだわって説明しますと、「天のり」という状態にするのです。

 

daidoprinting.co.jp

 

紙の束を輪ゴムでとめて、水のりをつけて、立てておいて乾かすと、お手製の天のりメモパッドができます。

 

これを先日、作りまして。で、机の上に置いているので、「この週末にやろうと思ったこと」をぱぱっとメモすることができたのですね。これまでは、以前に作ったお手製メモを使い果たしてしまって、しばらく小さなキャラ入りメモパッドを机の上に置いていたので、それが小さなストレスだったのです。

 

で、ぐだぐだスマホをいじりそうになる前に、そのメモ帳に書いてあることをしたので、いちおう、思いついた「やろうと思ったこと」はやり終えることができたのですよ。

 

こういう、ちょっとずつの「見える化」は、自分の心を落ち着かせてくれます。

 

明日からまたお仕事がんばりましょう~。

人生が思うように進まない

自分の人生が思うようにいかないと、人はひがみっぽくなりますね。

 

人は、と一般化してはいけませんね。

 

私は、自分の人生が思うようにいかないと、ひがみっぽくなるんですよ。

 

これって、他の人はどの程度、そういうことが起こるのだろうか。人は人、自分は自分、で、自分の人生が思うようにいかなくても、ひがんだり、ねたんだり、しないで生きているのかな。そうだとしたら、私はめちゃめちゃひがみっぽくて、ねたみっぽくて、イヤな人間です。

 

必死で進めている仕事があるのですが、思うようにいきません。時間ばかりが過ぎていく。時間が過ぎても、そうそう簡単に私自身の命が危なくなるわけではありませんが、会社の資金は尽きていきます。それはもう、あっという間のできごとです。

 

私は、以前勤めていた会社の仕事(大きく言うとメーカーです)があまり好きではなくて、それで転職したのですが、だからと言って、何をしたいとか、別の何かができるとか、何の考えもなしに転職してしまったので、これ、といってできることが、前の会社で培った技術しかないのですよね。

 

じゃあその技術で仕事をしようか、となると、「これじゃないことがしたかったから転職したのに…」となる。

 

じゃあ別の技術で仕事をしようよ、と言われると、「そんなことやったことないから分からない…」となる。

 

困ったものです。

 

できるかどうか、というのは、やり方を知っているかどうか、なんだと思います。たとえば、豆腐を賽の目に切る、とかいうのも、まな板の上で、ものすごく慎重に豆腐の上下左右をひっくり返して、いつも上から下へと包丁を入れているのと、手の上に豆腐を乗せて包丁を3方向に動かして切るのと、結果だけ見れば同じかもしれませんが、「豆腐を賽の目に切ることができる」というのは、前者じゃなくて後者のことを言うのだと思います。

 

結果を見て、やり方に想像がつくこと。

 

結果を想像して、そこまでの方法や道のりを現実的にたどることができること。

 

ビジネスで成功するって、そういうことなんだな、と思います。

 

私は、自分が成功している、という結果は想像できます。それはできます。が、そこまでの方法や道のりを、歩んでいるつもりがどうやら全然成功が近づいてこない。

 

うーむ。それってやっぱり、方法や道のりが違っているんでしょうね。

 

誰か、どこかで引き返せって言ってくださいよ。そこでストップ、って言ってくださいよ。

 

誰も、方法や道のりを教えてくれない、ということだけは分かったつもりなのです。えーん。