感情的にはもうなれない

もう1年ほど、会いたいなー、会いたいなー、と思っている人がいて、今日の夕方にふと連絡してみようかな、と思って、LINEでメッセージを送る、その手前、感覚で言ったら95%のところまで心が動いたのだけど、結局、何もしなかった。最後の最後で、冷静になってしまったのだ。会ったところでその先にどうするんだ、とか。会ったところで私に何のメリットがあるんだ、とか。

 

そういうことを考えた時点で、もう感情に身をまかせることはできなくなっているわけだから、ああ、もう、そういう衝動は私には起きないのかもなあ…。

 

感情をなくしてしまうことが、あまりにもつまらないことだと思えて、いくら年齢を重ねたからといって、感情は大切にしよう、と思っていたのに、この体たらく。

 

人生、面白い方に面白い方に、と進めていくのもよいけれど、前回も書いたように、私はそういうことを好む人間ではない。

 

ああ、書いていて、ぐるぐるしてしまう。

 

面白いことを切り捨ててしまえば、人生はつまらなくなる。面白いことだけを追い求めれば、人生は不安定になる。

 

すべてはバランスなのかもしれないけれど、バランスをとることだけを考える人生なんて、それこそつまらない。

 

こんな風に考えていることだって、相手は全然知らないわけだし、知らないことはないことと一緒になってしまう。こんな風に思っているんだよ、ということを伝えるためには、会いませんか、と連絡しなければならない。

 

しかし、その先の最良のパターンが思い描けないのだ。

 

最悪のパターンは、返事が来ないこと。もしかしたらLINEのアカウントがブロックされていて、読んでさえもらえないかもしれない。

 

返事が来たとしても、会うことを断られる、ということだって考えられる。会ったところで、私がみじめな思いをするだけかもしれない。

 

とまあ、悪いパターンは思い描けるのだけど、じゃあだったら、どうなったら私は嬉しいんだ、というと、それが何も思い描けないわけなので、連絡するのもやめよう、となってしまったのだ。

 

いや、違うな。最良のパターンは、あるけれど、それがあまりにも可能性が低いというのと、万が一、本当に万が一、そのパターンになったとして、それに付随するリスクがいろいろ大きいのだ。結局、メリットがデメリットと抱き合わせなのだ。

 

だからといって、デメリットにはメリットが抱き合わせにはならない。デメリットには、デメリットしかない。

 

やっぱ、連絡しなくていいんじゃない?

 

と、冷静になってしまう自分が、年とったなあ、と悲しいのであった…しくしく。

 

おやすみなさい。