妄想に対して全身全霊で

不安も孤独も、脳内で作り上げているもの。あると思えばある。それについて考えれば考えるほど、脳内を占める不安や孤独の面積が広がっていく。

 

脳が支配されて身動きできなくなりそうになっていた午後、子供たちが3人ともやってきて、孤独や不安は小さくしぼんだ。払拭されたわけではない。私に子供たちがいることで、私の孤独が拭い去られるわけではない。いつか子供たちは私の元を去っていくだろうから。

 

たぶん、それは誰と一緒にいても同じことなのだ。この人だけは違う、と思ったとしたら、それは束の間の錯覚なのだ。錯覚ができている間だけが、幸せなのだ。

 

塾の宿題が一気に増えた!と、珍しく私の部屋で勉強をしていた長男。いつになくよくしゃべり、英語の分からないところを私に聞く。

 

もう眠い、もうダメだ、と言うので終わりにさせて、自分の家へ帰した。帰り際、視力落ちたりしてない?という話から、私が大学生のときに彼氏に殴られて右目に眼帯したとき初めて左目の視力がめっちゃ落ちていたことに気づいた、なんていう話を自然にしてしまった。え、母さん殴られたの?なんで?と、普通に興味深そうにちょっと怖いもの見たさみたいな感じで話を聞く彼は、息子というより年下の(27歳年下の)中学生の男の子だ。

 

母親だとか、息子だとか、親子だとか、それも全部、脳内が作り上げているもの。人と人との関係は、血縁関係とか民法とか、本当は何の役にも立たなくて、それぞれの意志と努力と行動で作り上げていくものだ。

 

愛だって、脳内で勝手に作り上げているもの。その勝手に作り上げたものを、意志と努力と行動で、相手に伝える。そして相手に伝わっているか、観察する。自分勝手な愛情の押し付けになっていないか、観察することでしか、自分の愛情で相手が幸せになっているかどうか、確かめるすべはない。

 

明日も、子供たちが私を母親として慕ってくれますように。できれば明後日も。その次の日も。

 

1年後は分からない。いつか私の愛情を受けとってくれなくなる日が来るかもしれない。だからその日が来るまで、私は全力を尽くす。悔いのないように全力で子供たちを愛する。