誰かに会いたいと思うこと

朝、性欲の話をしたので、その続き。

 

自分の性欲を思い切り感じるときに、人は「ああ、私って/俺って生きている!」と感じるらしいです。

 

うーん、なんか違うな。性欲を抑えるというのは感情を殺すというのに似ていて、自分の性欲が動くのを感じると、感情の動きも戻ってきたみたいに感じて、ああ、私生きてる、って思う。そんな感じかな。

 

しばらーくの間、私は男性にときめかなかった時期があって、それはなぜかというと、それより前に、とある男性からひどい仕打ちをされたので、それでもうこの先だれかを好きになるなんてことはないだろう、と思っていたのですね。

 

なんですが、ふいに心ひかれる男性ができてしまって、そのときに、ああ、私はここしばらくの間、感情を押し殺していたんだなあ、と思ったのですよ。

 

心ひかれる、と書くと美しいですけど、結局だれかを好きになるって、性欲が発動するってことですもんね。その図式でいうと、性欲が動くと、生きてるなあって感じがするんですよ。したんですよ、そのときは。

 

生きてるなあ、っていうのともちょっと違うかな。肉体の生命というよりは、やっぱり感情の動き、感情の生命力、って感じかな。

 

性欲が失せてしまうのは、やっぱり心も体も死に近づいてるってことなのかな、と思うと、一抹の寂しさはありますけどね。でも、仕方がないし、それに下手に抗うつもりはないです。いつもまでも若くエネルギーが有り余っているというのも、それはそれでタイヘンそうですしね。

 

限りある人生だから、大切なことに使うのがよいと思います。恋に使うのも、それはそれで悪くないです。好きな人がいる、という世界は美しく力強いものです。

 

一方で、恋ができなきゃできないで、いい。淡くはかない人間関係でも、礼儀を尽くして、敬意をもって、相手が、あなたがいてくれてよかった、と思ってくれるような関係であればいい。私にとって、相手がいてくれてよかった、と思えるような誰かがいればいい。

 

性欲の話と全然関係ないというか、ほとんど真逆なところにある人間関係ですけど、今日の夜は子どもと会う約束をしていて、朝、「お母さん、早く帰ってきてね」と言われて、嬉しかった。子供が、私に早く帰ってきてほしい、早く会いたいと思ってくれているのは、私が母親だからではない。私は、子供が母親を求めるのは当たり前だと思わない。私は、一人の人間対一人の人間として、その関係を3人の子供それぞれに対して結んでいる。積み重ねている。その私に対して、彼らが「早く会いたい」と思うほどに、私を慕ってくれていることが、嬉しい。

 

支離滅裂ですが、性欲と愛情の話。でした。

 

おやすみなさい。