イヤホンにまつわる話

昔の私は、電車の中とか、街の中とか、とにかく外にいる間はイヤホンをしていたらもったいない、というくらいに、外の世界にかかわろうとしていました。電車の中でイヤホンをしていたら、隣の人がもしかしてめっちゃ面白いことを言ったときに聞き逃すかもしれなくてそんなのもったいない、とか。街の中でイヤホンをしていたら、今どんな音楽が流行っているかとか、季節によって風がどんな音を立てるかとか、聞き逃してしまったらもったいない、とか。

 

たぶん、昔にどこかで読んだエッセイの影響だと思うのですが、そのエッセイの書き手は、おそらく年配のおっちゃんで、おそらくもう20年以上前に読んだ時点でご年配だっただろうから、今はすでにこの世に生きてはいらっしゃらないかもしれません。というか、どんなエッセイだったんだか、そもそもエッセイを本当に読んだのかどうなのかもわからないので、何の確かめようもありませんが。

 

まあ、たぶん、どこかのおっちゃんが、若者の文化が気に入らなくて、イヤホンを耳につっこんで電車に乗ったり歩いたりする若者が嫌いで、上に書いたような、「そんな出会いをみすみす逃すような人生でいいのか、君たちは」みたいなことを書いてたんじゃないかと思います。たぶん。

 

で、やたらめったら素直で大人の言うことを聞くことに何の疑問も持たずに育ってしまった私は、「ほんと、そうですよねー」みたいな感じで、街中でイヤホンをつけるのはけしからんこと、と思っていました。

 

今の私は、イヤホンが手放せません。手放せない、というか、耳放せないというか。とにかく常に、イヤホンを耳に入れている。

 

外の音が入ってくると、居心地が悪い。耳に入ってくる音を、いつも好きな音楽で満たしておきたい。

 

この前、書店に行って、イヤホンで音楽を聴きながら本を物色してみたら、なんだか自分が自分でないような、ドラマのシーンを見ているはずなのに、カメラとマイクが自分の体内に埋め込まれてしまったような、奇妙な感覚を覚えました。本棚の本しか目に入らなくて、まわりの人はみんなぼんやりと背景になってしまって、自分の高揚した気分と、本から飛び込んでくる文字や装丁の色だけが、その時の私の美しい世界だった。

 

けれど、たぶん、私が外界を閉ざしていたのと同時に、私は世界の住人からしたら完全に閉じた、奇妙な女に見えていたと思います。気づけば、本屋で鼻歌を歌って身体をゆすりかねない状態だったので。さすがに、そこまで客観性を失うことはなく、イヤホンをはずしました。途端に、まわりの人間たちが私の世界に飛び込んできて、本は色をなくしてしまいました。リアルな人間の世界では、本はその存在感で負けてしまうのだ。

 

この年で、この仕事で、この立場で。外のリアルな人たちとは、イヤでもつきあわなければいけない生活だから、せめて通勤時くらいは、自分の慣れ親しんだ世界に閉じこもっていたい、というのが今の気分です。もう42歳だし、若者じゃないし、許して。

 

って、書きながら思いましたけど、最近、ヘッドホンからしゃかしゃか音を漏らしている人がめっきり減ったように思うんですが、マナー教育のたまものでしょうか? 私の生活時間帯が変わって、そういう若者と乗り合わせなくなっただけ???