物語とプロ意識

昨日は『毎日かあさん』を見ました。

 

毎日かあさん

毎日かあさん

 

 

文字通り、これだけ毎日毎日、日常を漫画にして世間に対してその物語を公開しつつ、もちろん素顔も公表して、映画まで作られて、でも、西原さんの全部を知っているのは西原さん本人しかいないのだろうなあ、と思う。

 

映画の中の小泉今日子演じる西原さんは、ものすごく器の大きな女の人で、お酒に溺れた夫を見捨てないどころか、いつもユーモアを忘れず、どんなに深刻な状況でも冗談を言ってまわりを笑わせようとする。

 

それはそれで彼女の本当の部分なのだろう、と思いつつ、そんなつらい状況だったら誰かに頼りたい、と思ったり、何もかも投げ出したい、とヤケを起こしたくなったり、度量の大きさだけでなくお金の力で問題を解決したりしたことも、たくさんたくさん、あっただろうと思う。

 

でも、それがなんだというのだ。小泉今日子さんのナレーションを通じて、西原さん自身が、映画の最初から最後まで、「私はずっとウソをついてきた」と語っている。ウソをつくのが西原さんの仕事なのだ。どんなにつらくても、どんなにキツい状況でも、毎日毎日、ウソを作り出して読者を楽しませるのが西原さんの仕事だったのだ。

 

西原さんは、仕事に対して徹底的にプロフェッショナルだったのだ。だからこそ、膨大な量の作品が世に生み出されているのだ。

 

離婚したカップルである小泉今日子と長瀬正敏が夫婦役を演じているのも、徹底したプロ意識を感じる。私生活と、感情と、それらをものともせずに、かつては夫婦だった二人が夫婦を演じるという仕事に。

 

泣き続ける西原さんを、子供たちが笑わせようとするシーンは泣きましたね。子供って、そうなのよ。親が悲しむのが耐えられないのよ。だからこそ、その優しさに、甘えちゃダメなのよ。

 

親も人間だから、甘えたくなっちゃうんだけどね。甘えたっていいんだけどね。時にはね。