私は拗ねているのだろうか

おはようございます。起きなきゃ、起きなきゃ、昨日、寝落ちしちゃったから早く起きなきゃ、とがんばって自分を鼓舞して、目覚まし時計が鳴った90分後に布団から出てきました。まだ、子供が来ていないから静かだ。昨日から夫が泊まりで外出しているそうで、たぶん、子供が早く遊びにくる。

 

子供たち、うちに泊まっていくことはしない。たぶん、すごく気を使っている。私のところに泊まるのは、父親に申し訳ない、と思っているのだと思う。たぶん。

 

本当のことは分からないし、本当のことなんて1つもない。彼らの気持ちを考えることはできない。私にできるのは、彼らがさみしそうにしていないかを観察するだけ。そして、できる限り子供たちがうちに来たいときに家にいてあげるだけ。

 

子供たちが、父親とどんな生活をしているのかは知らない。楽しそうにしているのか、窮屈にしているのか、私には分からない。まだ籍を抜かない夫を信用するしかない。

 

父親との生活を選んでいるのは子供たちだ。私は、子供たちの気持ちを尊重したい。子供たちには本当に感謝している。この前、次男に「お父さんもお母さんも大人のくせに仲悪くなりやがって」と言っててそのセリフに笑ってしまったけど、父親と母親の両方に気を使って、父親と母親がこれ以上摩擦を起こさないように生活してくれている子供たちには、本当に感謝している。

 

昨日は、久しぶりに下の二人と出かけた。カラオケに行って、買い物をして帰った。この春から小5になる娘は、だいぶ感覚が大人に近づいている感じがある。歌いたい歌を自分で選んで、自信のある歌で採点をしてみたい、とか。2歳下の次男はまだやっぱりまだ子供で、何を歌ったらいいか分からず、そのことに傷ついて拗ねる。

 

もうずいぶん前の本になってしまったけれど、『これからの正義の話をしよう』で、ハーバード大の学生は有意に第一子が多い、という結果があったと記憶しているけれど、第一子って、兄弟の中でどうしたってできることが多く、責任も持たされるから、自己肯定感と管理能力が育つのではないか。末っ子は、兄弟の中で自分を比べて、できないこと、足りないことを感じる場面が多いから、その蓄積で拗ねた人間性が育ちやすいのではないか。

 

と、勝手なことを書いてみた。

 

ちなみに私は第一子で、2歳下の弟がいるが、子供のころは弟は私と比べられて可哀そうだったなあ、と思う。私、中学生までは神童みたいになんでもできたので。わはは。

 

今となってみれば、弟のほうがずっとまっとうな生活をしていて、両親に心配もかけていないし、よき市民、よき父親、よき夫、つまりまっとうな大人として生活している。

 

私はいつからこんな拗ねた、ひねくれた市民になってしまったのか。とほほ。