母の持つ2つの発声器官

そうか。今日は母の日か。母になってから12回目の母の日だ。13回目かな? 長男、今何歳なんだっけ。13歳か。じゃあ、13回目だ。

 

母親になって13年。いよいよ母親らしくなってきた、なんてことは全くなくて、「産んだ」記憶がどんどん薄れて、最近の私は子供を産む前の自分にどんどん戻ってきた、という感じがしています。子供たちとも、母との子の絆を築くというよりは、個人と個人の友情を育みつつある、みたいな感じ。

 

まー、何度も何度もここでは書いてますが、母親だからこうしなきゃいけない、とか、子供だからこうしてほしい、とかいう「自分じゃないもの」を基準にしたふるまいは、したくないし、させたくない。年長者が幼い者に生き方を教えなければいけないというのを、私はあまり信じていなくて、子供だろうと大人だろうと、学ぶ人は学ぶし、学ばない人は学ばない。教えてもらって学べるなら、私だってとっくの昔に立派な大人になってますよ。へへーんだ。

 

子供たち、YouTubeばーっかり見てて、少し前は私もイライラしていたけど、大人が本を読みなさい、というのは、本しか楽しみがなかったころの文化でそう言っているわけで、この先、だれでもちゃちゃっと動画を撮れるようになったら、将来、プレゼンの動画を作るときとかに、YouTubeを見ていた表現形式がめっちゃ役に立つ可能性がないわけではない。最近のYouTubeは字幕が出るから、耳で聞いた言葉と漢字の書き方が自然に身につく部分もあるのでは、と思っている。(それだけで書けるようにはならないけどね。)

 

あと、人間、必要に迫られればやるものだ、と私は思っているので、そのほかのいろんなことは、子供たちも必要に迫られたときが来たら、自分たちで自分たちなりのやり方で学べばよい。

 

将来、「母さんがこれをさせてくれなかった」「母さんがこうしてくれなかったからだ」みたいなことは言われたくないので、子供たちが何をしたがっているか、というのは常に見ているつもりではあるけれど。

 

うーん、このパソコンの日本語入力、ときどき変換がものすごく遅くなる~。子供たちが赤ちゃんだったころ、とにかく入力の速さにこだわってAtokのカスタマイズとかしてたけど、今はそこまで時間かける気にはなれないかなー。

 

最近、音声入力の便利さをいろんなところで読みますけど、私の場合、こんな文章を口頭で述べることってできないです。パソコンのキーボードを叩くからこそ、こういう言葉が出てくるのであって、これ、10本の指が、口と舌と喉の役目を果たしてるみたいな感じです。発声のための器官が手の先にもう一つある、みたいな。そして、この口からでないと、出てこない言葉がある。

 

キミたちのお母さんには、口が2つあるんだよ。ふふふ。

 

そんな母の日。