自分の身にふりかかったことを書く

うにゅにゅにゅにゅ。3日空いてしまった。こうしてどんどん、このブログが私の人生からフェードアウトしていくのかなあ。なんだかさみしいなあ。

 

って、自分のことなのに、自分で距離感を調節できないなんて、ヘンなの。

 

人生って、自分って、身体って、思考って、コントロールできないことだらけだと思いませんか。私、数年前まで、いろんなことをもっとコントロールして生きていると思っていました。

 

けど、今は、本当に、ままならないことが多いです。人間関係も、どんなに自分ががんばってみても、相手がとる行動が予想とちょっと違っていたら、そこからどんどん違いが生まれて、当初に思い描いていた未来とは、全然違う事態に陥ってしまう。

 

大事なのは今。過去のことは変えられない。未来のことは分からない。だから、大事なのは今。

 

それは、コントロールできなくて、コントロールできると人は幸せを感じるのだそうですが、私は今、いくらコントロールできなくても、過去に起こったことを、自分で言語化できると幸せになれるらしい、という仮説を信じています。

 

自分に起こったこと。自分が体験したこと。自分にふりかかったこと。これらをすべて、なんであんなことになったのだろう、ではなくて、あのときこうこうこういうことが起こった。私は●●を体験した。自分に××がふりかかった。というのを、きちんと言語化できると落ち着くし、忘れることもできるし、刻み付けることもできるし、つまり、過去を自分の中で解釈できるのだ。

 

解釈できるというのは、コントロールできるということだ。どのように受け止めたらよいか分からないものは、混乱したままだ。混乱していると、次に進めない。大切な今に集中できない。

 

だから、自分に起こったことを言語化するのはよいと思う。自分を落ち着かせる1つの方法として。自分がちょっとでも幸せを感じやすくなるためのトレーニングとして。

 

私は今、ブログのことをうっかり忘れてしまうほど、ブログの優先順位が低くなっている。それだけでなく、昨日はものすごく体調が悪くて、夜の8時には布団に入ってしまった。

 

そんなことがあったので、ブログを書けずにいた。なんで書けなかったんだろう、とは思っていない。混乱はしていない。

 

だけど、なんとなくやっぱり書くことは好きで、あまりに間が空くと、再開するのにハードルが上がりそうだから、なるべく書き続けようと思っている。

 

こんな、全く内容のない文章ですけどね。書きたくて書いてるんだからいいですよね。

 

おやすみなさい。