心の中にはいつも複数の自分がいる

インプットががつがつ進むようになりました。

 

 を読みました。1年ほど前からマインドフルネス(瞑想)に興味があったのと、ここ数週間で、もしかして私はつらいと言えなかっただけでけっこうつらい思いをしてきたのでは?と思うようになったので。

 

まわりの人、特に年下や女性を見下す「オレ様」医者で、背中の痛みを取りたいのだけど背中の痛みのことを考えるのが怖い、というヨウスケさんの話が3分の2くらい。なんだか疲労感が抜けなくて、その疲労感の原因を探ってみると、いつもいつも「誰かに悪いから」と自分の人生を生きていないワカバさんの話が3分の1くらい。

 

先に私の話をすると、私自身には「オレ様」的なヨウスケさんの部分も、「誰かに悪い」と気遣うワカバさんの要素も、どちらもある。それはもちろん誰でもそう。そして、どちらかにバランスが振り切れて自分がつらいわけでは決してないので、どちらのタイプでもなく健全でありましょう、ということを思った。

 

まあ、そもそも自分の人生がつらくて読んだわけではないので、この本で救われた、ということにはならないのですが、でもこの本、恐ろしく読みやすくて非常に具体的なので、マインドフルネスとか、認知行動療法とかの基礎がとてもよく分かります。

 

マインドフルネスのワークについて、具体例がたくさん載っているので、なんとなく興味はもちつつ、マインドフルネスとか瞑想とか、どうやっていいか、どんな効果があるのか、よく分からないままだったけれど、それができるようになった気がします。日々、時間がなくてついつい1日の中でやらずに過ぎていってしまいそうだけれど、わーっ、ってパニックになりそうなときは、目の前に流れる川を思い描いて、そこに流れていく葉っぱに思考を乗せる、という葉っぱのワークをしてみたらよいかも、と思う。

 

あと、認知行動療法についても、きちんと理解できたのがよかった。何かの環境や事態に対しての反応を、認知/気分・感情/身体反応/行動の4つに分けて、それらをモニターし、認知と行動の2つを変えていく、という手法。感情と身体反応は変えられないから、変えられる2つを変えて、反応してしまう感情と身体反応によるツラさを軽減していくというわけですね。

 

うーん、昨日の映画を見た感想と合わせてみると、私はたぶんわりと日々をマインドフルに生きていて、それでもツラくはならないから、やっぱり感情の筋肉が強い、ってことなんだろうな。筋肉が強いっていうことは、大きな力が出せる、ということだけじゃなくて、必要なときに必要なだけ、という繊細なコントロールができる、ということなのではないかと。

 

子供が固くしまった瓶のふたを開けようとして、うーん、うーん、ばーん、みたいに最後の最後で力のコントロールができずに中身をぶちまけてしまう、みたいな場面、あれは力が足りないのではなく、微妙なコントロールができないからそういう事態になってしまうわけで。筋肉の強い大人が開ければ、力を入れつつも、ふたがゆるんだ瞬間に力を軽減する、というコントロールができるわけで。

 

感情の筋肉が強い、というのは、ものすっごい悲しい映画をみてどん底まで悲しんだとしても、映画が終わった後とか、少なくとも翌日とかには立ち直って、日常生活を送れる、という意味なのかな、と。

 

もちろん立ち直れない悲しみもあるけれど、それでも人は生きていかなければいけないわけで。忘れたくないような悲しみもあるけれど、忘れることには忘れることの意味があるわけで。

 

と、書いていたら、忘れたいことを思い出してしまった。人間って、矛盾に満ちている。だから面白い。

 

久しぶりに長くなりました。