父の教え

本を読むこととか、物事をよく知ってることをカッコいいと思うのは、父親がそういう人だったから。

 

高校生のときだったか、大学生になってからだったか、あるいはもう社会人になっていたのだったか。

 

場面も、お店のショーウインドウで見たのだか、テレビの画面に写ったのだか、本の表紙に使われていたのだか、何も覚えていない。

 

けど、父親が、目の前の、ロシアの、見たことのない形の、やかんのようなポットのような物体を指差して、「これ、何て言うか知ってるか?」と聞いたのだ。

 

私が知らないというと、父は、「サモワール」と言った。

 

よくそんなこと知ってるな、という以外に感想もなく黙っている私に、父は「本を読まないからだ。本には何でも書いてある」と言った。

 

本を読めば、知識が身につくのか。知識を身につけるためには、本を読めばいいのか。

 

たぶんそれ以来、私には、何のために本を読むのか、という疑問がなくなった。

 

父は、私が小学生のときに、何のために勉強するのか、という疑問もなくしてくれた。この話はまたいずれ。

 

うさぎ(かも)占い

毎週月曜日、VOGUEのしいたけ占いを読んでは、「なるほど、しいたけさん、いいこと言うなー」と思い、「そうだな、今週はこのアドバイスに従ってみよう!」と思いつつ、火曜日にはすっかり忘れている。

 

ちょっと、私のまた腹黒い心が。

 

・・・

 

「慎重に。心を満たして」のマリンブルーが出ています。まむし座ってすごく極端なのが、ものすごく世話好きのおばちゃんのようにまわりに気を遣う人だと思ったら(「体調悪い? 大丈夫?」「なんかいいことあった? オーラ出てる!」など)、急に「哲学者」みたいになって引きこもって、自分を見つめなおしたりします。そういう、ひとりの人格のなかにものすごく強い「外向」と「内向」があるのです。ですから、自分が好きなことやものの素晴らしいところを周りに説いていたと思ったら、急に「いや、今、自分にはこれよりもっと大切なことがある」と切り捨ててしまったり。それでみんなが「この人は〇〇が好きなんだな」と思って誘ったり水を向けたりすると「あ、それはもういいの」とあっさり否定するお茶目なところもあります。

 

・・・

 

今週のあなたにぜひ試してもらいたいことがあって、思いつく場所や相手があったらで結構ですので、いつもひとりでする散歩やカフェでの休憩に、誰かを誘ってみてほしいのです。雰囲気や見える景色が気に入っているとしたら、それを相手に紹介するような気持ちで。そこで「今年もあと4か月だね」ということを話題にしてみてほしいのです。それはつまり、「過ぎてしまったことと残されていること」を共有することなのです。「今一緒にいるあなたとは、永遠のつきあいじゃないかもしれないけど、少なくとも今年が終わるまでは一緒に何かに取り組めそうだよね」など。あなたはときどきその一瞬でも確かに一緒にいる相手を必要とします。それをやると「私はいつも孤独なわけじゃない」ことがわかり、逆に誰にも邪魔されない自分をより大切にできるようになるからです。恋愛面は、好きにしなさい。

 

・・・

 

わはは、パロって書いてみた。しいたけさん、ごめんなさい。

 

恋愛のことを「好きにしなさい」っていうのは、むかーし大好きでよく聞いてた赤坂泰彦さんの人生相談。いつも「好きにしなさい」って答えてたの。ほんと、好きにしたらいいよ。

 

メッシー女

「タダ飯食わせてやる」以外に、母親が息子の気持ちをつなぎとめておく方法ってあるのか? 女の最大の武器である肉体を使えない、息子という相手に対して?

 

完全母乳で8か月、離乳食に幼児食、マクドナルドにサイゼリヤ、もちろん朝食、弁当、夕食。ついでに言えば、給食代は今も私が払ってる。

 

息子が自分で稼げるようになって、自分で食べたいものを食べられるようになって、食べる時間も相手も自分で選べるようになったとき、それでも息子が母親のところに来る理由はあるのか?

 

中1の長男に、久しぶりに私の作ったスープを飲ませて(「久しぶりに作ったら作りすぎちゃったけど、食べる?」とだまくらかして)、無言だけど平らげてくれた空っぽのボウルを見ながら、そんなことを考える。

 

いやな気持ちの理由を考える

私の運がいいのは、いつもよい気分でいるからなのか?

逆に、運の悪い人は、よくない気分でいることが多いのか?

 

「誰だっていい気分でいたいし、わざわざよくない気分でいる人なんていないし、それと運の良さって関係するのか?」

と、思うかもしれませんが…

 

いや、私はですね、自分で「運がいい」って思うのは、起こったことの良いことだけを覚えていて、悪いことを忘れるから、「私って運がいい」って思い込むのではないか、と思いますね。

 

“いやな気分”に支配されて、抜け出せない人が多いのも分かります。

他のことが手につかなかったり、どうも調子が出なかったり、一日が台無しになったと思ったり。そんな日は、生産的なことなんて、何もできない。私にだって、そんな日はある。

 

逆に、“いい気分”の日は、いやなことが気にならない。「私って天才!」と思うほどに、仕事がはかどる。プライベートもうまくいく。トラブルがあっても、それを乗り越えることで、さらに自信がつく。

 

そんな日は、もちろん「いい日だった」と思える。

 

いやな気分の日…。私は理由を考えます。なんで気分が晴れないのだろう。何が良くなかったのだろう。

 

実は、昨日、「私は毎朝きげんがいい」と書いておきながら、今朝は、起きてからずっと、気分がふさいでいます。

 

理由ははっきりしているのです。昨日、深夜にとあるメールが届いたから。

 

私はいつも、いつも、その人からのメールに攻撃性を感じてしまうのです。なぜか、不必要に責められている気がしてしまう。内容は、仕事の交渉なのだけど…。

 

そこでまた、理由を考える。なぜ、私はこの人からのメールに攻撃性を感じるのか。私の、何が傷ついていると感じるのか。私は誠意を見せているつもりなのに、それを汲み取ってもらえないと感じているのか。私は努力をしているつもりなのに、それを認めてもらえないと感じているのか。私は敬意を払っているつもりなのに、それを感じてもらえていないと感じるのか。

 

彼女(その人は女性です)が、本当に私を攻撃しているのであれば、逃げればよい。逃げられないのはなぜか。逃げないという決断をしているのは私。

 

いやな気分にふりまわされるのは、ふりまわされたくて、している。その原因をなくせばいいのに、なくすことのできない理由に、見て見ぬふりをしているから。

 

すべての状況は自分が作り出したもので、自分次第でどうにかできるものなのです。本当は。私は、できる限りのその原因を除いているつもり。だけど、全部ではない。人間関係の全てをコントロールなんて、できない。

 

我慢できる量には個人差がある。ものすごい我慢強い人(たとえば私の母)の我慢ポイントが100だとしたら、私は10くらい。だけど、ゼロではない。その10を使うことで、いやな気分になる。いやな気分を我慢することに、その10を使う。

 

あとね、いやな気分に理由が見当たらないときは、体調だと思ってます。そんなときは、とにかく寝る。寝る。寝る。ひとばん寝る。

 

人間って、生き物ですから。「心がつらいときは、身体がつらいとき」。これ、半年くらい前に友達から言われて、めっちゃ刺さってます。

 

さーて、気分を上げるためにキュー〇ーコーワゴールド飲もう。私はスピリチュアルより、製薬会社を信じているのでね。

 

私は毎朝とても気分がいい

私は本当に運がよいと思っています。毎日が幸せで、わざわざ考えるまでもなく、良い気分で過ごしています。思い返してみても、あー、あれは気分が悪かった~、とか、あの数日間は気分が悪い日だったなー、とか、思い出せない。

単に忘れてるだけかもしれませんが。

 

朝、目が覚めると、「ああ、幸せ」と思う。一人で目覚めて、家の中には私だけ。目覚ましをセットしていなくても十分に早起きで、急かされるでもなく、二度寝したいわけでもなく。

 

特に何かをしているわけではないけれど、とにかく、毎日幸せで、まいにち気分よく過ごしている。

 

気分という字は、“気”を“分ける”と書くけれど、たぶん、眠ることですべてがリセットされるのだと思う。だから、睡眠は大事。いやなことは、一晩寝たら、忘れる。本当に、私の場合、忘れてしまって思い出せない。

 

もちろん、いやなことがあったらいやな気分になるし、悲しいことがあったら沈むし、辛いことがあれば落ち込むし、腹が立つことがあれば怒りたくもなる。

 

だけど、それは、それ。そんなときに「気分よくなりたい」なんて、無理して気分転換するなんて馬鹿げているし、泣きたいときは泣けばいいし、怒りたいときは怒ればいい。ただし、一人で。あるいは、しかるべきお金を払って、カウンセラーの前で。

 

いい年した大人が、感情をむき出しにするのは、見ていてあまりみっともいいものじゃない、と思う。

 

私がいつでも毎日を幸せに過ごすことができているのは、まわりへのマナーだと思っているから。気分が悪いのは私の責任。体調管理には限界があるけど、気分管理は大人のマナー。「今日はキゲンが悪いんです」なんて、ぷりぷりしながら仕事するような人と、一緒にいたいわけがないでしょう。

 

無理やり自分の気分を変える必要はないと思う。けれど、時と場所をわきまえることを、忘れてはいけないと思う。

 

本当に、悲しんでもよいとき。たとえば大切な家族や友人をなくしたとき。それは、世間の側が、悲しんでもよいよ、と多めに見てくれます。

 

失恋したとき? それは、世間も認めてくれないでしょうね。なぜなら私はもう、大人だから。

 

だから、私だって去年の年末にものすごい失恋をしたけど、ちゃんと社会生活はまっとうしましたよ。男の側は、社会的にえらい迷惑をかけて逃げていきましたけどね。仕事、ほっぽりだして退社しましたから。派遣社員だったから良いようなものの。その尻ぬぐいも、ぜーんぶ私がやりましたから。傷心状態でしたけどね。大人ですからね。

 

 

・・・

 

と、さっきブックオフで200円で買ってきた「貴方もこれで運がよくなる!~毎日をキラキラ過ごすための秘密の魔法100~」みたいなピンク色の本の最初のページを、マネして書いてみました。ピンクの本は「あなたも~しましょう」と書いてあるけど、私は事実に基づいて、「私は~しています」と書いています。

 

100個ぜんぶマネして書いたら、どっかの版元が本にしてくんないかな。

 

今日も1日分老いていく

あなたも、私も。

 

「誰か私と一緒に老いてくれないか」って、パートナーを見つけたくて名付けたブログのタイトルだけど、それって、唯一無二のだれかじゃなくて、ここを読んでる人なら誰でも、一緒に老いていくわけで。

 

さっき、仕事のことで電話した人とそんな話になったのだけど、『ベンジャミン・バトン』でもない限り、誰もがみんな、老いていく。

 

私はブログがなくても生きていけるし、きっとパートナーがいなくても大丈夫なんだと思うけど、考えたこと、思いついたこと、脳内だだ漏れにさせてもらえる場所、それができる技術のあるこの時代だから。

 

はてなさん、ありがとう。

 

ブックオフ、行ってきまーす。