特別なデートをしてきた

仕事の関係でクラシックコンサートのチケットを2枚もらったので、前の会社で研修後に初めて上司になった男性を誘ってデートしてきた。

 

デート? うん。デートだ。電車でコンサートホールに向かうとき、天国にいちばん近いデート、という言葉が思い浮かんだ。その男性は74歳。ちょうど30歳年上なんだな。

 

私はクラシック音楽について何の知識もないけれど、その男性がクラシック好きだということを知っていたのと、とにかく私はこの男性、K島さんのことが、大好きなので、誘ったら快くOKしてくださった。天にも昇る気持ち。天国にいちばん近いデート。

 

大好きだとか、天にも昇るとか、書いているけれど、恋愛感情のようなものとか、肉体的な欲求とかは、いっさいなくて、なんというか、K島さんは、私にとって、愛すべきおじいちゃん。私は父親のことも大好きだけれど、父親に接するのって、なんだか照れとか気まずさがある。その、父親に対する大好きな気持ちから、照れとか気まずさとか、親子だからこそ言えない悩みみたいなものを差っ引いた気持ちが、K島さんに対する気持ち、と説明したら、いちばん近いかもしれない。

 

体も心も、近づく努力もしなくていいし、近づきすぎないように気を遣う必要もない。一緒にいて緊張感がないわけではないけれど、決して疲れることもない。心地よい。

 

そしてK島さんは、愛すべき、かわいらしい男性、なのだけれども、とにかくこの人は頭がよくて、読書量が半端ないし、何でも知っているし音楽や歴史、美術、宗教、とにかく私は、インテリってすげー!っていう、尊敬の念も有り余るほど抱いている。

 

その一方で、K島さんは女の人が大好きで、今日も、昨年に肺炎で入院したときに看護婦さんたちが天使に見えただとか、イタリアに旅行したときに少女から娘になるあたりのお嬢さんたちがどうのこうのとか、とにかくそんな話もこれまでたくさん聞いてきたのだけれど、それは、私が思うに、世間のエロ親父の下ネタとは違って、ただただ純粋に、おいしい料理を食べて「なんてうまいんだ!」とうなるように、美しい花を見て「なんてきれいなんだ!」と褒めるように、女の人のことを「なんてかわいいんだ!」「なんてステキなんだ!」と崇めるのだ。それは、男の人の支配欲とか、相手の女性の反応を見て楽しむとか、そういう下種な感情とはまるで違うものに、私は思える。

 

そんなK島さんにとっての、特別な女性になんてなれるはずもないのだけれど、なれたらうれしい、とそんなことを思う私の方がよっぽど下種だ。特別な女性というのは、もちろん恋愛感情を持ってほしいとか彼女にしてほしいとかじゃなくて、なんだろうな、私がこんな風に大好きだと思っていることを、ちょっとだけでもうれしく思ってくれたらいいな、というそんなささやかな望み、かな。

 

今日、お話を聞いたら、ご長男が結婚されていないそうで。私と1歳しか違わないのだそうだ。えーと、K島さんの娘になれたら…と妄想したけれど、それって、すごく特別な女性になるってことだし、もしそんな関係になれたら私は、たぶんすごくうれしい。(K島さんのご長男をどんな人だか知りもしないで書いてる時点で頭おかしいけど。)

 

肝心のコンサートも素晴らしかったし、コンサートの後で二人で食べたうどんもおいしかったし、幸せ。ほんと、幸せ。

 

おやすみなさい。