現実的に現実を見据える

明日で、仕事が終わろうとしている。仕事オンリーの人生ではないし、仕事最優先の人間でもないつもり。だけれど、納税義務のある大人だし、っていうか、いちおう会社を代表する立場だし、仕事のことは人生だったり、私という人間だったり、この1年だったりの、かなりの大きなパーセンテージを占めることは間違いない。

 

しかしなー。

 

この1年、仕事で何かを成し遂げたという手ごたえがないのが、とても悔しい。真面目に、真摯に、誠実に取り組んではきたけれど、これをやった、これを手がけた、これを達成した、みたいなものが、ないのだ…。

 

たぶん、傍からみたらそんなことはなくて、それなりにやってきたこともあるし、成功させたプロジェクトもあるし、私が会社をやってることで恩恵を受けた人もたくさんいるのだと思う。

 

だけど、なんだ。私は、自分に厳しすぎるのか?

 

自分の人生を振り返って、これまで努力なんかしたことないんだから、これから先もできるはずがない、とか思っちゃうのです。何なんでしょう、この自己評価の低さ。

 

私を支えてくれる人もたくさんいるし、私と一緒に働きたいと思ってくれてる人もいるし、今年に出会った人から新しく仕事をいただくなんてこともちょくちょくあった。それって、誰にでもできることではない、と思うのだけれども、それでも私の自己評価は低い。

 

2018年に、自分で点数をつけるとしたら、60点くらいだ。なんてからい点数…。だけど、これは、現実的な数字だと思う。だって、100点満点を出さないと、会社はまわっていかないのだから。

 

100点をとるために、方法がわかっていれば努力もできる。だけど、そのための方法が分からない。分からない、と言っている時点で60点だと思ってしまう。

 

しかし、こんな自己評価だということは、まわりには伝わってないし、見えていないのだろうなあ、ということも思う。がんばってるアピールもしてないし、ふわふわと、やりたいことだけやってる、いつもふざけている、ひょうひょうと物事をこなしている、というように見えているのだと思う。

 

それを恨むわけでもないし、それは誤解だ、なんて言うつもりもない。60点の自己評価を下したところで、40点分を挽回する姿を見せていない限り、真面目にやってない、全力でものごとに取り組んでいない、と見えているのは事実になってしまうと思う。

 

困るのは、ここまで自己評価がからくても、それで落ち込んだり奮起したり誰かに助けを求めたり、しないことなんだよな…。それができたらたぶん、また違うのだろうけど。

 

キャラって変えられないですねー。

 

今日はこれから忘年会。あまり乗気ではないです。なぜかというと、昨日からお腹の調子が悪いから。えーん。ではでは。