もうやらないと決めた

なんだか消耗した1日でした。行きたくない昼食会に行ったからです。たかが3時間程度の食事会。いやなことを言われたわけでもなく、不愉快な思いをしたわけでもない。けれど、行かなくてはならない、と思い込んで、行きたくないけど行かなきゃいけない、という気持ちのままに行ってしまったので、ものすごく疲れた。

 

楽しくなかった。だけど、あまりにあからさまに楽しくない、という雰囲気を醸し出していては、まわりの人に申し訳ない。まわりを不快にはしたくない。けど、楽しいふりをするのは自分を偽ることになる。

 

どんな態度をとったところで、すべてがウソだという、地獄のような食事会。

 

来なきゃよかった、と心のそこから思いました。出席しなかったとしたら、出席しないことで失礼な人間だと思われたかもしれないけれど、食事会の間中、面白くないですよ、という雰囲気を漂わせている人間がいたら、それはそれで皆さんにとっても不愉快だろう。

 

もう、こういうのをやめにしたい。来なきゃよかった、と思う時点で、来ないという選択肢もあった、ということだ。だったら、行かなきゃよかったのだ。絶対に行かなくてはいけない、欠席という選択肢がなかったのなら、腹をくくって全力で楽しめばよかったのだ。

 

その場にいて、楽しいと思えないことはしない。もう、この先はその方針を崩さないでいこう。いやだということはいやだと言う。必要ないと思うことはしない。楽しめない場所には行かない。

 

それで、なにか私は失うのだろうか。もう…、失ってもいいよ。失ったとしても、要らないものだから、それ。

 

私が欲しいものは、もうわかっている。自分のしなきゃいけないことも、わかっている。

 

誰よりも、自分に正直に生きる。そのとき、そのときの自分の気持ちを見つめる。立ち会う。向かい合う。

 

感情に向き合うこと。感情をコントロールすること。感情に振り回されるのではなく、自分の感情と、対話する。感情があることを、認める。感情の言いなりになるのではなく、感情と共存する。

 

自分の生きたいように生きていけるのだから。私は自由なのだから。自由と責任のある大人なのだから。

 

自分のために自由と責任を使う。自分を幸せにするために、自分を豊かにするために。

 

そんな風に、消耗する1日を過ごしていたら、これだけは見たい、と思っていた映画の半分も見られないで、もうこんな時間になってしまった。

 

心を落ち着けて、寝よう。実は、体重が増えてしまっているので、その点もなんとかしたい、と思いつつ、心を落ち着けて、寝よう。

 

おやすみなさい。

 

少しずつ変わっていく

いろいろぐじぐじ悩んだりしてましたが、人間、ずっと同じ状況というのはありえなくて、何がきっかけか、何を理由としてか、わかりませんが、まわりも自分も変わっていきます。

 

いや、わからないってことはないな。人に話したことで、状況が変わったな、今回の、私の場合。

 

自分のなかだけで考えていても、現実は何も変わらず、考えていること、やってみたこと、その結果などなど、人に話すことで、「そうですね」って言われたり、「こうじゃないですか」って言われたり。

 

私の決断で影響を受ける人たちなんだけど、みんなとても優しくて、私の思うようにしたらいい、という態度でいてくださるので、それはそれで、私はますます悩ましいわけですが、でもまあ、ぜいたく言ってちゃいけませんね。責任を、引き受けなければ。

 

今日はまた、遅くなってしまった。とりあえず、睡眠を確保。おやすみなさい。よい週末を。

 

 

私が苦手なこと

ありゃー。とうとう連続投稿記録がとだえました。昨日の朝、なんだかばたばたしていて、夜には夜で、最近使いはじめたPhotoshopをいじり出したらあっという間に時間が経ってしまって、いかんいかん、このままだとまた寝不足だ、と思って早々に布団に入ってしまいました。

 

私の生活の中で、ブログの優先順位が下がってきたのでしょうね。前は、ブログにすがるように生きていたけれど、今は、限られた24時間の中で、それよりも大切なものが出てきた。

 

大切なもの、というか、やっていて楽しいこと、というか。

 

私の場合、それがゲームだったりドラマだったりではなく、クリエイティブなものにはまると時間があっという間に過ぎるのです。動画制作とか、写真の加工とか。

 

クリエイティブ? それってクリエイティブっていうのかな。子どものお絵かきと同じ、単なる趣味で単なる自己満足かもしれないけれど。

 

でも、時間を忘れてついついやってしまう、ということが、この先もしかして仕事になったら、めちゃめちゃうれしい。

 

まだまだ技術は足りないけれど。プロとして認めてもらうには何の実績もないけれど。

 

この先、何をして生きていくかということで、わりと最近、悩んでいます。自由すぎて、何を基準に決めたらいいか、分からない。

 

同年代の友人が転職活動をしていて、彼女は戸建の家を買ったばかりで、ローンがあるから年収はあまり下げられない、とそこを決めて活動しているようです。そういう、決まったものがあるのは、うらやましい。

 

私は、あまりに自由過ぎて、どうしたらいいか分からない。お金もなくていい、パートナーもいなくていい、どこに住んでもいい。

 

選択肢が多すぎると、人間は動けなくなるのです。子どもは産むもの、と決められていた時代は、それはそれで不幸だったけれど、迷う苦しみはなかった。親の決めた相手と結婚するもの、と決められていた事態は、それはそれで不幸はあった(かなりの不幸があった)と思うけれど、迷う苦しみ、悩みはなかったのではないか。

 

今の私は、自由すぎて、幸せすぎて、どこに自分の人生の基準を置いたらいいのか分からない。

 

それでも私は、自由を選んだ。自分の自由に責任をもつ。もう、大人なんだから。

 

大人すぎて、苦しいわー。えーん。誰かに思いっきり甘えられたら、この悩みから抜け出せるかな。

 

なんて、甘えるって、私がいちばん苦手なことなので、たぶん、それは一生できません。甘えることができるなら、とっくにやってる。

 

それなりに頑張っているはず

ふっ、かつ。

 

復活しました。あー、よかった。昨日までは、明らかに体調がおかしかった。体の調子というか、体そのものがおかしかった。年をとったから仕方ないのかと思ったけど、昨日までのだるさ、重さが抜けて、今日はまた快適に、普通に過ごせたので、昨日までがおかしかった、ということでよいと思う。疲れてたのかなー。ほかに理由があったのかなー。わからない。わからないけれど、しっかり休んだら治った。治ったならよかった。

 

理由を探るよりも、よくなる道を探すほうが建設的です。たくさん寝てみる。たくさん食べてみる。たくさん動いてみる。たくさん泣いてみる。たくさん笑ってみる。たくさん歌ってみる。いろいろやってみて、元気になれればそれでOKです。いろいろ試してみたころには、調子が悪かったことも忘れているでしょう。

 

今、ひとり暮らしで気楽なものですが、病気になったら不安になるのかなー、というのが懸念のひとつではあります。今回の体調不良は、病気ではありませんでしたが、不安ではありませんでしたね。むしろ、誰にも迷惑をかけずに済んでいるのが、とても気楽だった。休みたいだけ休めばいいし、ひどくなったとしても、誰に迷惑をかけるわけでもない。

 

会社のお金で保険をしっかりかけているので、私に万が一のことがあった場合は、会社も助かります。かといって、私の死を願って一緒に働いている人はいないと思いたいけれども。

 

これから何をやって仕事をしていくか、というのが大きな悩みどころですねー。今日もいろいろ考えて、いろいろ検討してみましたが、うーん、決断するのって、たーいへん。

 

まあ、たいへんじゃない人生なんてないんだと思いますが。私は私で、どこまでたいへんになれば「私、よくやった!」と思えるのか、それもよくわかりません。まだまだ努力できる、と思うと、私は努力が足りないのでは、と思ってしまう。

 

友人と話していて、「あの夏ほど勉強したときはなかった。あのときがあるから、この先どんなことがあっても乗り越えられる」みたいに言われた友達がいたけれど、私にはそういう経験ってないです。いくら頑張ったとしても、頑張ったことって忘れてしまうし、つらかったことも覚えていられない。

 

だから、「あのとき頑張ってたっけー?」って感じになるのだと思います。

 

そう思いたい。

 

今、私は努力しているか? まだまだやれるか?

 

そうですねー。そろそろ自分で自分を認めてあげたいので。もうこんなもんでいいんじゃないですかねー。

 

おやすみなさい。うっすらお腹が痛い。

老いる私と育つ娘

おはようございます。もうすぐお昼ですが。

 

ちょっとびっくりするくらい疲れていて、今朝もぜんぜん早起きできなくて、家でキュー〇ーコーワみたいな錠剤飲んで、会社の近くのコンビニでチョ〇ラBBみたいなドリンク飲んで、たぶん、そのうち体内から真っ黄色の液体が出ていくと思いますが、それでも元気はあんまり出ないよー。困ったよー。

 

それでも朝、シャワー浴びる前にスクワットをして、それでちょっとだけ気分は上がった感じですが、しかし、なんだ、この体のだるさは。

 

冬は冬で、寒さのせいにしていましたが、今はもう寒い季節ではないので、年齢のせいにしていますが、もしかしたら、病気だったらどうしよう。えーん、怖いよう。

 

でも、そのためにこの前ちゃんと健康診断を受けたのだし。何かあれば、ちゃんと治療をしよう。

 

何もなければ年齢のせいにして、老いていこう。あー、私ってばなんて秀逸なブログのタイトルをつけてしまったのでしょう。誰も一緒に老いてくれないとしても、私はどんどん老いていくのですよ。

 

私の、これまでの人生で言われた素敵な言葉のベスト3に入るのが、「女の人は、自分が年をとることに対する恐怖がある人が多いけれど、〇田さん(私の旧姓)は、そういうところが見えないのがステキだ」というセリフだったのですよね。これ、前にも書きました? ぴっちぴちの20代前半だったころに、60歳ちかい素敵な男性から、これを言われて、私はうれしかったです。20年近くたった今も、その言葉を忘れていません。

 

だから、老いることを恐れたくない気持ちが今でもあります。怖くはないです。抗いたくもないです。それを受け止めて、受け入れて、その中でベストを尽くして、心身ともに健やかに生きていきたいと思っています。

 

が、が、が、・・・怖くはなくても、しんどいねーん。だるいねーん。疲れるねーん。

 

昔、関西に住んでいたことがあるので、ときどき関西弁が出ます。関西弁の人と一緒にいると、すぐに感染ります。

 

お腹がすきました。元気が出ないことを、お腹がすいているせいにして、なんだかんだと食べてしまうと、身体に余計なお肉がついて、ますます心が疲れます。元気が出ないときに、何をしたらいいんでしょうね。筋トレ? カラオケ? 裁縫?

 

家庭科が始まった小5娘が、さいきん裁縫にはまっています。フェルトでマスコットなどなどを作っている。なかなか器用でセンスあります。実は、私も小学生のときにフェルトの小物作りが大好きだった。自分の昔の姿を、娘の中に見つけるのは嬉しい。

 

さて、お昼ごはんを買いにいきまーす。

もう体力が残っていない

そろそろ…自分で「体力が落ちたと認めること」を許してあげようと思う。30歳を過ぎたくらいからずっと、「30過ぎるとがくっと来るよ」「35過ぎると体力の衰えを感じるよ」「40過ぎたら無理は効かないよ」と言われ続けて、えー、そうかなー、全然私は感じないけどなー、と思ってたけど、ここへきて、来ました。ほんとに、ガクッときた感じ。疲れが抜けない。体力落ちた…。

 

私はめったなことでは朝寝をしなかったのですが、昨日も今日も、本当に起きられなくて、特に今日はひどかった…。正午くらいまで、布団から出られなかった。なんということだ。そして、今すでに眠い。まだ12時間も活動してないぞ。

 

まー、それはそれで、受け入れるしかないですよね。金曜日も土曜日も仕事して、今日も午後はしないといけないから午後だけは起きだして、それでも、アベンジャーズ見たから、いい週末だった。

 

本当は、まだ仕事のこってるけど、寝ちゃおう。めっちゃ眠いから。睡眠を削るのは、命を削ること、と思ってます。

 

おやすみなさい。また今度、ゆっくり書きます。

 

私はまだ母親なのか

今日はなんというかもう、てんこ盛りの日でした。歌いまくり、会いまくり、働きまくり。朝、起きたときはもう、どうにもこうにも疲れていて、あかんわー、年とったわー、と思ってましたが、行くべきところがある、やるべきところがある、というのはありがたいものです。決められていた予定をこなしているうちに、どんどん気分が上がりまして、今、めっちゃテンションが高いです。これからクールダウンして寝られるかしらん。いや、まだ寝ませんけどね。今、会社なので、これから電車にのって、自転車こいで、パジャマに着替えて、歯を磨いてから寝ますよ。

 

息子のリクエストで借りてきたアベンジャーズが見たいです。エンタメの世界にどっぷりつかりたい。

 

と思う一方で、仕事をするのも楽しくて、仕事をもっとしたい~。仕事、楽しい。

 

けれど、仕事だけしているわけにはいかないのです。子どもたちは、私と過ごすのを楽しいと思ってくれている。子どもたちは、私のいる家で遊ぶのを好んでいる。

 

それが分かっているからこそ、仕事とプライベートとの間で葛藤します。葛藤のない状態なんて、私にはないんだろうな。葛藤がないと、葛藤を作り出してしまうんだろうな。

 

私が母親をやめることで、子どもたちの幸福度がまったく下がらないとしたら、私はもう、母親なんてやめたいです。やめたい、と言うことと、やめることと、やめてみることと、全部違うので、それを踏まえていただいた上で、母親なんて、もうやめたい、と思う。やめてしまって、やっぱりまた母親になりたい、と思わない保証はないので、やめたい、と思うけれども、本当にやめてしまえるのかどうかは分からない。

 

そもそも、母親であるって、何なんだ。私は今、母親なのか? まー、母親ですよ。夫は「お前なんか母親じゃない」って言うかもしれないけれど、少なくともこの世に10人くらいは、私を彼らの母親だと思っている人が存在するぞ。その10人のうちに、子供たち本人が3人含まれるんだぞ。彼らが私を母親だと認識しているなら、私は母親だ。そーだそーだ。

 

あー。そうね。

 

世界中のすべての人から「お前なんか母親じゃない」って言われたとしても、子供たちが「お母さんは僕たちのお母さんだよ」って言ってくれたら、それでいいなあ。私の目指してるのは、そこだけだなあ。それさえなくしてしまうのは、やっぱりイヤだ。

 

10人のうちに、私自身が含まれないとしても。私自身が「私なんて母親とは言えないですよ~」って本心で思っていたとしても、子供たちが「えー、お母さんはお母さんだよ」って言ってくれたら、それでいい。

 

最悪なのは、私自身が「私は母親です」って思っていて、子供たちが「あんたなんか母親じゃない!」って思うケース。うわー、これはつらい。

 

今のところはたぶん、まだ、大丈夫。だけど、先のことは分からない。から、そう思われないように、あとしばらく、がんばる。

 

さて、家に帰ろうっと。