人生の下り坂と年齢のことを考える

数日前にお会いしたKさんは20歳ほど年上ですが、今日は、さらに年上、30歳ほど年上の男性5、6人に囲まれて食事するという機会に恵まれました。

 

30歳ほど年上ですが、すてきな人たちです。オーバーセブンティー。オバセブ。たまたま、私の目の前と横の席とななめ前に座られた3人が、3人ともスリムで、なんだか失礼な言い方ですが、細い腕とか、白い頭髪や眉毛、優しげな光をたたえた目などを見ていて、なんともすがすがしい気分になりました。特に、腕。精悍な、という言葉はもっと若くて力強い腕に対する形容詞だと思うので、それとも違うと思います。なんというのでしょうか、かつては男性で、今もたしかに男性なんですが、余計なものがそぎおとされた腕。だからといって、女性の腕では決してなくて、うーん、すみません、まったくもって言葉にすることができません。

 

異性を感じさせない腕でありながら、きっとまだ腕力ではかなわないのだと思います。30歳という年齢の差よりも、男性と女性という性の差の方が、きっと勝ってしまう、その違い。性差というのは、圧倒的なものである、となんとなく思っていました。

 

が、おそらくあの紳士たちは、私を性的な目では見ていないのではないかと思います。それが、とても心地よくて、逆説的に、身をゆだねてもよいような気分に陥ってしまう。父親に対する親しみとはまた違う、身内ではない男性だからこそ感じる心地よさ。だけど、安心していられる信頼感。不思議なものです。

 

年齢ではないのかもしれません。あの紳士たちは、20代であっても、30代であっても、40代、50代であっても、紳士だったのかもしれません。そんなときに出会いたかった。というか、今、そういう年齢の、そういう紳士に出会いたいと思うのですが、それは叶わぬ夢でしょうか。理想を追い求めているうちは出会えないのでしょうか。

 

人間性と、成長のタイミングと、環境と、いろいろなものがうまく合致するというのは難しいものだなあ、と思います。私自身、なかなか成長できなかったし、やっと大人になれたと思ったら、気づいたらもう40代も半ばに到達しようとしている。

 

まだ42歳なんですけど、実はもうすぐ43歳になるので、なんとなく、42歳は40代になったばかりだけど、43歳ともなると40代も半ば、という感じになる気がします。

 

40代、ラクですけどね。ラクですが、明らかに失ったもの、もう二度と手に入らないもの、決して戻らないもの、が確実に増えてきた感覚がある。

 

人生はゆるやかな坂道ではなく、あるとき急に角度が大きく変わるような、あるいは崖から落ちるような、そんなタイミングがあるのかもなあ、と思います。

 

今週も1週間、がんばりました。おつかれさま。