身体を大切にしたい話

このブログ、1日のアクセス数が記事を書いた日でも10前後なんですが、昨日なんぞはスターがその倍くらいの数ついているという…皆さん、ありがとうございます。新しく読者になってくださった方も。いつもたくさんのスターをつけてくださる方も。

 

基本的に、つらつら文章を書くのが好きで、それ以上に自分のことが好きで、自分の気持ちを日本語にすることで何よりすっきりできるという人間なので、皆さんのお役には一切立たない、私の内面ばかりを書いているブログですが、それでもなんとなく好きだと思ってくださっている方がここに集ってくださっていて、本当に、ありがたいです。世の中、何が受け入れていただけるかって、分からないものですなあ。

 

今日は、久しぶりに早くに家へ帰ってきて、子どもたちも遊びに来ていたので、彼らの顔を見ながらちょーいい加減な夕飯を作って、食べ終わったころに、子どもたちは帰っていきました。子どもたちは父親と暮らしているので、基本的に食事は一緒にしません。それでも帰るときに「ぎゅーさせて!」と言ったら、小5娘はハグさせてくれました。小3次男は「もー、帰るよ! やめて! やめろ!」と怒っていました。次男の感情は激しくてよく分からん。

 

ちょーいい加減な夕飯で、卵を4つも割ってチーズオムレツを作ったのですが、なんで卵4つも使ったかというと、うちの冷蔵庫は小さくて(冷凍庫がない)、卵置き場が卵6つ分しかないのです。昨日だか一昨日だかに買った卵の10個入りパックを開けて、パックを捨てるためには卵を4つ消費しなくてはいけないのです。

 

オムレツ以外に、豆腐とツナと水で戻したわかめを混ぜたサラダもどきも食べたので、さすがにお腹いっぱいになって、オムレツを残しました。卵1個分くらい。

 

だったら、卵1個を最初から割らずにお皿に入れて冷蔵庫に入れたらよかったのでは、という気もしないではないですが、たぶん、オムレツを作り始めたときの私は、卵を4つ分食べられるという未来の私に賭けていたのだと思います。

 

その賭けに負けて、卵を残したばかりでなく、今、食べ過ぎで気持ちが悪いです。この半年くらい、食べ過ぎて気持ち悪い、胃が弱くなった、と、そんな話ばかりしています。

 

あと4ヶ月ほどで、44歳になります。44歳か…。さすがにもう、誰から見ても若くない、って言ってもらいたいところですが、なぜだか仕事で年上の人とばかり付き合いがあるので、いつも「まだ若いんだから」と言われてげんなりします。若かったら、卵4つ食べても気持ち悪くなったりしないはずだ。

 

では、お風呂に入って寝ます。おばちゃんは、「疲れない」ことが人生の最優先事項なのです。おやすみなさい。

久しぶりにコーラを飲んだ

朝から根を詰めて仕事をしていたら、夕方になって身体がジャンクなものを求めてしまい、コンビニでコーラとポテチを買ってきてしまいました。飲んで、食べて、もちろん自己嫌悪です。はあ。

 

身体が求めた、なんて言い訳です。自分に言い訳するのって、なんて簡単なんだろう。根を詰めて仕事ができた自分を褒めてあげたかったけど、コーラとポテチがなかったら、もっと自分を褒めてあげられたのに。

 

どんな私でも認めてほしい、というか、そんな私を責めないでほしいとか、勝手なことを思うわけですが、やっぱり頑張っている自分を自分で発見するのはうれしいことなのだろうなあ。私は、子どもたちのことをどんな子どもたちでも愛しているけれども、それでもやっぱり、子どもたちががんばったり、他の人からほめられたり、何か賞賛されるべき行いをしたりすると、嬉しいものなあ。

 

しかし、さっきコーラが飲みたい、と思ったときに、前の会社ではよくコーラを飲んでいたなあ、ということを思い出した。ビルの上の階に自販機があって、私はよく缶のコーラを買っていた。ほかのみんながどんな飲み物を買っていたかは知らない。たぶん缶コーヒーの類がよく飲まれていたのではないかと思う。あと、夏にはポカリみたいなスポーツドリンクとか。

 

だけど私は、クラシックにコーラが好きだった。中途半端に体に優しそうな野菜ジュースとか、なんかコーラよりは大人の飲み物みたいなミルクティーとか、そういうものより、開き直った感じのするコーラが好きだった。

 

コーラって昔から飲まれているものだから、飲まれるのには何か理由があるのだろう、という気がしてしまう。その頃私はコーヒーを飲まなかったので、仕事中に眠くなると、冷たいコーラを飲んでいた。

 

前の会社では、とにかく眠くて眠くて仕方なかったのだ。それは、仕事がつまらなかったからなんだろうか。若くて、やりたいことがたくさんありすぎて、睡眠時間が足りなかったのだろうか。子どもが小さくて、仕事をするには疲れすぎていたのだろうか。

 

今の会社に勤めはじめてから、会社のデスクで眠くなった試しがない。集中力が切れて、ネットをうろうろしたり、ふらふら立ち上がったりしてしまうことはあるけれど、作業の途中で朦朧として意識が飛ぶ、なんてことはなくなった。

 

今日はちょっとがんばって疲れたけど、私は今の仕事が好きだ。この仕事が好きだ。

 

さて、まだまだ帰れないけど、あとちょっとがんばろう。社内には誰もいないから、コーラのげっぷをしながらがんばろう。

 

まったくもって景気のよくない話

こんばんは。2月ですね。2月になって、すでに48時間が過ぎようとしています。

 

今年になって、お金を節約しよう、と思い立ち、おこづかい帳アプリを使っています。お金を思うように使えない、制限がある、なるべく節制しなければいけない、と思うと不自由ですが、その一方で、判断に迷う、ということがすごく減りました。どちらを買おうか、とか、いくつ買おうか、と考えたときに、迷わず「安い方」、「なるべく少なく」と判断できるからです。

 

これまでの私は、気に入ったものは手元に残るけれど使ったお金の金額なんて忘れてしまうものだから、少し高くても気に入ったものを購入すべし、という主義でしたが、とにかくもう、お金を使わないことを人生の最優先ミッションにすると、そもそも手元に残るものなんて買わない、という選択ばかりになり、食べて消えるものしか買わない、使い切ってしまって困るもの(トイレットペーパーとかシャンプーとか)しか買わない、みたいになって、結局何も手元からは消えるのだからお金は節約するに限る、というめちゃめちゃシンプルな人生になります。

 

しかし、それでもお金は減っていく。毎日食べるものを買うだけなら、1日数千円で済むのだけれど、駐輪場の定期は切れるわ、プリンタのインクは切れるわで、ぱーっとお金がなくなっていく。贅沢なんてしてるつもりはないのに。事実、お正月休みが終わってから、1本も映画を観ることができていない!

 

お酒も買わなくなりました。疲れた日に安い缶チューハイを1本…と思っても、この金額で、私は何を手に入れるのだ? 酔っぱらって、心臓がばくばくして、満腹中枢が麻痺して食べすぎて、自己嫌悪に陥るのだぞ? そのために数百円を使うつもりか??? と、コンビニの冷蔵庫のガラスの扉の前で逡巡してしまう。

 

…書いてて、なんだかめちゃめちゃつまらない人間になってしまった、と戦慄しております。はあ。

 

しかしお酒といえばですね、去年の夏にめちゃめちゃに酔っぱらって私を傷つけた女友達は、もしかしたらアルコール依存症なのではないか?ということに思い当たりました。

 

いつもいつも一緒にいるわけではないから、たまに飲んだときにたまに暴れるくらいだろう、と思っていましたが、この前Facebookを眺めていたときに、友達がシェアしていた依存症理解の啓発漫画に描いてあった、アルコール依存症の人の飲み方に、友達がすごく近かったので。

 

飲んだ後、「酔っぱらってごめん」とか「覚えてないんだよね、ごめん」と謝ってはくるけれど、それはLINEとか、テキストで謝られるだけなので、その後飲んでないのかどうかは分からないし、私は数年に1回、一緒に飲むだけだけれど、もしかしたら週の半分くらいをそんな風に酔っぱらって生きているのかもしれない。と、ふと考えた。

 

だからと言って、心配して連絡したりするわけではないです。傷つけられたこと、まだ恨んでいるので。本人がお酒のせいで失敗したと思っていない限り(私のことを友人とも、友人をなくしたとも思っていないのであれば)、彼女を変えられるのは彼女しかいない。

 

なんでおこづかい帳アプリの話から変わっちゃったんでしょうね。よっぽど傷ついたのね、私。

 

おやすみなさい。

 

元気になりたい

珍しく、こんな時間にこんな場所(っつっても自宅ですが)から投稿。最近、なんだかポジティブになれなくてですね。自分の好きなこと、つまり自分の思いを吐き出すことをやって、ちょっとでも元気になろうという作戦。

 

ポジティブになれないのは、たぶん寒さが本格的になってきたというのがあると思います。寒い。寒い。寒い。今年は暖冬で、寒くなるのが遅かったから、元気なくなるのも遅かったというだけのこと。昨シーズンは、年末くらいにもうめっちゃ寒かったから、12月に既に落ち込んでいた。

 

人と会っている間は元気なのだけど。人と別れてから、疲労感ががっこーんとやってくる。昨日は、夜に事務所で単純作業だけでも終わらせるか…とパソコンに向かったけれど、どうにもこうにも腕から先が動かなくて、イスを並べて横になってしまった。睡眠時間が足りないわけではないと思うのだけど、でも疲れが取れないのは、なんでかな、年かな。栄養が足りてないのかな。

 

すっかり運動やストレッチもしなくなってしまって、ふと気づいたら、ものすごく体が硬くなっていた。腕を後ろにまわして指を組んで、手のひらを外側にひっくり返す、というのができなくなっていて、びっくりした。どうにもこうにも、腕がねじれないのだ。人間の体って、こんなに変化するんだ! というくらい、かちんこちん。そのうち肩とか上がらなくなるぞ。ひょえー。恐怖。

 

そうか、運動もしてないから、ネガティブなんだな。きっと、運動したら、もうちょっと脳みそが元気になるはず。ちょっと、休むことだけじゃなくて、運動も考えよう。プール、行きたいな。膝が心配だけど、ランニングもしたいな。バランスボールも、最近ぜんぜん使ってないな。

 

ホットヨガとかも行ってみたい。家から出るのが億劫だけど、きっとその億劫さを克服したところに、健康的な生活が待っているのだろうな。

 

あー、1日休んで、ひたすら歩きたい。誰にも邪魔されずに、身の危険を感じることなく、きれいな空気の中を、何も考えずに、ひたすら身体を別の場所に運びたい。

 

そんな、簡単なことが、なんでできてないのか。仕事や勉強から、自分の身を引きはがすことができないのは、なんでなのか。私は何を怖がっているのか。何を守ろうとしているのか。何を目指そうとしているのか。

 

と、書きつつも、たぶんこの1年は、我慢の1年です。ここで我慢も投げ出してしまったら、きっと私は後悔すると思うので。

 

元気になったんだか、なってないんだか、よくわかりませんが、とりあえず、仕事。行ってきます。

 

 

悔しい話と気持ち悪くなった話とびっくりした話

左手の小指が痛い。あなたに噛まれた小指が痛い、わけではない。歌詞も、本当は「あなたが噛んだ小指が痛い」だった。

 

書店に行って、本をめくっていたら、左手の小指が切れたのだ。ほんの少し。だけど、ものすごく痛い。ものすごく腹が立つし、ものすごく悲しい。

 

そのそも、紙で指を切るというのは、とても悔しい傷だ。包丁やナイフなら、諦めもつく。だけど、紙で。紙って、本来の用途は、誰かを傷つけたりするはずのものじゃないのに。そして、扱い方さえ間違えなければ、指も切らずに済むはずなのに。

 

しかも、書店の売り物の本が、私の指を傷つけた。商品が、客を傷つけるって、どうよ。あなたを連れて帰ってくれるかもしれない私を、傷つけてどうするのよ。

 

何の本だったか忘れた。だけど、手にとって開いてみていたのだから、興味をもった本のはず。ペラペラの紙ではなかったと思う。たぶん、海外文学のハードカバーだったと思う。

 

高尚な作品のフリして。私の小指に切り傷をつけるなんて。

 

悔しいのと、悲しいのと、腹がたつのと、3分の1くらいずつの気持ちが混ざりあっている。傷を作ったのは昨日の夕方なのに、まだ痛い。

 

と、ここまで書いて、ばんそうこうを貼り替えた。知ってる。キズパワーパッドとか、クイックパッドとか、ケアリーブ治す力とか、湿潤療法ばんそうこうなら、こんな傷、すぐに治るのだ。さっきまで痛かったのは、救急箱の中を探すのがめんどくさくて、適当にそのへんにあったアカギレバンを貼っていた私の怠慢によるものなのだ。

 

小さな傷を見くびらずに、昨日、家に帰ってすぐにキズパワーパッドを貼ればよかった。最後の1枚が、ちゃんと救急箱に入っていたのだから。紙で切った傷はやけに痛いと、知っているのだから。

 

木曜日は、またあまり行きたくない立食形式の会合で、それでも料理とお酒は美味しかったからそれなりに食べて飲んでいたら、帰りの電車で気持ち悪くなった。信じられない。そんなに飲んでないよ。そんなに食べてないよ。なのに、地下鉄で嘔吐するかもという不安におびえなきゃいけないなんて。体力の低下を呪う。

 

昨日は、勤め先のバイトの大学生が、お年玉付き年賀状を知らないということに衝撃を受ける。「当選番号しらべて」って言ったら、「えー、なんですか、これ! えー、おもしろーい!!」って。はああ。「あのね、日本にはお正月に年賀状っていうはがきを送りあう風習があったんだけど、それは知ってる?」ってとこから説明しました。

 

そんな小ネタがいろいろ。あんまり元気じゃないけど、生きていかなきゃいけないのですわー。

フリーズから抜け出すために書く

ふむ。

 

久しぶりにフリーズしております。

 

私にとってのフリーズとは、何をしたらいいか分からなくて、何も手につかない状態。

 

今の私の人生にとっての最優先事項はお金を稼ぐことだと思うのですが(扶養してくれる人のいない自営業の立場なので)、どうしたらお金を稼げるのかって、正直、私には全く分からないのです。

 

たぶん、誰かが「これこれ、こういう順番で、このくらいのペースで、こうやってこういう作業をしたら、お金が稼げるよ」と教えてくれたら、わりといろんなことができると思います。実際、会社員時代だったときには、わりと普通に仕事をしていました。

 

が、今は、手元に来る仕事はたいていさばける状態ですが、仕事を手元に手繰り寄せる方法が全く分からない。もしかしたら、ある程度は手繰り寄せているのかもしれないけれど、それでは全く足りない、という状態。

 

となると、フリーズです。

 

が、年明けから、とりあえずお金を稼ぐ方法は分からないのだから、勉強をしよう、なんとかお金は今あるものでもたせて、勉強の区切りがついたらお金を稼ごう、と思っていました。

 

勉強の仕方は分かります。正直、いいヒマつぶしと言っていい。とにかく勉強すればいいのだから。とにかく読んで、書いて、覚えて、解く。年が明けてからは、空いた時間にひたすら勉強してました。

 

が、とある人からそんなことよりやっぱり稼ぐことを優先しなきゃ、みたいに言われて、途端にフリーズです。ああ、情けない。

 

私はそこそこに勉強のできる子でしたが、今考えれば、ホント、勉強なんて簡単ですよ。人生、社会に出てからの方がずっと長いわけで。社会に出てから自分で稼ぐ力のある人の方が、ずっと偉いわけで。

 

なんだかもう、イヤになっちゃうわー。自分の人生だから、好きにすればいいはずなんだけど、なんでこう、好きにするのが難しいんだろうか。

 

というか、好きにすればいい、というのが難しいのだ。あなたはこれこれ、こういう人生を歩みなさい、と決められていれば、面白くはないかもしれないけれど、ラクな人生ではある、かもしれない。

 

たぶん、私は「こういう人生」から自ら滑り落ちてしまったのだ。「こういう人生」がつまらないものに思えて、とにかくその人生から逸脱することだけが、生き延びる道だとしか思えなくなって、好きで逸脱したのだ。

 

後悔はないですよ。もちろん。というか、後悔の仕方が分からない。考えたって、時間を巻き戻すことはできないのだから、考えたって無駄じゃないですか?

 

なぜこれほどまでに愛しいのか

最近また、中2長男と仲がいい。彼がやたらと私のところで時間を過ごす。今日は友達まで一緒にきて、学校行事で使うための音楽を集めたCDを作りたいからと言って、その作業を手伝った。友達のKくんというのもお茶目な子で、ふとした会話の端々に、息子の恋愛を私にばらそう、ばらそうとしていて、私は、息子の前では「いやいやKくん、息子のことを私に伝えようとしてくれなくていいから(笑)」と、今後息子が私と一緒にいて気まずくならないようにという素振りを見せておいたけれど、息子が席を外したときに、「なになに、あの子最近失恋したわけ?」とKくんに聞いてみたら、「いやいや、まあまあ、えっと…」と、さすがに本人のいないところで私にばらすのは気が引けたらしく、苦笑いをしていたので、「そうかー、あいつもツラい思いをしていたのかー」と言ったら、Kくんが笑っていた。雰囲気と、そのときの受け答えから想像するに、息子には好きな女の子がいたらしく、告白したんだかする前に脈なしと分かってあきらめたんだか、とにかくその恋は実らなかったらしい。いいなあ。息子、健全だ。いやしかし、息子の思いを無碍にするとは、見る目のない女子め(親バカ全開)。

 

昨日か一昨日だったかには、二人でいるときに何かで大学生の話題になって、私が「いいなあ、大学生。私ももう一回学生になりたい。誰か学費出してくんないかなー。そうだ、キミさ、高校卒業したら働いて、私の学費を出してよ」と言ったら、「は? 子供が親の学費を出すなんて、そんなの聞いたことねーわ」と言ったので、「だからいいんじゃん。一緒に世間に逆らおうぜ」と言ったら、「あのさ、あんたの人生だから好きにしたらいいと思うけど、俺を巻き込むのはやめて」と言われた。はい、その通りです。息子、なんでそんなまっとうなんだ(親バカ、というよりバカな親)。

 

私が台所で鼻歌を歌っていると、サビの部分から一緒に歌ってくれたり、おもしろ動画で面白いのがあると、「ちょっと来て、見てみ、これ」と呼んでくれたり、「お腹すいた、なんかない」とか「そうだ、今度酔い止めの薬買ってきて」とか頼ってくれたり、まあ、かわいいんです。本当に、本当に、かわいい。

 

ここ数日は、RADWIMPSの『正解』という歌に心酔していて、「この歌めっちゃいいよ」とYouTubeを見せてくる。「制限時間は あなたのこれからの人生/解答用紙は あなたのこれからの人生/答え合わせの時に私はもういない」という歌詞に、「親から子どもへの気持ちを歌った歌みたいね」と言うと、「そうなの? 先生じゃないの?」と言うので、「そうか、先生と親って似てるところがあるかもね」と言うと、「でも俺、母さんを先生みたいって思ったことないよ」と。「そうなの? じゃあ何みたいだと思ってるの?」と聞いたら、少し考えて「親」と答えた。

 

私はあなたの親なのね。そうなのね。そうなのよ。親なのよ。だけど、私が君のことを大好きなのは、親だからじゃあない、ような気がする。