人生における大きな不安

私は今、体力的にも精神的にもすこぶる元気で、たぶんあんまり誰にも迷惑をかけていないと思うのですが、じゃあこのまま年をとっていけばそれで安泰か、というとそういうわけにはいかない気がします。いかない気がします、とは書いてみたものの、もしかしたら、そういうわけに行くのかな? もしかして?

 

将来に何の不安もない、という人はあんまりいないと思いますが、じゃあ具体的に、私は何が不安かというと、何が不安なんでしょうか。

 

まず1年以内に確実に起こると予想されることが、長男の受験です。ひっそり、しっかり、受験生になっておりました、長男が。中学3年生です。まるで信じられませんが、1年後には高校生になっているはずです。どこでどんな高校生になっているか、見当もつきませんが。

 

高校生になるためには受験が必要です。入試を受けるわけです。入試にお金がかかります。入学にもお金がかかります。高校生活にもお金がかかります。

 

私、お金はらうのかな?

 

なしくずしで夫と別居して、まだ離婚ということにはなっていないので、養育費だとか婚費だとかがあいまいなままです。いちおう、給食費とPTA会費は、私の口座から引き落とされているので、いざ離婚ということになったときにも、それほど不利にはならないはずだ、と弁護士からアドバイスもらってます。

 

しかし、義務教育と違って、高校生活が始まるとしたら、やっぱり私は何かお金を払う必要があるのかな?

 

お金を払う必要があるとして、そりゃまあ、払えばいいだけの話だから、別に大したことではありません。子どもたちの学費は、ちゃんと預金口座を分けてある。それを出せば、訴えられることはあるまい。

 

というか、離婚もしてない状態で訴えられるっていうのが変な話なわけで。

 

長男の受験より先に、離婚することになるだろうか。まあ、それはなるかもしれませんね。先方(夫)の考えもありますから。

 

離婚することになったら、何かが変わるかなあ。

 

と考えてみるけど、別にこれも、特に変える必要もなさそうだし、籍が抜けて恋愛が自由になる(ひゃっほー)だけの話で、別に不安になる要素もない。

 

会社がつぶれる? それもありえますね。吹けば飛ぶような会社です。というか、吹かれなくてもこのままクラッシュする可能性は大きい。

 

しかしまあ、つぶれたからといって、慌てることもない。次の就職口を探せばよいだけのこと。

 

と考えると、結局、私の人生って別に不安もないんじゃないかな…という結論が出ました。

 

こんなナメた考え方で、この先も生きていって大丈夫でしょうか、というのがいちばん大きな不安です。

 

おやすみなさい。

読むだけ無駄な文章

私、いちど見た映画はほとんど2回目を見ることはないし、本も、いちど読んだら読み返すってことをしないし、外国に行くならまだ行ったことのない国に行きたい。

 

なんでもかんでも法則にしてしまうのはどうかと思うけれど、新しいことをするのが好きだ。新しい人に出会うのが好きだ。

 

イベントに参加するときは、友達を誘ったりしないで一人で行く。友達に自分の趣味を押しつけるのが申し訳ないというのもあるけど、友達と行くと、経験が友達と一緒に過ごした、というところに重点が置かれてしまって、参加するイベントの意味が薄まってしまうような気がするのである。

 

映画も、一人で見に行く。旅行も一人で行く。

 

と書いて、うーん、新しいこととか新しい人が好きなんじゃなくて、私は一人が平気なだけかな、という気がしてきた。

 

わりとなんでも一人でするのが平気だ。一人でいるのがいちばん気が楽。

 

でも、なんでもかんでも一人でやってしまっていると、どんどん孤独になるから、やっぱり誘ったり、誘われたり、というのもある程度必要ですね。

 

ああ、すみません。ぐるぐるとくだらないことを書いています。なぜかというと、今、またお風呂のお湯を張っているのです。

 

いろいろすぐに法則化したくなるのは私のクセですが、法則化したそばから、反例を見つけて、いや、そうとも言えないな、と書いてしまうのも私のクセです。

 

こんなぐるぐるどうでもいいことじゃなくて、もうちょっと何か、方向性のある話を書きたいものです。

 

読む前と、読んだ後で、何かが変わるような。何か新しい知見が得られるような。

 

そうですねえ。

 

いや、すみません。そんな文章がさらさら書けたら、苦労はいらないです。世の中の

、ひと様の、お役に立てるような文章が楽に書けてしまうようなら、こんな匿名のブログは書いていないかもしれません。

 

仕事がひと段落して、今日は早くに帰ってきたのですが、時間を持て余してしまいました。やるべきこと、たくさんあるはずなのに。いざ時間ができると、何をしたらよいのか分からない。

 

去年は、ひたすらに映画を観ていたと思うのですが、ひたすらにDVDを借りてきて、ふとそれもけっこうなお金がかかっているぞ、ということに思い至り、節約しはじめたら、もう一気に全然見なくなってしまいました。

 

極端なんだよな…私。ブームが来て、ブームが去る、みたいなことを繰り返してしまう。4年前には、一眼レフにはまっていた。また、何かブームが来てくれるとよい。

 

お風呂はいってきます。おやすみなさい。

景気のよろしくない話

ほんっとーーーにお金を節約したかったら、「まあこのくらいいいよね…」をやめて、とことん買うものを絞り込むしかないと思うのですが、それってあまりに寂しい生活なのではないか、という気がしてしまって、ついつい「これくらい、いいよね」って買い物をしてしまいます。

 

最近それをやったのが、レモン&ジンジャーのティーバッグ。何千円もするもんじゃないです。たかだか300円くらいのものだったと思います。もしかしたら200円代だったかも。

 

ですが、その200円だか300円だかは、節約しようと思えばできた出費なのであって、それを思うと罪悪感がうずき、買ってきたティーバッグの箱を開けられずにおりました。なんか、かわいいな、私。

 

しかし、箱を開けてないからといって、返品するほどめんどくさい決断をするわけでもなく。そろそろ罪悪感も薄れてきたころなので、さっき初めてお茶を入れましたが、うん、おいしい。若干、入浴剤っぽい気がしますが、いや、それはむしろ、入浴剤のほうが食べ物を使ってるからそうなるのであって、ハーブティーに罪はあるまい。(入浴剤にも罪はないけど。)

 

これくらいの手軽なおいしさ、贅沢さ、人生に許されるべきよなあ、と思うわけですが、しかし、この「これくらい」というのがチリつもで恐ろしいことになるのですよねー。

 

ちょうどよい贅沢ができるくらいのお金を稼ぎたい、と思います。なかなかそれが難しいわけですが。

 

欲しいものが、いろいろあります。フライパンのふた。スリッパ。電子辞書。財布。かばん。財布もかばんも、気に入って使っているけれど、さすがに汚れすぎかと。

 

あと、欲しいものではないけれど、顔のシミをとる手術あるいは化粧品。顔のシミは、気になる時期と気にならない時期があって、ここしばらくは気にならなかったのですが、最近また気になりだしました。そのうち収まるはずだから、しばらくは様子を見る。ここでまた出費してしまうと、それこそ自分の首を絞めることになる…。

 

なんだか景気の悪いことばかり書いていますなあ。

 

今日は、お風呂を出てから、何かやらなきゃ、何かやろうと思ってたんだけどな、と思って、なんだか思い出せずに、もうそろそろブログ書いて寝るかー、とパソコンに向かい、800字を書いたところで思い出しました。マニキュア塗ろうと思ってたんだった。

 

うーん、これから塗ると、寝るのがますます遅くなるし…今日はあきらめよう。寝よう。

 

おやすみなさい。

私のことを気にかけてくれる人

なんとなくこの半年くらい、世界に対して反抗期というか、ぐれてしまっているというか、ほとんど世捨て人のような生き方をしている…と思っているのですが、それでもなぜか、老若男女問わず、一定の人々が私のことを好きでいてくださるようで、ありがたいことです。美術館のタダ券もらったからよかったら一緒に行く?と友人に声をかけたら応じてくれたし、仕事の相談をさせてくださいとメールした年上の男性からはせっかくの機会なのでよかったらお寿司につきあってくださいとお返事いただいた。もうこの先の人生で、男性からお寿司に誘われるなんてないかもしれないと思ってたから、嬉しいです。純粋に。たとえ相手が父親と同じ年齢だとしても。

 

今、かなり好き勝手にわがままな生き方をしていると思うけれど、それでも私のことを見捨てないというか、私に会いたいと思ってくれる人がいるというのは、本当に幸せなことです。たぶん、私は自分自身でわがままにふるまっているつもりで、それでもまわりにお構いなしにふるまうとか、奇妙キテレツな行動に走るとか、そういうことはしない人間、なんだろうな。

 

子供たちも、まだ私のことを見捨てていないみたいだ。次男は今年、10歳になる。「つの付くうちは甘えさせ」という言葉があって、「やっつ、ここのつ」の9歳までは子どもに甘えさせてやりなさい、という意味らしい。けど、うちの9歳は、もうあんまり甘えてこない。逆に、「ちょっとあんたお母さんのひざに来なさい」「えええ、なんでー」「いいから、お母さんがぎゅーしたいんだから、こっち来なさい」「もーやだよー仕方ないなー」みたいな会話がかわされております。さっきも同じようなやりとりをしたけど、息子をひざに乗せて「10歳になったらもうこんなことしないからさ。今だけね、ぎゅー」とハグしたら「もー、しょうがないなー」と言っていた。

 

長男も、娘も、次男も、みんな大人だ。うちの子どもたちは、大人だ。

 

私がいちばん子供っぽいかもな。家族の中で、好き勝手にふるまってるから。ほとんど何の責任も果たしてないし。

 

何度も、何度も、書いているけれど、このブログを始めたころ、私は一人で老いていくのが怖かった。老いて、私のまわりに誰もいなくなってしまうのが怖かった。だから、「誰か私と一緒に老いてくれないか」というタイトルのブログを始めて、別居を始めた夫とは違う他の、伴侶を見つけたいと思っていた。

 

今は、その願いはない。だって、私と一緒にいようがいまいが、みんな老いていくのだから。

 

いつもこのブログを読んでくださっている皆さん、ありがとうございます。そろそろ、一緒に1年以上を老いてきた感じですよね。長い間お付き合いいただき、本当に感謝です。

 

たぶん、ずっとこんな感じで続けます。人生も、ブログも。

 

おやすみなさい。

 

心の底からくっだらない文章

なんとなく最近、また節約が全然できてなくて、けっこうお金を使ってしまっています。我慢が続くのって、よくない。めちゃめちゃ買ってるわけじゃないけど、ついつい、これくらいいいかー、という買い物を続けています。ちりつもで、お金の減りが早い。

 

今日は、どうしても液体の入浴剤が欲しくて、なぜだか分からないけど、乳白色の体がしっとりする感じのお湯に入りたくて、閉店間際の薬局に行ったのだけど、なーぜーかー、詰め替え用の袋しかなくて、もともとのボトルが売ってないもんだから、買えなかった。無念。仕方ないから、バブのミルキータイプというのを買ったけど、違うんだ。私が欲しかったのは、液体の入浴剤なんだ。

 

なんでここまでこだわり強く、液体タイプの入浴剤を入れたお風呂に入りたい願望が抑えられないのかも、よく分からないけど、なんとなくあきらめたら負け、みたいな気持ちになっている。結局買えなかったわけだから、負けてるわけなんですが。

 

ほんっとにどうでもいいことばっかり書いていて、すみません。

 

そして今、お風呂のお湯を張っているんです。1000字を猛スピードで書き上げないと、お風呂のお湯があふれるんです。こんなときに「書き上げないと」を「かき揚げ」とかって誤植されると焦るんです。かき揚げのためにお風呂のお湯があふれるって、なんじゃそりゃ。

 

くだらない文章を書いてはいけない、という法律がなくて、本当によかった、と思います。そんな法律ができた日には、私は完全に犯罪予備軍です。毎晩毎晩、ひやひやものです。

 

この文章を読んで不快に思われる方がいらっしゃったとしたらお詫びいたしますが、と書いてはみたけど、いや、謝りませんよ。読まなきゃいいんです。世の中には、もっと素晴らしい文章があふれています。

 

そういえば、会社のツイッターでフォローしている人の発言が、どうにも気に入らないのだけど、その人の言っていることはめっちゃ偉そうだけど、間違ったことを言っているわけではないので、そんなのフォローを外せばいいだけの話なんだけど、なんだかフォローを外したら負け、という気がして、毎日、毎日、その人の偉そうなツイートを読んでいる。その人、「僕は偉そうな人が嫌いです。偉そうな人たちって、なんでそんなに威張った表現をするんでしょうか。」って、めっちゃ偉そうに書いてるんです。偉そうに見えるんですよ。

 

結局、偉そうにしてるかしてないか、って、偉そうに見えてるか見えてないか、ってことなんじゃないかと思いますね。

 

お風呂、大丈夫かな。

 

ちょっと予定より多く入ってしまったけど、まあ大丈夫でした。んでは、バブのミルキータイプのお風呂に入ってきます。不本意

 

おやすみなさい。

 

感情的にはもうなれない

もう1年ほど、会いたいなー、会いたいなー、と思っている人がいて、今日の夕方にふと連絡してみようかな、と思って、LINEでメッセージを送る、その手前、感覚で言ったら95%のところまで心が動いたのだけど、結局、何もしなかった。最後の最後で、冷静になってしまったのだ。会ったところでその先にどうするんだ、とか。会ったところで私に何のメリットがあるんだ、とか。

 

そういうことを考えた時点で、もう感情に身をまかせることはできなくなっているわけだから、ああ、もう、そういう衝動は私には起きないのかもなあ…。

 

感情をなくしてしまうことが、あまりにもつまらないことだと思えて、いくら年齢を重ねたからといって、感情は大切にしよう、と思っていたのに、この体たらく。

 

人生、面白い方に面白い方に、と進めていくのもよいけれど、前回も書いたように、私はそういうことを好む人間ではない。

 

ああ、書いていて、ぐるぐるしてしまう。

 

面白いことを切り捨ててしまえば、人生はつまらなくなる。面白いことだけを追い求めれば、人生は不安定になる。

 

すべてはバランスなのかもしれないけれど、バランスをとることだけを考える人生なんて、それこそつまらない。

 

こんな風に考えていることだって、相手は全然知らないわけだし、知らないことはないことと一緒になってしまう。こんな風に思っているんだよ、ということを伝えるためには、会いませんか、と連絡しなければならない。

 

しかし、その先の最良のパターンが思い描けないのだ。

 

最悪のパターンは、返事が来ないこと。もしかしたらLINEのアカウントがブロックされていて、読んでさえもらえないかもしれない。

 

返事が来たとしても、会うことを断られる、ということだって考えられる。会ったところで、私がみじめな思いをするだけかもしれない。

 

とまあ、悪いパターンは思い描けるのだけど、じゃあだったら、どうなったら私は嬉しいんだ、というと、それが何も思い描けないわけなので、連絡するのもやめよう、となってしまったのだ。

 

いや、違うな。最良のパターンは、あるけれど、それがあまりにも可能性が低いというのと、万が一、本当に万が一、そのパターンになったとして、それに付随するリスクがいろいろ大きいのだ。結局、メリットがデメリットと抱き合わせなのだ。

 

だからといって、デメリットにはメリットが抱き合わせにはならない。デメリットには、デメリットしかない。

 

やっぱ、連絡しなくていいんじゃない?

 

と、冷静になってしまう自分が、年とったなあ、と悲しいのであった…しくしく。

 

おやすみなさい。

 

インパクトを受けましたのでレポート

うーんと、わりと、まあ、私の人生に大きなインパクトを与える出来事が、さっき起こったばっかりで、それを自分がどう受け止めたらよいのか分からないので、文字にしてみる。

 

と、書きだしたは良いものの、やっぱりあまりにインパクトが大きくて、文字にできない。感情と、思考と、行動と、どこから手をつけてひも解いていったらよいのか、途方に暮れてしまう。

 

と、書きだしたことで分けることができるのであった。やっぱり文字にするってすごい。

 

感情。思考。行動。

 

感情。いちばん大きな感情は、恐れだ。不安、かもしれない。そう、大きなインパクトを与える出来事というのが、私はこれを喜ばしいことだと思っていないのだ。自分で招いたことだとは言え。

 

だったらなぜ、そんな恐れや不安を招くような種をまいたのか、というところにさかのぼる。なんでだ。なんでかっていうと、責任を取りたかったというのが1つ。そしてもうひとつは、自由になりたかったというのが1つ。

 

自由には責任が伴うのだ、というのをしみじみとかみしめている。自分で責任をとることで、自分を自由にして、そしてその結果、不安におののいている。

 

責任をとったことで、他の誰かを自由にした、のかもしれない。他の誰かのために私が不安を引き受けた、のかもしれない。

 

だけど、ここにフォーカスすると、その人に対する感情がふくらんでしまうから、そこに目を向けるのは、やめよう。

 

あくまでも、私が引き受けられるのは私の感情だけだ。

 

不安。恐れ。それから? なんだろう。自分にちょっと呆れている、かな。なんでそんな無謀なことをするんだよう、みたいな。

 

無謀であることに、本当は私は誇りをもつような性格じゃないんだよな。本来の私は、冒険を好んだり、賭けに出たり、そんな無茶を自慢するような、そんな人間じゃないんだよな。

 

なんだけど、それ以上に、責任を取りたかったのだ。自分にとれる範囲の責任なのだから、これを無謀や無茶だと考えないように、しよう。

 

思考。思考は、今はストップしているな。完全に感情が勝ってしまっていて、思考することができない。だから、行動もしない。感情にまかせて行動するなんて、それこそおろかなこと。それをしないでいる、というだけの思考が、かろうじて残っている。

 

だから、思考をともなわなくて良い行動を。とりあえず、パソコンの電源を落として、コートを来て、忘れずに傘を持って、家に帰ろう。家に帰って、眠ろう。感情に打ち勝つ思考が回復するように。

 

おやすみなさい。