楽しい楽しい国語のお話

ダイエットの話と、国語の話と、どちらを書こうかな。

 

ダイエットの話は、痩せたい痩せたい、でも痩せられない、っていうだけの話なのでやめておこう。

 

国語の話を書きます。

 

私、高校の現代文が苦手でした。かといって、古文や漢文はもっと苦手で、つまり、国語が全然できなかった、ってことなんです。

 

だけど、書籍にかかわる今の仕事は自分に向いてる、って思ったり、あと、とにかくこうしてブログで文字を書きまくるのが楽しかったり、っていう現状から考えると、私の好きなこと、得意なことの原点は、国語なんじゃないかという気がする。

 

するんだが、たぶん、書くことだけなんだな。国語の中で、私が好きなのは。

 

小学生のころまでは、作文や読書感想文が大の得意で、いつもクラスの代表に選ばれていた。

 

中学校のときの記憶はない。ただ、卒業のときの学校だよりの冒頭に、詩を書いてくれ、と国語の先生から頼まれた。卒業特集だけど、「スタートライン」という詩を書いた、気がする。あんまり覚えてない。たぶんアルバムにはさんであるから引っ張り出せば出てくるけど、めんどくさい。

 

この、「めんどくさい」と思う気持ちが、私をいわゆる「ライター」という職業から遠ざけているのだ。一気に社会人に飛んでしまったが、高校で私が現代文を苦手になったのは、読むのがめんどくさくなったからだ。もっと言えば、読んで理解するのがめんどくさくなったからだ。というか、もっとありていに言えば、理解できるだけのオツムがなかったのだ。負荷をかけると悲鳴を上げたのだ。

 

大学生になり、教科としての「国語」がなくなって、その代わりに「日本語」を使って一般教養だの専門知識だのを身につけていったわけだが、これは、楽しかった。何の授業だか忘れたけど、

 

〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活

〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活

 

 とか、

 

免疫の意味論

免疫の意味論

 

 とかいう書籍というか知識の存在を知ったときには感動した。感動したけど、ちゃんと本を読むのはやっぱりめんどくさくて、知った気になって喜んでた。

 

〈知っている言葉〉と〈使える言葉〉は異なる、というのはよく言われることだけど、私は知っている言葉のレベルを引き上げる努力をしないままに、とにかく書き連ねているというブログなので、毎日こんな風なのです。

 

でもまあ、なんとなく日本語になってるでしょ。いいのよ、言葉なんてそんな感じで。全ては楽しむためにある。

 

おやすみなさい。