書くことも癒やしのひとつ

せっかくの休日なので、何より好きなこと=文章を書くことをもう一度。

 

今、本棚の整理をしていて、捨ててもよいもの、残したいものを選びながら思ったこと。

 

私は、夫との関係を捨てたいと思ったわけではないのだなあ、と。2年前に離婚したいと思ったとき、私は彼と“他人”になりたいと思ったのだった。それは、決して関係性のすべてをなかったことにして消してしまいたいと思ったのではなく、人と人という、人間関係の基本に戻って、彼にとっての私とはどんな存在なのかを考えてほしかった、ということだった。

 

私は、家族も“他人”であって、どんなに心を許せるメンバーでも、お互いのイヤなことはしたくないし、自分を大切にしながらも、相手が自分に望むことは何か、ということを、常に考えて行動してきた。

 

私にとっての家族というのは、お互いがお互いに対してそのように思いあう集団のことだった。

 

でも、彼にとっての家族は違った。家族とはその中で自分が何も我慢をしなくてもよいもの。家族のメンバーは自分に尽くすべきもの。家族とは、自分が思い通りに支配、操作したいもの、だった。その中でも妻である私は、絶対的に自分の思い通りに動くべき存在であって、感情とか、自由とか、そんなもの妻には必要ないと思っていたのだ。

 

私は、他人という関係に戻って、妻という立場から私を離してみれば、私のことを人として尊重してくれるだろうと思っていた。私の嫌がることはしないように気をつけてくれるだろうと思っていた。

 

だけど、違った。

 

彼にとって私はいまだに「言うことを聞かない妻」「身勝手に出ていった妻」「自分のことしか考えていない(俺のことなんて何も考えていない)妻」であって、なぜ自分たちの夫婦関係が破綻したのか、分かっていないと思う。

 

だから、いまだに他人の家に土足で上がり込むようなことをする。他人としての礼儀を尽くすつもりもさらさらない。悪いのは私で、苦しめられるだけ苦しめてやろうと思っている。

 

だけど、この先だって、いくら時間が経ったって、過去を消すことはできないのだ。関係を完全に切ることはできない。ただ、十数年間、夫婦だった、という関係のもとに、新しい関係を築いていくしかないのだけど、それをできるだけのソースが、今はお互いに残っていない。2人とも、自分を守ることだけに必死で、相手との関係を考えることができないし、ましてや思いやりをもって行動するなんてことはとてもできないでいる。

 

彼のことを考えると、いまだに私は気持ちがふさぐ。どんなに考えても、どんなに想像をめぐらせても、ネガティブな気持ちしか浮かんでこない。

 

だから、考えるのをやめてしまう。考えないでおくというのが、何より自分を守ることになるから。

 

いつか、エネルギーが貯まるといい。自分をきちんと癒して、傷を治して、もう大丈夫だ、と思えるようになるといい。本棚の整理で傷ついてしまうような、そんな日々が遠い過去になってくれるといい。