うどんとポン酢

ちょいとひっさしぶりぃ、な感じで仕事が忙しく、家に帰ったら日付が変わっていたのだが、まさかと思ったが、息子がいた。まさか。はよ帰れ。こんな時間まで自宅に帰ってないのはあんまりよくないよ。さらに、あんたテスト前でしょうが。

 

私が「あんたこんな遅くまで。お父さんが心配してるよ」と言ったら、「してねえよ…」と弱々しく答えた。

 

正直、息子と父親が仲が悪いのは、相対的に私と仲がいいということになるので、正直、しょーじき、嬉しさがあります。でも、そんな風に思うのは、たぶんあんまり良い考え方ではない。息子は、私とも仲よし、私と仲のよくない誰かとも仲良し、私と誰かが仲良くないことは、息子には関係ない。それでいい。本当は、それがいい。

 

ま、父親が心配してるかどうか、本当のところは分かりませんし、息子と父親が仲悪いのかどうか、それも全く分かりません。いいんです、私には関係のないことです。

 

書こうと思っていたのは、日付が変わってしまったけれども、それでもやっぱり夜食…と思って買ってきたサラダを、息子にぜんぶ食べられた、って話です。コンビニのサラダ、けっこう高いけど、どうしても食べたいと思って買ってしまったが…息子に食べられた。仕方ない。

 

で、別にお腹がすいていたわけでもないのですが、冷蔵庫に買ってあったうどんに、麺つゆと、ポン酢と、ごま油をかけて、生卵を割って食べる、というのをやってしまいました。少し前に、賞味期限がとっくに切れているポン酢を見つけて、しかし誰かからお土産でもらったなんだか高級っぽいポン酢で、封を開けて冷蔵庫に寝かしておいたらこぼれて冷蔵庫の中が汚れていたので、早く消費しなければ、と思っていたのだ。

 

で、「うどん」と「ポン酢」でレシピを検索したら、上記の調理方法が出てきて、なんだかとても美味しそうで、今日試してみたら、やっぱりおいしかった。

 

けど、この、麺つゆとポン酢とごま油の割合を、もうちょっと工夫できるんじゃないかと思った。もっとポン酢とごま油が多くてもよかったかも。もっと、って皆さんにどんな量だか伝わるはずもありませんが。お好みで。

 

はー、久しぶりにお風呂に入らずに寝るか…。いや、そうすると明日の朝、寒い思いをしなければならん。明日の自分を信用してはいかん。絶対に、絶対に、早起きなんてできるわけがないのだ。

 

これから、お風呂に入って、ちゃんと布団を温めて、ちゃんと寝るぞ。お腹いっぱい。おやすみなさい。

過去の自分を受け止める

昨日は久しぶりにたくさん食べて、たくさんワイン飲んで、ちょっと気分悪くなるかなー、と思ったけど、大丈夫だった。けど、朝起きて、あれー、今日って何曜日だっけー、休めるんだっけー、寝坊できるんだっけー、と思ったけど、火曜日は基本的に週の中でも早く起きなければいけないことが多い日で、えーん、休みたいよー、と思った。結局、1月2日からずっと休んでない。とほほ。へとへと。

 

おいしいものが食べられて、ぐっすり寝られて、適度に疲れるくらいの仕事もあって、うるさがりながらも一緒にいてくれる子どもたちがいて、これ以上の幸せはないのだ。これ以上の幸せがないからこそ、もっと頑張らなきゃいけないって、そう思う私は、きっととても真面目な人間なんだろう。

 

このブログを書き始めて、もう1年半くらいになると思うけど、書き始めたころとか、1年前とか、半年前でさえ、読み返すと自分が何かと不安になっていたり、やさぐれていたり、傷ついていたり、しているので面白い。あの頃は、ツラかったんだなあ、と思う。そのときのツラさを、ちゃんと書きとめることができている自分の筆力に感心しつつ、この前、自分がかわいそうだったころの日記を読み返して泣いていたら、そこに息子がやってきて、泣いている私を見て「何やってんの?」と驚いていたので、「自分の日記を読み返して泣いてるの~。このお母さんってば、ほんっと文章うまいわ~」と言ったら、「きも」と言われました。ええ、気持ち悪いでしょうよ。自分でもそう思います。

 

でも、自分の気持ちを自分でちゃんと書き留めてあげるのは、自分を大事にしている感じがします。傷ついていることを、ちゃんと傷ついたと書いているのは、傷ついていることをなかったことにしていない、ということだから。傷ついていたころの自分は、自分であって、自分ではない。あのときの自分を、傷ついたんだね、ツラかったんだね、そこを乗り越えてきてエラかったね、と今の自分が認めてあげることって、なんだか生きる希望につながる気がする。

 

嬉しかったことも、幸せだったことも、書きとめておくことで、そのときの気持ちをもういちど思い出すこともできるし、よかったねえ、あのときは本当によかったねえ、と祝福してあげることもできる。

 

ただ、恥ずかしかったことは、書いておかなくていいような気がします。うおおおお、忘れたかったのに、あんな恥ずかしい思いをしたこと、思い出してしまったあああ、と過去の自分を恨むことになりそうです。

 

そうやって考えると、怒りも、あまり思い出したくない。怒りとか恥って、乗り越えるべきものじゃないんだな。悲しみや悔しさは、その先の人生の糧にすることができるけれども。

 

悲しみを、受け止める。書きとめる。これは、私にとって大きなケアになる気がします。

 

さて、仕事に戻ります~。

 

めんどくさい女

友達と食事して、酔っぱらって帰ってきたら、息子(中2)が遊びにきていた。酔っぱらった勢いで、「ムスコー、ムスコー」とからんだら、うるさがられた。以下、息子とのやりとり(イメージ)。

 

「ムスコぉ―、ムスコぉー」

「何、あんた」

「ムスコぉー、ありがとねー、来てくれてー」

「マジうざいんだけど」

「うざいだろー、わはははは。母親とはうざいものなのだ」

「酒くっさ。ちょっと離れて」

「くらえ、ウザ光線。ばばばばば」

「はいはい」

「ムスコぉー、きみ、たいへんだね、こんな母親で」

「うん。即答で、うん」

「わはははは。かわいそうだね」

「ほんとだよ。深くうなずくわ」

「かわいそー、かわいそー」

「何なのあんた」

「母。お母ちゃん。アイム・ユア・マザー」

「ほんっとうるさいから。ほら、風呂はいってこい」

「えーん。ムスコぉー」

「うるさい」

 

とまあこんな感じ。息子、ラブ。

 

私は幼い子供があんまり好きじゃないので、自分の子供が大人に近づいてくれてめっちゃ嬉しい。子育てしてきた中で、今がいちばん楽しい。今のこの状態を子育てしていると言えるかどうかは微妙なところだが。

 

だが、今朝は仕事に出かける前に子どもたちのお昼ご飯がないということが判明したので(父親が出かけてしまったらしいので)、コンビニに行っておにぎりとかパンとか買って、置いておいて出かけた。娘と次男には会えなかったけど、帰ってきたらおにぎりもパンもぜんぶ食べつくされていた。なんだこれ、餌付けか?

 

今日は休日出勤してみたものの、本来働かなくていい日なのにー、と思うとダメですね。だらだらと過ごしてしまって、あんまり仕事は進まなかった。それでも何もしなかったよりはマシか。明日からまたきっついわー。はあ。大人だから、仕方ないですね。

 

一緒に食事した友達に、「この先、何を楽しみに人生を生きていったらいいか分からん」とばかりこぼしていた。今の人生が楽しいか、楽しくないか、といったら楽しいのだけれど、だけど、生きていく方向を見定めることができないというか。何かに向かっていきていくという感覚がつかめないというか。

 

友達は頭のいい人なので、「楽しみがなかったら生きていく意味がないってこと?」とか、「方向が分からないから人生が歩めないってこと?」といろいろ詰問されたが、問われれば問われるほど、矛盾するんだよなー、私の精神状態。

 

結局、私の人生には何も問題とか悩みとかがないからこそ、生きる方向が、とか贅沢なことを言うんだと思う。だからといって、問題や悩みが欲しいかというと、それももういらない。

 

だらだら、ぐだぐだ、生きていけたらいいのになー。って書くそばから、今の生き方、じゅうぶんだらだら、ぐだぐだしてるやん、って思う。

 

人間の脳ってめんどくさいですね。

 

おやすみなさい。

健康とお金の節約の話

今年の冬は、お風呂で入浴剤を入れたお湯にしっかりつかり、布団乾燥機でほっかほかに温めた布団で寝る、という毎日を過ごしているためか、めちゃめちゃ元気です。のどが痛いな…とか、なんか鼻水が出るな…とか、一切ありません。いつも、寒い時期はわりと膀胱炎に悩まされるのですが、それも、久しぶりに昨日くらいから症状が出ましたが、おっと久しぶりだね、くらいの感覚で、めっちゃ健康的な冬を過ごしています。

 

しかしたぶんそれは、体重が増えているから、というのも理由のひとつです。これまでの経験則として、ダイエットに成功して体重が減ると風邪をひく、というのがパターンでした。体重と一緒に体力も落ちてしまうのでしょう。それがこの冬はなくて、体重も体力もしっかり備蓄しております。

 

ストレスを感じると炭水化物を食べたくなって、炭水化物を食べることで落ち込みやすくなって、また炭水化物を食べる、という悪循環。私は極端な糖質制限はできないしやろうとも思わないですが、炭水化物を採るとてきめんに太る、特に中年以降はすぐに脂肪がつく、というのは身をもって感じています。

 

ちょっと炭水化物、減らすべし。

 

夕方に、1センチ幅くらいに切ったベーコンと、ゆでてパックで売ってるサラダビーンズと、ほんの少しのごはんを、マーガリンで炒めてクレイジーソルトで炒めて食べた料理ともいえない一皿が、とてもおいしかった。私はベーコンが好きだ。そして豆の食感が好きだ。そしてクレイジーソルトが大好きだ。ベーコンとサラダビーンズを買ってきて、またやろう。簡単でおいしい料理を作って食べるのが、最近のブームといえばブームかもしれない。

 

おこづかい帳アプリでお金を節約する、という生活も続けています。25日〆に設定してあるから、そろそろちょうど一か月の半分だ。なんとか目標金額の半分以上を残して生活できています。わりと苦しいけれども。というか、お金って、節約しようと思えばできるものなんだなー。これまで、あまりに何も考えずに使いすぎてたわー。もっと早く節約すればよかった。

 

しかし、こんな生活はお金がたまったとしてもあまり楽しくない、というのも確か。なんだか友達との付きあいも減ってしまったし。

 

と思ったけど、今週は友達から声がかかって2日もごはんを食べにいく約束があるのだ。珍しいことだけど、めっちゃうれしい。誘わなくても誰かが誘ってくれるの、めっちゃ嬉しい。

 

だから私も誰かを誘ってあげたいのだけど、それがねー、節約最優先だとねー、なにかとねー。

 

スミマセン、って感じ。

 

おやすみなさい。ほかほかのお布団に入ります。

素敵な高齢の男性

昨日は父親と同じような年齢の男性とのデートだったけれど、今日は実の父親に久しぶりに電話をした。今年になって初めてか? というか、去年、電話で話したかどうかも分からない。それくらい、ドライな関係だ。ドライだからといって、冷めているとか、仲が悪いとかではない。お互い、自立していて、お互い、好きに生きていることを認めているだけ。

 

なんで電話したかというと、数週間前から腰痛がひどくなって、要介護みたいな状態なんだよー、と母親がメールしてきたから。要介護みたいな状態になっちゃったんだよ、という表現を読んでいた段階では、いよいよ離れて住んでいる私たち親子の関係にドラマチックな展開が始まったか、と思ったのだけど、ものの数行で、でも寝てたらだんだんよくなってきたんだよ、という流れになったので、まあ、心配は要らないってことなんだけど、きっかけではあるので、電話してみた。寝たきりに近いみたいなので、ヒマだろうな、と思って。

 

上にも書いたとおり、冷めてるわけでも仲が悪いわけでもなく、お互いに牽制し合うとかマウントとり合うとかもないので、父と娘ではありますが、かつて長い間を一緒に暮らした70代の男性と40代の女性として、ジョークや思いやりや気遣いを入れながら、お大事にね、そっちもがんばってね、というような会話をした。なんか、書いてて気持ち悪いな。健全すぎて。でも、そういう父娘なのだ、私たちは。

 

しかし、実父と話しながら、昨日のK島さんのことを思い返すに、たとえば父が、娘みたいな年齢のかつての部下から「一緒にコンサートに行ってもらえませんか」と誘われたら、照れたり、何か裏があるんじゃないかと勘繰ったり、何を着ていったらいいか分からなかったり、単にめんどくさくなってしまったり気疲れしすぎたり、といういろいろな理由をつけて、コンサートに行くのは辞退しちゃうんじゃないかな、と思った。うちの父がそこまで魅力のある男性だとは思えないけど、かといって、全然魅力がないわけでもないと思うし、もしかしたーら、まんがいーち、慕ってくれる女性がいないわけでもないだろう、と思うのだ。が、たぶん、父は自意識が邪魔して、それを断るだろうな、と想像した。

 

それを考えると、昨日のK島さんは、快くデートをOKしてくださって、かといって浮かれるそぶりも見せず、だからといってつんけんするでもなく、照れるでもなく、なにか勘繰るでもなく、そして、これが大事だが、気合い入れてオシャレしてくるわけでもないのに普通にハンチングかぶってジャケット着ている感じがお洒落、という、ああ、もう、何これ。のろけですか? のろけですね。

 

いや、そういうね、変に自意識を作動させてデートを断っちゃうなんてことをしない、素直なK島さんのことを、ますますステキな人だなあ、って思った、そういう話。

 

父親のことは、父親として大好きなんですけどね。電話でミステリの話とかして、楽しかった。

 

おやすみなさい。

 

 

特別なデートをしてきた

仕事の関係でクラシックコンサートのチケットを2枚もらったので、前の会社で研修後に初めて上司になった男性を誘ってデートしてきた。

 

デート? うん。デートだ。電車でコンサートホールに向かうとき、天国にいちばん近いデート、という言葉が思い浮かんだ。その男性は74歳。ちょうど30歳年上なんだな。

 

私はクラシック音楽について何の知識もないけれど、その男性がクラシック好きだということを知っていたのと、とにかく私はこの男性、K島さんのことが、大好きなので、誘ったら快くOKしてくださった。天にも昇る気持ち。天国にいちばん近いデート。

 

大好きだとか、天にも昇るとか、書いているけれど、恋愛感情のようなものとか、肉体的な欲求とかは、いっさいなくて、なんというか、K島さんは、私にとって、愛すべきおじいちゃん。私は父親のことも大好きだけれど、父親に接するのって、なんだか照れとか気まずさがある。その、父親に対する大好きな気持ちから、照れとか気まずさとか、親子だからこそ言えない悩みみたいなものを差っ引いた気持ちが、K島さんに対する気持ち、と説明したら、いちばん近いかもしれない。

 

体も心も、近づく努力もしなくていいし、近づきすぎないように気を遣う必要もない。一緒にいて緊張感がないわけではないけれど、決して疲れることもない。心地よい。

 

そしてK島さんは、愛すべき、かわいらしい男性、なのだけれども、とにかくこの人は頭がよくて、読書量が半端ないし、何でも知っているし音楽や歴史、美術、宗教、とにかく私は、インテリってすげー!っていう、尊敬の念も有り余るほど抱いている。

 

その一方で、K島さんは女の人が大好きで、今日も、昨年に肺炎で入院したときに看護婦さんたちが天使に見えただとか、イタリアに旅行したときに少女から娘になるあたりのお嬢さんたちがどうのこうのとか、とにかくそんな話もこれまでたくさん聞いてきたのだけれど、それは、私が思うに、世間のエロ親父の下ネタとは違って、ただただ純粋に、おいしい料理を食べて「なんてうまいんだ!」とうなるように、美しい花を見て「なんてきれいなんだ!」と褒めるように、女の人のことを「なんてかわいいんだ!」「なんてステキなんだ!」と崇めるのだ。それは、男の人の支配欲とか、相手の女性の反応を見て楽しむとか、そういう下種な感情とはまるで違うものに、私は思える。

 

そんなK島さんにとっての、特別な女性になんてなれるはずもないのだけれど、なれたらうれしい、とそんなことを思う私の方がよっぽど下種だ。特別な女性というのは、もちろん恋愛感情を持ってほしいとか彼女にしてほしいとかじゃなくて、なんだろうな、私がこんな風に大好きだと思っていることを、ちょっとだけでもうれしく思ってくれたらいいな、というそんなささやかな望み、かな。

 

今日、お話を聞いたら、ご長男が結婚されていないそうで。私と1歳しか違わないのだそうだ。えーと、K島さんの娘になれたら…と妄想したけれど、それって、すごく特別な女性になるってことだし、もしそんな関係になれたら私は、たぶんすごくうれしい。(K島さんのご長男をどんな人だか知りもしないで書いてる時点で頭おかしいけど。)

 

肝心のコンサートも素晴らしかったし、コンサートの後で二人で食べたうどんもおいしかったし、幸せ。ほんと、幸せ。

 

おやすみなさい。

意味のないチャレンジ

日付が変わるまであと10分で1000字書けるかチャレンジ。と思っていたら、あと5分になってしまった。5分で1000字はきつい。たぶん。

 

なんで10分前からの5分を使ってしまったかというと、会社のGoogleアカウントでログインしているので、このページの履歴が他の人に表示されたらイヤだな、とか考えてしまったため。秘密を持つって、生きにくいわ…。だからといって、すべて、すべて、ぜーんぶをみーんなに開示して生きていくなんてこともできない。

 

それでも気にしない人は気にしないのだろうけど。そんな人がいるとしたら、うらやましいなあ。そういう人は、何を悩みに生きているのだろう。

 

悩みって、大切にしたいものが二つ以上同時に存在から生まれると思うんだよね。隠したい&開示したい。二つが同時に存在するから、悩ましい。それが、開示したい、の一択だったら、何も悩まなくていい気がする。

 

いつもいつも自分が一番、という一択の人も、悩まなくていいんだろうな。他の人がどう思うか、とか、まわりの人が傷つかないか、とか、考えなくていいわけだから。そんな人がいるのかどうか分からないけれど。

 

まわりの人を大事にするかしないかはともかく、まわりの人を完璧に動かす人も、またいないわけで、そういう人は、悩むというのとはまた違うだろうけど、まわりの人が自分の思うように動かないことで、イライラしそうだ。私の場合、それは、ない。他人を、自分が動かすなんてできない、と思っている。それは、雇用/被雇用の関係であっても、親/子の関係であっても、惚れた/惚れさせたの関係であっても、絶対に。

 

一時的にコントロールすることはできたとしても、それは、たぶん、続かない。続く期間の長さは人によって、ケースによって、千差万別だろうけれども、誰かを、ずっと、ずっと思いのままに支配して、コントロールするなんて、無理だ。コントロールできていると思ったとしても、錯覚だ。心は自由だ。誰だって。

 

6分経ちました。まだ800字です。あと200字。

 

こんなチャレンジに意味があるんでしょうか。今、実はちょっと酔っぱらってます。帰りに缶ビールや缶チューハイの類を買おうかどうしようか迷いに迷って、やめて、家に帰ってきて、なぜだかずーっと戸棚に入っていたままの、シャンパンを開けました。なーんの記念日でもなければ、なーんのうれしいこともなかった日ですが、お金をつかわずに、しゅわしゅわしたアルコールを摂取する、という望みがかなえられて、幸せだけれど、ちょっとむなしいです。

 

8分で、1000字を超えました。おやすみなさい。