変えたいと思わないから変わらない

まあまあ、それなりに真面目に仕事をしているつもりだし、それなりに私の仕事を褒めてもらえるというか、感謝してもらえるというか、継続的にお仕事をくださる人もいるので、私はまったくもって使えないおばちゃんではない、とは思うものの、今、どうにもこうにもやりたくない仕事があって、しかしその仕事を進めるためにはクライアントに電話をかけなければいけないのだけれど、どうにもこうにもやりたくない仕事なもんだから、ついつい1日のばしにして時間が過ぎているのは…我ながら、いかがなものかと思う。

 

一本の電話がかけられない、というところに「なんで!?」「こうしたらいいのに」「ああすれば簡単なのに」「たかが電話一本」「ぐだぐだ言わずに電話しろ」と、言うのは簡単。しかし、そんな分析や助言には、何の意味もないのであって、なぜかというと、とにもかくにも、イヤなの、この仕事が。イヤなことに理由がないのだから、やらなければいけない理由もない。

 

むちゃくちゃですな。無責任もいいところだ。無責任とは思われたくないから、たぶん、そのうちに遂行すると思います。結局、そういうところは逃げない。最終的には逃げずになんとかする人間だ、と自分のことはその程度には信頼しています。

 

が、さっき、ちょっと頭をよぎったのだけれど、この信頼を、ぶち壊してみたら、どうなるんだろうか???

 

結局、最終的には責任をとるってことは、自分で分かっているのですが、それを、裏切るっていう意味で、最後の最後まで逃げ続けたら、どうなるんだろう、ってさっき、少し思いました。

 

単なる妄想なんですけどね。

 

自分の習性や行動を変えることって、意外と難しいものです。大っ嫌いな人とか、自分を思いっきり傷つけた人とかに、なんとかして嫌がらせしてやろう、とか、どうやって復讐してやろうか、とか、考えるけれど、実際にそれを行動に移すことはしません。妄想するだけです。

 

妄想することと、行動することの間には、長くて深い溝がある。深くて広い溝? 大きくて深い溝? これ、決まった言い方って何でしたっけ? 深くて暗い溝、っていうのが、検索したら出てきましたけど。でも、この場合、別に暗くはないです。溝が大きいだけで。あ、そうか。深くて大きい溝がある、か。

 

自分を変えるのがこんなにたいへんなんだから、いわんや他人をや。他人なんて、絶対変えられないですよ。期待するのは無駄というものです。

 

こうやって、いろいろ諦めてしまっているところが、変われない大きな理由なんでしょうねー。でも変わらないよー。