気持ちがわかるということは
し、ごと、がすすまない♪
し、ごと、がおわらない♪
↑アイネクライネナハトムジークのメロディでお読みください。
仕事、進まないし、終わりません。働いてないんだから、仕方ありません。うがががが。しょうがないんです。いろいろ事情があるんです。
今朝の投稿では、「思う」ばっかり書いてましたね。仕方ないですよね。私は心理学者でもないし。不登校になってしまった息子の友達のことも、それについての現象も、勝手に駄文を書き連ねることに価値があるとしたら、私の考えを字面にすることしかない。私の考えを文字にできるのは私だけだから。
思いは見えないのだから。思いを伝えるためには文字にするしかない。それでも、伝わったかどうかは分からない。
「気持ちがわかる」とか「思いを汲み取る」とかって、双方向的な営みなんですよね。
たとえば、Aさんの悲しみをBさんと分かち合うためには、
Aさん:悲しい思いをしている。
Bさん:Aさんが[悲しい思いをしている]なと思う。
Aさん:Bさんが〈自分が[悲しい思いをしている]ことを分かってくれてる〉と思う。
というように、Aさんにも、Bさんの気持ちを分かる能力がないと、Bさんの能力として「気持ちがわかる」ことにはならないってことなんです。
どういうことかというと、
Aさん:「悲しいよ」←悲しい思いをしている。
Bさん:「悲しいんだね」←Aさんが[悲しい思いをしている]なと思う。
Aさん:「私の悲しさなんてあなたには分からないわよ」
となったら、“Bさんが〈自分が[悲しい思いをしている]ことを分かってくれてる〉と思う。”が成立しないので、いくらBさんがAさんの悲しみを分かっているつもりでも、Aさんによって、それが否定されてしまうわけです。
めっちゃ眠かったのに、こんなごちゃごちゃしたことを書いてしまった。しかも、ちゃんと筋が通ってるのかどうかもよく分からない。
寝ます。おやすみなさい。私の眠さを分かってください。