見た目の女らしさを捨てたくない話

せっせせっせと更新していてもあまり読者は増えないのに、しばらく放置してると読者が増えているのはなぜなのだろう? 登録してくださる方、ありがとうございます。

 

今日、とあるイベントに参加して、主催者の方が写真を撮って送ってくださったのだけど、自分がイメージしていた自分と、写っている自分が、わりとかけ離れていたのでまあまあショックを受けています。

 

男性っぽい恰好をしていたので、イメージとしては、マニッシュな、とか、カッコいい、とか、ハンサムな、とか、そういう感じの形容詞を思い描いていたのですが、写っていた私は、なんだかたくましい、ごつい、男っぽい、という感じでした。マニッシュな、と、男っぽい、って英語か日本語かの違いだけじゃん、って思うのだけど、イメージです。イメージ。

 

なんていうか、男なんですよ。そのまんま、男。おしゃれだとか洗練だとかって、ギャップやサプライズにあると思うのですけど、例えば髪の毛がベリーショートなのって、髪の毛は短いけれども明らかに女の子だったり女性だったりということがわかるからこそカッコいい。見た目で「え、男の人かと思いました(汗)」っていうのは、女性のベリーショートではなくて、男の人のスポーツ刈り。そのまんま、男。

 

ひっさびさに胸の話をしますけど、バストにもうちょっとボリュームがあったら、シルエットがだいぶ違うのかも、という気はしました。あと、私はお腹を前に突き出すくせがあるので、それもおっさんぽさを増長している。腰に悪いからよした方がいい姿勢のクセなんですが。

 

このまま、男になってしまうのは、イヤだなあ。私は、女性性を捨てたくはないです。内面とか、行動を、「男前!」って思われるのはうれしいけど、見た目の女性性は、捨てたくないんですよね…。

 

もしかしたら、女性っぽい装いをしてみたら、気持ちが切り替わるかもしれないですね。今、いつもパンツ姿ばかりなので、スカートをはいてみるとか、ワンピースを着てみるとか。

 

人間って、内面から変わるよりも、環境とか身の回りにあるものから影響を受けて変わるってことが大きいのではないか、と思っているので、身の回りから変えてみるというのは1つの手かも。

 

あとは、ダイエットですかねー。やっぱり。女性はきゃしゃだというイメージがありますから。きゃしゃであれば女性性は強調されるだろうな、という気はします。

 

少し前まで食べたいものを食べたいだけ食べる、というのをやってましたが、そろそろ本気で体をしぼろうかな、という気になってます。

 

おやすみなさい。

 

料理ができないわけではないが

キャベツを千切りにして、ツナ缶を開けて乗せて、クレイジーソルトとオリーブオイルをふりかけるだけで、めちゃめちゃおいしい。

 

今日、職場の人と「料理はされますか?」という話をしていて。相手(男性)は全くもってしない、と答えていて、その話も面白かったのだけれど、じゃあ誰かが私に「料理はされますか?」と尋ねたら、私はなんと答えるだろう。

 

料理は、しないわけではない。下手なわけでもないと思う。基本は押さえているつもりだし、どんな料理も大きく失敗することはない。

 

だけど、好きかと言われたら、まるで好きではない。私にとって、料理が好きかどうかって、おかしな質問なのだ。

 

「おしゃれが好きか」と聞かれれば、洋服をいろいろ組み合わせたり着飾ったりすることはそれほど好きではないけれど、朝、寝間着のままで外出するわけにはいかないから、普通に着替えはする。

 

私の場合、料理は着替えみたいなもので、おしゃれに該当する料理には、まるで興味がない。個性を出したり、流行を追ったり、絶妙な組み合わせを探したり。そんなおしゃれをするみたいな料理は、まるでする気が起こらない。

 

たんたんと、毎日、着替えて家を出るように、たんたんと、毎日、食事を作ることはできる。毎日、着るものを考えるのが少しだけめんどくさいように、毎日、食べるものを考えるのはめんどくさい。けれど、だからといって、いつも着るものが何かおかしい、ということはないくらいには、料理はできる。

 

今日の夕飯は、キャベツとツナのサラダに、キャベツとベーコンのコンソメスープが余っていたので、そこにレトルトカレーを入れて、スープカレーにして食べた。キャベツをまるごと買ってきたので、ひたすらキャベツを食べ続けている。

 

夕食は夕食で満足したけれど、少ししたらお腹がすいてきたので、イングリッシュマフィンを割って、はちみつを少したらして、その上にとけるチーズを乗せてトーストして食べた。何度も書いてますが、私ははちみつが好きなのです。そしてチーズも好きなのです。ハニーチーズトースト、最高。

 

この程度の料理ならするし、チャーハンだって作れるし、トン汁だって作れるし、なんならカレーだってレトルトじゃなくて作れる。

 

ただ、工夫してみたり、ちょっとオリジナリティを加えてみたり、そういうことはしない。だって、カレールーはプロが知恵と労力と時間をふり絞って作り上げた最強のコスパの味付けになっているはずだし、チャーハンだってトン汁だって、普通に作れば普通においしいのだ。

 

ちょっとひと工夫、とか、オリジナルの隠し味、とか、やりたい人は勝手にやればいいけど、それで本当においしくなるかっていうと、単なる自己満足なんじゃないの、と思う。

 

こういう意地悪なことを考える人は、あんまり料理に向いてないんじゃないかという気がしますね。

 

おやすみなさい。

 

やろうと思っていたことができなかった

今日は朝からわりと元気で、予定をさくさくとこなし、午後は仕事をしなければいけないけれど、それが終わったら8時まではこれをやって、8時になったらDVDを見て、10時には寝よう、と思っていたのに、8時までにやりたかったこともできず、見たかったDVDも見られず、眠りたかった10時にも寝られず、こんな時間。

 

夕方から予定が狂って、落ち込んで、ふさぎこんで、寝っ転がって、2時間くらいが過ぎてしまった。予定が狂ったときに、だったら何をしよう、という風に気持ちを切り替えることができない。気持ちは切り替わるのだけれど、やりたかったことができなかった、というだけで、寝っ転がってしまう。寝っ転がる、ということしかできなくなってしまう。

 

それはそれでよいのかもしれないけれど。代わりに何かしなければいけない、という思い込みこそが自分を苦しめているだけなのかもしれないけれど。

 

一人でいたい。子どもたちのことは大好きだけれど、子どもと一緒にいると、私は子どもを最優先にしなければいけないと思ってしまう。それが、苦しい。幸せで、うれしいことなのだけれど、苦しい。

 

優先順位を決めて、最優先のことだけを遂行できれば、悩みなんてないのだ。2つ以上のことを大切にしたいとか、自分以外の人を大事にしてあげたいと思うからこそ、悩む。思うようにいかない、と苦しむ。

 

一人でいるのは気楽だ。だけど、一人になってしまうのはさみしい。

 

好きな人と一緒にいるのは幸せだ。だけど、好きな人が自分の思い通りになるなんてことは、絶対にありえない。

 

だれかに甘えたい、と思う一方で、甘えてしまう自分が許せない。

 

自分に厳しくありたい、と思う一方で、どこまで厳しくすればいいのか分からない自分が歯がゆいし、自分に厳しくできない自分が情けない。

 

どこまで頑張ったらいいのか分からない状況が苦しい。自分で頑張っていると思えない。その一方で、こんなに私は頑張っているのに、と周囲への怒りも沸く。

 

自分に対して素直に感情を出すことも大切だけれど、他人の前で感情を抑えてしまうのが素直な自分だ、という気もする。

 

これだけ疲れていたらきっと今日はあんまり上手に笑えないだろうな、とか、あの人のことあんまり好きだと思えないからきっと顔に出ちゃうだろうな、と思うこともあるのだけれど、いざその場面になると、私は明るくふるまっていることが多い。多い、というよりも、必ずといっていいほどそうしてしまう。

 

何がいけないのかよく分からない。たぶん、何もいかないことなんてないんだと思う。脳がすべてを作り出している。

食べることは幸せなのだけど

ここ1か月半ほど、食べたいものを食べたいだけ食べる、というのをやっていて、本当にもう、お腹はみっともないことになっているし、気になるのが首のまわりの肉。なんか、あごがなくなってきているのと、頭を動かすと背中と後頭部をつなぐ部分の肉が邪魔な感じ。今月下旬に美容院を予約しているのだけれど、美容師さんに首に肉がついたなーって思われるのもイヤだし、髪を切ってもらっている間、あごにたっぷり肉のついた自分の顔を見ていなきゃいけないのも苦痛だなあ、と思う。

 

思うのだけれど、食べるのがやめられない。さっき、さしてお腹もすいていないのに、とんこつラーメンを食べて、その後で明太子ごはんまで頼んでしまった。ラーメンの汁まで残さずたいらげて、明太子ごはんは大きめのお茶碗だったのに、ぺろりとお腹におさめてしまった。

 

こんなに、食べたいだけ食べているのは久しぶりだ。食べたいだけ食べたら、太りたくないだけ太るというか、老けたくないだけ老けるということがわかっているので、太ったり老けたりする代わりに、食べることを我慢していた。たぶん、ここ5、6年くらい。

 

抜群のスタイルとか、魅惑のプロポーションではないにしても、それなりに年齢のわりには体型を維持していたと思う。1ケ月半ほど前までの私は。

 

だけど、今の私は違う。

 

食べたいだけ食べるのは、正直、気持ちがいい。食べちゃダメ、食べちゃダメ、と思いながら生きているよりも、生命を謳歌している感じがする。食物を口に入れ、お腹におさめ、肉として蓄える。生物的に、幸せだ。

 

だけど、人生を謳歌している感じかというと、ちょっと違う。「生命」って、生物的な命だ。「人生」って、人の生き方だ。

 

食べたいだけ食べて、理性とか知性とか見栄とか賞賛とか、そういうものから無縁なのは、生命としては幸せでも、人生としてはあまり嬉しいものではない、という気がする。

 

少なくとも、私は。

 

なんだかんだ言って、人からの見た目って大事なのだ。見た目だけじゃなくて、どう思われているか。

 

人からの視線だけを気にしていてるのもバカみたいだけれど、結局、私にとっては、誰かが私を認めてくれることが、自分で自分を認めることにもつながるのだ。

 

今月末で、今とりくんでいるストレスフルなプロジェクトが終わる。そしたら、もう一度、自分の人生を、自分の手に取りかえそう。人から美しいと思ってもらえる=自分で自分を認められるような、私の人生を、もういちど手中に、コントロール下に、取り返そう。

 

あー、満腹、満腹。

いろんな角度から見てるって本当は何も見てないのかも

前職で私はわりと大きな会社に勤めていて、もう辞めて何年も経つのに、そこからとある物品が送られてきて、久しぶりに腹を立てている。

 

先方はよかれと思って送ってきているのだけど、全然要らないものだし、梱包材などのゴミが増えるし、捨てるに捨てられないし、非常に腹を立てている。

 

どういう意味合いで何が送られてきたのか、具体的に書かないと何がなんだかさっぱり分からないと思うのだけれど、とにかく先方がよかれと思って送ってきた、ということが分かっているだけに、私は腹を立ててはいけない、と思ってしまう。なので、絶対に具体的なことはここには書かない。

 

ほんっとうに腹が立って腹が立って、100%相手が憎い!と思ってしまえるなら腹立たしさをぶつけてすべて洗いざらい書いてしまえばよいものを、なんで私は常に、先方の気持ちも一緒におもんぱかってしまうのか。いいことなのか、悪いことなのか。

 

しかも、そのおもんぱかっていることが、必ずしもプラスに働くとは限らなくて、お世辞にも「けっこうなものをお送りいただき、ありがとうございました」などと言おうものなら、また同じ被害が繰り返される可能性だってあるわけだ。まあ、たぶんそれはないけれど。

 

最後の最後に大切なのは自分の感情だけれど、不必要にだれかを傷つける必要もない。もしかして、誰かを傷つけてしまうかもしれないのであれば、私はその行動を差し控えてしまう。

 

もっと鈍感だったらラクだろうな…と思う一方で、私がまったく気づかないところで、たくさんの人を怒らせたり、悲しませたり、傷つけたり、しているのだろうな、ということも思う。決してそんなつもりでしているわけではないとしても。

 

それにしても、腹が立つ。こういう、行き場のない感情を、家族に話したい、と思うのだけど、一人暮らしはそこが不便だ。家族でなくてもよい。彼氏がいてくれたらいい。私の言うことを、共感して聞いてくれる彼氏がいたらいいな、と思う。

 

この先わたしにそんな相手ができるのかどうか、それはまったく分からない。未来のことは分からない。

 

分かるのは、現在のことと過去のこと。現在、私は前の職場から送られてきた物品に腹を立てていて、腹が立つほど要らないものを送ってくるような会社のことをつまんねー会社、と思っていて、そんな会社を辞めた私は正解、と思っている。

 

その一方で、私は常に自分の過去を正解、と思う性格なので、つまらない会社だから辞めたのではなく、辞めた会社だからつまらないことをしているように見える、というのが真実だと思います。

 

そんな風にいろんな角度から見てばっかりいても、しょうがないのにね。

 

おやすみなさい。

 

矛盾してますがそれも私

なんだかあっという間に1週間も空いてしまった。すこぶる元気なのですが。

 

ブログを書いても書かなくても、1日は同じ24時間のはずなのに、ここに向かうと、書かなかった日のことはなかったことになってしまうかのよう。記憶は記録に負けるから。

 

メンタルも、フィジカルも、とても安定している。不安がないわけではない。何か状況が良くなったわけではない。けれど、無駄に将来のことを考えたり、昔のことを思い返して人生の分岐点を探したり、そんなことをしているヒマがない。1取り組んでいるプロジェクトのことを考えているだけで、1日が埋まってしまう感じ。

 

フィジカルは、安定しているというよりは、美容を犠牲にしている。食べたいものを食べたいだけ食べるのは、今の私にとってはむしろ健康的だ。そこまで暴飲暴食するわけでもなく、ジャンクフードばかり食べるわけでもなく、年相応に太ったり、たるんだり、そういう体型のゆるみを気にせずに、食べたいものをおいしいと思って食べていると、体重は増えるけど、体力も削られることなく、風邪ひいたりもない。

 

体重が減ると、てきめんに風邪をひくのだ。体重と一緒に体力も落ちるんだと思う。このところ、体重を落としていないので、風邪もひいていないけれど。

 

来月になったら、プロジェクトがひと段落するから、いちど、ダイエットに取り組もうかな。見た目なんて気にしない、と割り切れればいいけれど、本当はもうちょっと痩せたい、実は若く見られたらうれしい、という気持ちのまま、ぶくぶくぶよぶよしているのは、あまり好きな状態ではない。

 

そういえば、服を買った。いつも、秋になるとおしゃれしたくて、でも長袖の服を買うタイミングを逃して、半袖にカーディガンとかを羽織ってごまかして冬を迎えていたけれど、今年はちょっと涼しくなったというタイミングで、思い切って服を買った。お金は飛んでいったけれど、いいんだ。服が欲しい、きれいな服を着たい、と思ったのだから。

 

ブログを書いていると、なぜだかこういう風に、外見のことばかり考えてしまう。たぶん、私はきれいになりたいとか、おしゃれしたいとか、痩せたいとか、年を取るのがイヤだとか、思っているけれど、それを口にするのはみっともないと思っているので、周りの人に言えないから、ここで書くんだと思う。

 

一貫性のない、論理的でないことは嫌い。痩せたいと言いながら、無駄にお菓子を食べるような人間は嫌い。嫌いなんだけど、それを自分がやっているから、痩せたいと言わない。言えないから、ここに書いてる。矛盾だらけの自分。

 

だけど、それも自分だから、本当は嫌いじゃないんだよ。どこまでも、ぐるぐる。

顔の美しさと努力の話

自分の顔について、目が大きいことと、歯並びがきれいなところは好きだけれど、シミそばかすが多くて、いつも目の下にクマができているのは、気に入っていない。肌のきれいな人をみると、いつも羨ましいなあ、と思ってしまう。

 

目が大きいことも、歯並びも、あまり努力でどうにかなる要素ではない。もちろん美容整形や、歯科矯正をすれば変えることは可能だけれど、それよりも、肌の白さやきめ細かさは、努力の結果が表れる場所ではないか。

 

だから、羨ましい、という意味ではない。

 

私はたぶん、シミそばかすが出やすい体質なのだ。もともとそういう体質なところに加えて、ものすごくずぼらなもんだから、シミそばかすが顔中にのさばっているのだ。

 

でも、だからといって、それに対してものすごく努力をしようとは思わない。昨年だったか一昨年だったか、思い切ってレーザー治療をして、大きなシミをとったけれど、それはそれで満足だったけれど、大きくないシミ(決して小さなシミではない。中くらいのシミというか、ものすごく目立つものではない、というだけの有象無象のシミ)はたくさん残っているし、数でいったらそりゃあもう、ものすごい数のシミが顔中に散らばっている。

 

シミなんだかそばかすなんだかほくろなんだか肝斑なんだかクマなんだか、よく分からないけれど、とにかく私の肌は汚い。

 

汚いんだけど、正直、あまり気にしていない。まわりは、「うさぎ、もっと気にしてくれ。化粧をちゃんとしてくれ」って思ってるかもしれないけど、鏡で自分の顔を見て、「うわー、ごっつ化粧厚いわー」と思うよりも、「うわー、えらいシミそばかすが増えたなー」と思う方が、気分が良いのである。

 

化粧が厚いのは、自分で気持ちが悪いのです。シミそばかすが多いのは、自分では気持ち悪くないのです。

 

他人にどう思われているかよりも、自分の気持ちよさを大切に生きていきたいのです、私は。もしかしたらそれが、非常識だとか、無礼だとか、失礼だとか、思われているかもしれないけれど、思われてたって別にいいです。思われてるとしても、私のまわりには友達も家族もたくさんいてくれるので。

 

結局、努力って、この年になるとどれだけお金をかけるか、ってことになると思うのです。ファンデーションとかさ、美容液とかさ、エステとかさ、整形とかさ。正直、努力ができないというよりは、お金がないんです。そういうことに使うお金がもったいないんです。

 

じゃあ、何にお金を使ってるのかって、何に使ってるんでしょうね。あんまりお金使ってないんですよね。使ってないのに、ないんですよね。

 

稼げ、って話ですよねー。あーあ。

 

おやすみなさい。皆さま、よい週末を。