感情なんて気分で変わる

感情と気分は似た言葉ですが、私の言わんとすることは、例えば、ぐっすり寝て気分よく目覚めたから家族に優しくできた、とかそういうことです。

 

例えば、なんだか仕事でも認めてもらえなくて、雨が降って寒くて、なんか誰かと話がしたいなーと思って、昔の同級生(異性)に連絡したら、なんかめっちゃ優しくて、すごい共感して話を聞いてくれて、あれ、おかしいな、私、この人のこと好きかも、と思っちゃう、みたいなそういうことです。

 

で、その人が彼氏になって彼氏のおかげで仕事が頑張れて、上司も私に期待してくれてるみたいってことが分かってウキウキしてきたら、なんだか優しいわけでも仕事ができるわけでもなくて、なよなよ、うじうじしてるだけでうだつの上がらない彼氏のことがうっとおしくなってくる、とかそういう話です。

 

いつも気分が安定している人は、感情も安定していますが、たまに感情を動かすために、本を読んだり映画を見たりするといいと思います。現代社会は、リアルな人間関係が希薄になっているので、近所づきあいなんてまったくしていなかった隣の家のおじいちゃんが亡くなった、と聞いても、あんまり悲しむことができないのではないかと思うのです。

 

だからといって、昔のようにべったり近所づきあいをしろ、とか、昔はよかった、なんて言うつもりは毛頭ありません。みんな、そういう人間関係に疲れてしまったからこそ、SNSみたいなサービスが生まれて、それに乗っかっているんです。親にも友達にも話せないようなことを、どこの誰だかわからないあなたに垂れ流している、この私をご覧なさい。

 

人間関係なんて、好きに選んだらよいのです。自分を気分よくしてくれる人とだけ繋がったらよろしい。ネットで攻撃されるのも怖いけど、物理的に肉体的に直接的に攻撃されるのは、もっと怖いです。自分を傷つけるかもしれない人からは、全力で逃げたらよろしい。

 

人間は、自由なのです。読んで気分よくなることだけ見たり聞いたりすればよろしい。私の文章を読んでイラっとする人は、読まないでいただきたい。なんかめっちゃいいことがあって、気分がよくて、「あ、今ならあのイラつくブログも面白く思えるかも!」と思ったときに、戻ってきてみてください。それでもまだ読んでイラつくようなら、どうぞ自分の気分のよくなることを、もっともっと突き詰めてこんなブログのことはお忘れください。どうか、末永く、お幸せに。