人生はつらいが息子はかわいい

まあ、わりと最近、毎日がつらいですね。生きていくことに希望が見いだせない。

 

なんて書くと、ものすごく鬱々とした日々を過ごしているかのように思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。朝から晩までほとんど笑ってるし、きちんきちんと会社に行っているし、子どもたちとも接しているし、何より心身ともにめっちゃ健康です。

 

しかしこの先の人生には希望が見いだせない。何かをしたい、とか、こうしたい、とか、こうなりたい、とか、あれがほしい、とか、そういう希望とか欲望とか願望とか、そういうものを持つことができない。

 

この先、何かでめっちゃ喜ぶということが、自分に起きるということが、イメージできない。

 

ネガティブだなあ…。

 

まあ、そのうちに気持ちも状況も環境も変わるのだろうけど。今は、そんな風に思っているというだけのことです。だからといって絶望しているわけでもないし、体が動かなくなるわけでもないし、日常生活に支障はないです。こうしてブログも書いてるし。

 

ただ、ブログに前向きなことが書けないのは申し訳ないなあと思います。せっかく読んでくださる方がいるのに、わざわざネガティブなことを読んでいただくのは申し訳ない。

 

何かがんばって面白いことを書いてみようと思います。

 

面白いことというわけでもないのですが、今年を振り返ってみたときに、この1年は、長男ととても仲良くなった1年だったなあ、という気がします。去年は逆に、なんだかもうこのまま私は母親として何もしてあげることはなくなってしまったのだなあ、と思っていたのだけれど、なぜか今年は、彼がやたら私のところへ来て、いろいろな話を私にしてくれたし、たまーにだけれど、一緒に勉強したりもした。一次関数くらいなら数学でも教えられるぞ、えっへん。

 

私のところへ来るのは、私のところにiPadがあるからだけど、だからといって私のことが嫌いだったら「なんか食べるもんある?」とか、「あのさ、今日席替えだったの。めっちゃいい席になったの」とか、「部活の顧問がマジうざいわー」とか言わないと思うから、いろいろ話してくれてうれしい。私がそれに対してイヤな受け答えをしていたら話してくれる回数や話題も減っていたと思うけれど、1年の間に、なんだかすごく仲良くなった。と思う。

 

ちょうど中二病と呼ばれる病気もあるくらいの年齢なんですがね。だけど、彼の毎日はとても健やかな感じがしていて、私はとても安心。あと3センチくらいで、私の背に追いつく。追い越すかどうかは微妙。私はとても背が高くて、だけど彼の父親の家系はみんな背が低いから。

 

おやすみなさい。結局、ポジティブなことって、子どものことしかないのかも、私。

カシスの味と歯の話

カシスムギチャを飲んでいます。家に、カシスのリキュールはあるのだけど、ウーロン茶がないので、麦茶で代用してみました。居酒屋の飲み物で、カシスウーロンがかなり好き。しかし、あまりに軟弱な飲み物なので、頼むのがちょっと恥ずかしい。けれど、プライドをかなぐり捨てると、カシスウーロンは、味としてもベストに好きだし、何よりアルコール度数が限りなく低いのがいい。

 

しかし、カシスムギチャはそこまで美味しくありません。やはりお茶を混ぜるならウーロン茶なのでしょう。曲がりなりにもメニューになってるくらいですからね。曲がりなりにも、ってカシスウーロンに失礼な話ですが。

 

なんで家にカシスリキュールがあるかというと、何年も前から、家に白ワインが一本あって、私は寝る前に赤ワインを飲むのは好きなのだけど、料理と一緒に白ワインを飲むという習慣はなくて、別に料理と一緒に飲まなくてもよいのだけどなんとなく私にとっては白ワインは食事と一緒に飲むもので、とにもかくにも、白ワインがなくならないので、キールを作って飲もう、と思い立ったのでした。キールも大好きなカクテル。つまり私は、カシスが好きなのです。カシスビールも大好き。ただし、最近はビールがてんでダメになったので、カシスビールもおいそれと頼めなくなりました。

 

話が全然進みません。というか、進める気があるのか、どこに向かって進んでいるのかもよくわかりません。

 

本当は、虫歯の話を書きたかったのです。今朝、歯を磨く前に口をすすいだら、奥歯に水がしみたのです。

 

本当は、歯に水がしみた話ではなくて、このところ毎晩、寝る前にキールを飲んでそのまま眠っていたのですが、ふと昨日くらいに、「これ、虫歯になるんちゃうか?」と思ったことを書きたかったのです。虫歯になったらまずい、キールと別に水のコップを1杯、枕元に置いておいて、寝る前にせめて口をすすいでから寝よう、と思っていたのですが、そう思っていた矢先に、虫歯になったような気がするので、予想が当たって嬉しいような、いやいやぜんぜん嬉しくないような、なんかでもずーっと歯医者さん行ってないからいい機会かも、と思っているような、そんな気持ちです。

 

歯って不思議です。口の中に骨がむき出しになっているような感じです。ものすごく歯並びの悪い人とか、虫歯になっても放っている人とか、逆に潔癖に常にピカピカにしておかないと気が済まない人とか、虫歯とは言えないけど歯石がたまってるとか色が変わってるとか歯茎が病気だとか、いろんないろんな状態があって、どこまでセーフでどこからアウトなのか、私にはよくわかりません。歯医者さんは、何をもってセーフとアウトを見分けているのでしょうね?

 

今日は、歯を磨いて寝ます。おやすみなさい。

 

あ、いや、ちゃんと毎日磨いていますよ。

 

 

苦手なものが増えてツラい

この年になって、急激に苦手なものが増えてきた感じがして、ちょっとツラいです。寒いのだけは苦手、と言っていたのに、苦手なのは寒いの「だけ」ではなくなってきた。

 

今日は、今年最初の忘年会でした。この1年、さんざん、さんざん、お世話になった人たちとの会合だったので、さすがに参加しないとかな、と思って出席したのですが、いろいろ、いろいろ、ツラかった。

 

この1年、お酒を飲まないことがいかにラクか、というのを学んだので、極力、極力、お酒はゆっくり、ほんの少しを飲んでました。それでも、全然飲まなくてよかったと思うくらい(ノンアルコールにしておいてもよかったかも)だけど、まあ、まあ、それはよし。

 

この半年くらい、胃腸が本当に弱くなったということを自覚しているので、かろうじて、お肉だけは辞退しました。が、コース(品数)が決められていて、テーブルの上の大皿に私の分が残っていると「これ、どうぞ」と言われてしまい、それはやはり食べたほうがいいのかな、と食べていたら、案の定、コースの最後で気分が悪くなってしまった。お肉も食べてたら、絶対嘔吐コースだったわ、これ。

 

お店のコースって、なるべく安く、なるべくたくさんの料理を提供しようというのが努力の方向なものだから、それって、たぶんもう私のような人間には、量が多すぎるということが多々起こる。もちろん、全然量が足らない、という人もたくさんいるのだろうけど、人間、食べる量なんて、性別によっても年齢によっても個性によっても全然違うのだから、私は私で、もうあんまり食べられないのだ、ということで、勘弁してほしい。

 

お酒も苦手、コース料理も苦手、ときて、さらに、とにかくよくしゃべる人との宴席がツラくて仕方ない。「私が〇年前××に会ったときは…」とか、「〇年前に私が××したときは…」とか、うーん、私も同じ経験してるけど、私のほうが最近だな…と思いつつ、そんなことを言うのはマウンティングみたいなので、ずっと「そうなんですかー」「そうなんですねー」と聞いているのが、もう、ほんとツラい。しかも相手の言っている情報が間違ってたときにはどうしたらいいんだ。

 

そして、夜が遅くなるのもツラい。前はしょっちゅう終電で帰っていたのになあ。飲み足りない、話し足りない、騒ぎ足りない、と思っていたのになあ。今はもう、10時を過ぎると、早く帰りたくて仕方ない。次の日がツラくなるのが怖くて仕方ない。

 

一言で言って、年をとった、ということなのでしょう。それはそれで、ツラいことではない。変に年齢に逆らったりしたくないし、いつまでも若くいたいとも思わないし、もっと〇〇しておけばよかった、という後悔もない。

 

ただ、年を取ったということだ。年を取るというのは、苦手なものを苦手だと言うのが許される、ということかもしれん。

 

おやすみなさい。

 

やっぱりどうしても寒いのはイヤ

東京、寒くなってきました。12月だから、寒くて当たり前なんだけど、去年の冬に、もう本当に寒いのだけはイヤだ、と思っていたことを、じわじわと思い出してきた。

 

寒いのを我慢せずに、いくらでも着込んで、いくらでも暖房器具を使って、いくらでも室内に引きこもれば、それでいいのかもしれない。それで何も悪くないのかもしれない。運動不足にならないように、家の中で踏み台昇降するとか、バランスボールで弾むとか、ラジオ体操するとか、ちゃんと運動さえしていれば、なるべく、なるべく外に出ないで、温かい家の中で過ごせば、それでいいのかもしれない。

 

なんとなく、寒さに負けずに外へ出かけたり、寒い冬でも活動的に出かけたりするのが良いことだと思われているのはなぜだろう。なんとなく、のイメージにとらわれて、誰が得するわけでもない行動をとらなければいけないのは、もしかしたら馬鹿らしいのかもしれないよ。

 

着込んで着込んで、コートや手袋や帽子までして出かけたところで、出先でそれらのアイテムが邪魔になるし、おしゃれと防寒を両立させようと思ったらますます悩みが増えるし、もう、おしゃれなんて要らない、活動的なイメージなんて要らない、とわりきって、家の中で過ごしてしまえばそれでいいのかもしれないよ。

 

今年の冬は、マフラーを編んで過ごそうかなあ。それとも絵を描いて過ごそうかなあ。映画は夏の間もだいぶ見たから、特に冬に見なくてもいいかなあ。ピアノかギターを練習しようかなあ。

 

たとえば北欧の人々は、冬をどんな風に過ごしているのだろう。家に暖炉があったらいいのにな。家の中で、燃える火を見て過ごすことができたらいいのにな。

 

一日に1回は空気を入れ替えて、家の中の空気がよどんでしまわないようにだけ気をつけて、食料はちゃんと健康的な食べ物を買い込んで、外で寒い思いをしなくても、心身ともに健康に、冬を過ごせたらそれがいいなあ、と思う。

 

ただ、それでもきっと私は、誰かとの交流を求めてしまうだろうな、という気はする。だから、SNSからは逃れられないし、毎日、会社へは行くと思う。

 

それで、十分かな。自分の人生が、どこへ向かっているのか、実は今は、あまりよくわかっていない。やりたいことは、できている。できているからこそ、向かうべき場所がよく分からない。だから、とにかく、冬は凹まないこと、落ちてしまわないことだけを目指して、もう、寒くてイヤになることだけを避けて、過ごしていこうと思う。

 

シミに対するぐるぐるする感情

こんばんは。昼間、マリンバの教室を探して、やっぱりマリンバよりも別のことをしよう、と思ってしまったうさぎです。

 

やりたいこと、たくさんあります。でも、全部、全部はできないんです。それはもう、絶対に。人生の時間は限られているし、大人だから自分の食べる分は自分で稼がなきゃいけないし、子供たちのおやつくらいは食べさせてやりたいし。

 

最近、自分の顔のシミがまたものすごく気になってきて、娘に、レーザーで取ってしまいたいなあ、というようなことを話したら、「お金かかるの? だったらいいよ。お母ちゃんがきれいになりたいのは分かるけど、お金がかかるんだったら、もうそのままでいいよ」と言われた。そうだよねー、娘よ。キミの言う通りだ。

 

しかしシミが気になる。そのうち、気になる時期を過ぎるのか。以前、豊胸手術をしたいと思っていたけれども、そのブームがいつの間にか去ったように。

 

我慢して、我慢して、お金をためていったら、いつか、気にならなくなるのだろうな。今はきっと、抗いたい時期なのだろうな。まだまだ若く見られたいとか、もう少し若く見られてもいいはずだとか、あとちょっとだけなら若く見られることができるんじゃないかとか。

 

しかし、その時の悩みは悩みであって、時間が経って悩みが消えるのと、その時の悩みを自分で解決したり解消したりするのとは違うぞ。違うからって、次から次へと悩みを消していっても、次から次へと違う悩みがやってくるのだぞ。

 

人間は、悩むようにできているのだと思います。悩むからこそ人間だったり。悩みのない人間は、他人の問題に首をつっこみます。私がシミをレーザーで消そうが、ひどいシミだらけの顔をさらしていようが、世界の状況が何か変わるわけでもなかろうに、気にする人は気にするのでしょうね。気にしないでください。私の問題なので。

 

なんだか、何を書いているのか分からなくなってきました。本当は、シミを消したいのです。たぶん、20万円くらいかけたら、満足いく仕上がりになるのではないかという気がします。それくらい、シミが顔じゅうに散らばっております。しかし、20万円という金額は払えません。3万円くらいで、いくつかのシミを消したいなあ。

 

3万円で消したところで、きっとまた2年後ぐらいにまた消したいシミができているのだろうなあ。いたちごっこだ。しかし、いたちごっここそが人生だとしたら、いたちごっこに3万円をかけるべきか?

 

うーん。悩みます。しかし、シミを消す前に、ブーツに穴が開いているので、新しいブーツを買いたい。やはり、全てを叶えることは、難しい。

 

ヒマをつぶしております

待ち合わせの時間を間違えて、ヒマになりました。あ、帰国してます。帰国して、都内某所の某レストランで、ビールを飲みながらヒマをつぶしています。

荷物が重いと腰が痛くなるので、荷物は最小限にしています。最小限にしているつもりでも、会社のカードキーとか、名刺入れとか、ペンケースとか、いろいろ重いのです。ひとつひとつは決して重くないのに、すべてを持ち歩くと重いのです。そして、それらは何一つ減らせないのです。日によって要るものと要らないものはあるけれど、毎日の判断はめんどくさいし、万が一、判断を間違えて、何かを忘れてしまったときのダメージは、いかんともしがたいほど、大きいのです。

荷物の重いのがイヤなので、ふと空いてしまった時間に、することが何もありません。読書も勉強も仕事もできない。それ以外のヒマつぶしって何だ? 私にはそれ以外のヒマつぶしがないような、つまらない人間なのか?

困ったもんですねえ。時間って、ないときにはとことんないものなのに。こんな風に、もて余してしまう時間も訪れるなんて。

ものすごく久しぶりに、この文章はスマホの小さな画面でちまちまと書きつないでいます。正直、あまり心地のよいものではありません。私はやっぱり、パソコンのキーボードをパチパチと叩く、あの感触が好きなのです。キーボードが立てる小気味よい音とともに、文章がつむがれていくのが、好きなのです。

そんなことを考えていたら、マリンバを演奏したくなりました。指先が直にふれるわけではなく、音を出して、メロディを奏でられる楽器。ピアノもギターも、直接に指が触れるのは、ダメです。いや別に、ダメじゃないけど、直接に指が触れて何かを作り出すなら、パソコンのキーボードで良い。

マリンバ、なんだか好きな楽器なんですよね。高校で吹奏楽部に入っていて、パーカッションでした。マリンバはやったことないですが。やったらけっこう上手くできる気がする。

ちょっと、教室を探してみよう。気まぐれですみません。わはは。ではまた。

理由を探し始めているのか

ひとりで街を歩きすぎて、ものすごい筋肉痛です。ただ、歩いただけなのに。いかにふだんの東京の生活で歩いていないか、ということですよねー。

 

歩くの、大好き。ただただ単純に、身体をどこかへ運ぶという行為が好きだ。かち歩き大会みたいなのに参加してみたいと思いつつ、まだ参加したことがない。

 

歩くのなんて、いつでもどこでもやればいい、と思うものの、それをやるための時間を確保するのが難しい。仕事でもなく、向上心を伴う趣味でもなく、ただ、歩くことを目的に歩く、というのは、ふだんの生活のなかだととても贅沢なことなのだ。

 

だから、旅先くらい贅沢をしようと思って歩くのかというと、それはまた全然違って、せっかく遠い国まで来たのだから、あれも見たい、これも見たい、あそこも行こう、ここも行こう、となって歩き回るのである。これでは、贅沢のまるで反対ではないか。

 

旅先でくらいゆっくりすればいいのに。ゆっくりするために旅があるのか?

 

人はなぜ、旅をするのかということを、電車の待ち時間をつぶした駅のレストランで考えていた。人類は、いつ、旅というものを発見したのか。きっと文献を探せばあるのだと思うのだけど。

 

何らかの必要があった「旅」、あるいは身体の移動。これが、いつから娯楽になり、ビジネスになり、贅沢になったのか。そんなことを考えた。

 

何が旅で、何が旅ではないのか。旅行と出張は何が違うのか。旅行と合宿は何が違うのか。旅行と留学は何が違うのか。

 

私が好きなのは何なのか。旅行の何が好きなのか。

 

理由がなくても人は旅をするだろうか。

 

好きになるのに理由は要らない、と私は常々思っていた。旅行の理由を探し始めている私は、もしかしてもう旅が好きではないのかもしれない。

 

かといって、旅行しない自分になってしまうのはイヤだ。外国、日本語じゃない言葉が話されている地域、いつもの文化と違う文化が広がっている場所、そういうところへ身を運びたい気持ちは、消えない。消えてほしくない。

 

旅行をモチベーションに、仕事をする。仕事をする理由を、旅行にする。

 

異国の地にいるのは心地よい。この心地よさが、あとしばらくは続いてほしい。旅行で得られる満足が、旅行のわずらわしさに負けてしまったら、もう、私には何もなくなってしまう気がする。せめて、旅行は好きなままでいたい。まだまだ行きたい国がある、と思っていたい。

 

こんな努力をいないといけないくらい、自分の気持ちが変わってしまっているのを、実は、ひしひしと、感じている。