都合のよいことだけ採用する

会社のツイッターで、つぶやけばつぶやくほど、フォロワーが減っていくというこの悲しみ…。負けないけど。3人増えて2人減る、です。ツイッターは、ワンツーパンチ。

 

このブログも、いつの間にやら書けばそれなりにスターをいただけるようになりました。嬉しいです。1年半ほど前に書き始めたころは、スターの数が途中で略されて数字になる状態にあこがれていたものです。ありがとうございます。

 

今日は、昔の自分と、今の自分を、切り離すことができるとすっきりするよ、という話をしようと思います。

 

と書いたそばから、スターの数字にあこがれていたころの自分と、スターが数字で表されている今の自分をつなげて考えるからこそ嬉しい、と書いた数行上と矛盾しますが、人生にはいろいろな原則があるのです。原則と原則は、常に矛盾しているのです。だから、好きな原則だけ、都合よく使えばいいのだと思います。

 

さて、気を取り直して、昔の自分と今の自分を切り離すとすっきりする、というのはどういう意味かというと、私、ここ数日、とある男性との関係になんとも言えないもやもやした気持ちを抱いていたのですね。

 

週末に、会おうよ、いいよ、という約束をしたにもかかわらず、当日の朝になってドタキャンされたのです。とある事情で「またの日にしよう」と言われ、私は「おっけー」と返事してしまった。

 

その後で、いろいろな気持ちがもやもやむくむく湧き上がってきて、どうにもこうにも腹立たしくなってきたのですが、その腹立たしさが、何によって起こっているのかが、自分でもわからず、余計にもやもやしていました。

 

ドタキャンされて自分の予定が狂ったことが腹立たしいのか。ドタキャンするような軽い約束をされたことが腹立たしいのか。あっさりとドタキャンしてくるその行為が腹立たしいのか。ドタキャンしても良い相手だと判断した彼の気持ちが腹立たしいのか。それともすぐに怒りを表せずに「おっけー」と言ってしまった私が腹立たしいのか。そもそもドタキャンになる可能性のあるような日に約束した彼の計画性のなさが腹立たしいのか。

 

何に腹を立てているのか、自分で自分が理解できませんでした。

 

が、数日たって、わかりました。

 

たぶん半年くらい前まで、その彼とは仲が良かったのです。その頃は、私も彼のことをほとんど好きだったのです。そして、彼がもっと私のことを好きになってくれたらいいな、と思っていたのです。

 

が、今、どうやら私はそう思っていないということが、今回の一件で分かりました。正直、めんどくさいです。昨日に引き続き、まためんどくさいが出てしまいましたが、めんどくさいものはめんどくさい。

 

もう、私は彼と仲良くしたいと思っていないのです。私の気持ちは変わったのです。だから、もう彼との約束も、それに対する予定変更も、すべてが迷惑だということです。そもそもすべてが腹立たしい一連のできごとだったということです。

 

はー、すっきりしました。気持ちは変わっていいし、変わることを認めていいし、変わりたくないなら変わりたくない、ということを認めるのも、それはそれでよし。

 

都合のよい原則を、たくさん採用して生きていきましょう。ではでは。

 

酔っぱらうのもめんどくさい

こんばんは。しばらくお酒は最低、最少に抑えていたのですが、何日か前に、いつも寄るコンビニで「赤玉パンチ」を買ってみたら、これが予想外においしくて、今日も買ってしまいました。はじける甘さのワインサワー、赤玉パンチ、サントリーです。なんというか、ワインでもなく、いわゆる缶チューハイでもなく、サングリアみたいなおしゃれなカクテルでもないところが、めっちゃ中途半端な感じがして、これまで手に取ることはなかったのですが、その中途半端さが、実は私にマッチしました。サングリアとか、高いし。ワインだけだと物足りないし(体には良さそうだけど)。わざわざ割るための炭酸飲料を買うのももったいないし。赤玉パンチ、このなんともだっさい感じにさえ目をつぶれば、私にぴったりはまりました。

 

っていうか、だっさいって、誰に向かって気を遣っているのか、私は。家で缶入りのアルコール飲料を飲んでいる時点で、おしゃれでもハイソでもなんでもないのだから、今さらだっさいとか、赤玉パンチをけなしてる場合か。

 

 と、昨日ここまで書いて、息子が来たので中断しました。赤玉パンチ飲んでいたので、息子に「あっか(顔のこと)」と言われました。ええ、私、ほんの少し飲むだけでものすごく顔が赤くなるのですよね。

 

もうお酒は要らないって思ってたのになー。なんとなく、飲んだら楽しいんじゃないか、飲んだらリラックスできるんじゃないか、って思って飲んじゃうんだよな。本当は、後悔するのに。実際は、あとでイヤな思いをするのに。

 

なんだか今日は、仕事でもやることがたくさんあって、一日中、そわそわした気分で過ごしました。仕事が進んだんだか、進んでないんだか、よく分からない。あまり充実感もなく、時間が来たから夕ご飯たべなきゃ、みたいな感じでコンビニにいって、サラダとおにぎりを買ってきました。

 

コンビニのサラダは好きだけれど、家で食べるとプラスチックごみがたまるのがイヤです。冷蔵庫にレタスかキャベツだけ入れておけばいいのだけれど、買ってくるタイミングと、食べきれるタイミングがうまく重ならないことも多いので、なんとなく、めんどうに思ってしまいます。

 

しかし、家にごみがたまるの、めんどくさい。

 

ごみの出ない暮らしを目指したいなー、と思いつつ、そんなめんどくさいことできるのかな、私。

 

めんどくさい、めんどくさい、ばっかり書いてますね、私。だからやっぱり、夫に「食洗機を買いたい」と言ったとき、「きみは自分がサボることしか考えていないんだね。いつもめんどくさい、めんどくさい、ばっかり言って。これ以上ラクをしてどうするつもりなの?」って言われたんですよね。

 

はあ。もう、こんなこと書いても腹も立たなくなってきました。なんか、ちょっと投げやりモードでございます。

 

ではでは。

 

他人の人生をコントロールしない

こんばんは。日曜日の夕方、やるべきことはたくさんあるにもかかわらず、のんびりと過ごしております。

 

このところ、長男とまた仲が良く。受験生でもありますので、夜遅くまで私のところにいます。そうすると、ブログが書けませんので、今、書いております。たぶん今日も、もう少し遅くなったら、問題集をもって私のところに来ると思います。

 

受験というシステムよ、ありがとう。英語という教科よ、ありがとう。英語が受験科目なおかげで、私の愛する息子は、英語を教えてもらうという名目で私のところへ来てくれます。ああ、愛しいわが子。

 

しかし長男、受験をがんばるつもりは、あまりないらしい。それでも、とりあえず勉強をしているのだから、えらいと思う。

 

私は、勉強しろとも言わないし、偏差値の高い学校に入れるようにがんばれとも言わないし、もっとちゃんと将来のことを考えろとも言わない。そんなこと、息子が考えて自分で決めたらいい。「私は基本的にはきみのこと応援してるから」ということだけは伝えてある。「勉強、私でわかるところなら教えるよ」とも言ってある。「お弁当が必要な高校だったり、私立でお父さんに反対されたりしたら、いちおう私に相談しな」とも知らせてある。もう、それだけ手渡してあるから、それでいいでしょ、と思っている。

 

私は、誰かが他人の人生をコントロールしようとするのが大嫌いだ。数日前に、外国人の男性が、保育園だか幼稚園だかで虐待をしていた、というニュースで動画が流れてきて、思わず見てしまって、しばらく体が動かないくらい、ショックを受けた。暴力的な場面を見るのは、あまり得意ではない。特にその映像は、体の大きな男性が、小さな子供の襟首をつかんで無理やり移動させていたり、見るに堪えなかった。

 

暴力を見たくない、という心地悪さもさることながら、私の心の中にわいた怒りをすこし分析してみると、それは、その男性が小さな子供たちが彼の思い通りにふるまわないことに対して、暴力で従わせようとしている、という、その点に私は怒りを覚えたのだと思った。小さい子を、暴力で脅して、自分の思い通りに行動させようとする。自分の思い通りにならない相手を暴力で思い通りにする。それが、何より許せない。

 

その暴力を、私は止められない。成人男性の言動や考え方を、変えることはできないと思っている。子どもたち、逃げて。そういう考え方やふるまいの持ち主からは、逃げて。子どもたちが逃げられないからこそ、近くにいる人が、守ってあげなきゃいけないのに。

 

あの映像を見たときは、ほんとにしばらく、電車の中でふるえました。頭の中が怒りで白くなる感覚があった。

 

他人の人生をコントロールしようとする人間が、私は許せない。

傷つけないより傷つかないが大事

なんだかんだと忙しかった1週間が終わった。とは言え、明日も明後日も仕事をすることは決まっているので、私にとっての1週間の区切りがどこなんだか、よく分からない。

 

それでも、金曜日の夜はほっとする。土曜日の夜はだらだらする。日曜日の夜はほっとしてだらだらする。つまり、週末ってそういうことですね。

 

そういえば昨日、ひっさしぶりに友人にLINEしたら、普通に返事が来て、うれしかった。年賀状を出して、返事もなく、LINEなどでの反応もなく、もしかしたらもう私はうっとおしがられてるのかな、と思っていたけど、うっとおしがられていると決めつけるには早かろう、と思ってLINEしてみたら、普通に「わーひさしぶり♪」とレスポンスがあった。うれしかった。

 

誰かから嫌われるのは悲しいものだ。うっとおしがられていることが分かってしまうのはつらいものだ。

 

だからといって、誰かを嫌わずにいることはできない。誰かをうっとおしく思ってしまうことは、ありうる。この矛盾に、どう折り合いつけたらよいものか。

 

誰も傷つけずに生きていくことは無理なのだ。なるべくなら傷つけたくないとは思うけれども。

 

だから、傷つけないことよりも、必要以上に傷つかないほうが大事なのだ。たとえ、友人からうっとおしがられている、ということが分かってしまった場合でも、必要以上に傷つかないことが、必要なのだ。

 

私、傷つきましたから! と、相手を責めることはできない。私を傷つけるなんて許さない、と誰かを非難することはできない。

 

もしかしたら、私たちは、誰かを傷つける権利をもっている、のかもしれない。

 

そして、謝る権利をもっている。釈明する権利をもっている。傷つけたくはない。けれども傷つけないわけにはいかない。そんなときが、きっと、ある。そしたら、全力で、謝る。謝ることは、権利だ。

 

傷つけてしまうのは、致し方ないこと。傷つけられてしまうのは、避けられないこと。

 

だから、傷ついたら、傷ついた自分を認めて、逃げること。その場を、閉じること。その人から、離れること。傷ついた自分のために、してあげられることを、全力ですること。

 

あー、なんか、久しぶりにこういうことを書きました。なんか、ブログを書き始めたころは、こんなことばっかり書いてた気がする。

 

おやすみなさい。まだ寝ないけど。

 

って〆の言葉に違和感があるのは、ときどき、ぜんぜん違うキャラで違うトーンのことを書きたくなるから、なんですよね。好き勝手書いてるので、トーンが定まらないんですよ。

 

今日のところは以上です。

 

すぐに反応して書くのは本質ではない

みんな大好きまけもけさん。誰もが読んでるぐわぐわ団。

 

まけもけさんのブログを取り上げたことで、まけもけさんのブログで取り上げていただきましたし、スターをたくさんいただきましたし、読者も増えましたし、ありがたいことです。便乗、便乗。まけもけさん、ありがとうございます。

 

今日は、いろんなことがありました。仕事もなんだかんだと忙しくて、ピンチを切り抜けた感じもあるし、そして帰りに久しぶりに友人と食事をしてきたら、ショッキングな話にもなり、そしていま、髪の毛がタバコ臭い。食事をしてたお店の隣の人たちがタバコを吸っていたので。

 

私はタバコに関しては寛容です。父親もスモーカーだし。タバコの煙もそれほど気にならない。もちろん、次の日までにおいが残るのはイヤなので、これからお風呂で洗いますけどね。

 

はい、今、お風呂のお湯を張っております。

 

友達から聞かされたショッキングな話のことは、書きません。話してくれた彼女に悪いから、とかそういうことも少しあるけれど、なんというか、私自身の中で、解釈するのに時間がかかる感じでしょうか。話を聞いてすぐ、それに対しての感想を書くのって、なんだかすごくリスキーな感じがするのです。ただの反射、たんなる反応であって、それに対する理解ができていないのではないか、みたいな。

 

とある出来事が起こったり、何か驚くようなことを知ったり、思いがけない事実に出くわしたりしたとき、人はその人らしからぬ反応をするものではないでしょうか。それって、その人の本質ではなくて、ただの防衛本能だったり、反射神経だったりする。

 

少なくとも、私はそんな気がします。だから、数日待ってみて、その数日の間、自分の考えが変わらなかったり、固まってきたり、確信できたりして、初めてその解釈を言葉にすることができる。

 

少なくとも私は、それが誠実な態度なのではないかと思います。それが私の本質である、と思いたい。

 

でも、その場ですぐに反応するのがその人の本質、っていう人もいますよね。そういう人は、反応をすぐに言葉にするのがその人の個性なのでしょうね。それが、一貫していればいいのでしょうけど。なんとなく、いつもいつも、取り繕っていかなきゃいけないような気がして、それはそれで大変そう、という気がしてしまいます。

 

まけもけさんのブログで取り上げていただいたとき、すぐに反応して書けなかったのは、そんなわけなのです。やっと、落ちついてお礼を申し上げられる状態になりました。ありがとうございました。

 

おやすみなさい。まだ寝ないけど。

 

↑〆の言葉に決めた途端、すでに飽きてきました…。

感情のおもむくままにつづる

好きで通っていたお店が閉店してしまったりとか、よく食べていたお菓子が製造中止になったりとか、ファンだったバンドが解散してしまったりとか、人生にはそういう悲しみがときどき起こるものかもしれませんが、私が最近なくなってしまってちょっと困っているのが、愛読しているブログ、まけもけさんのぐわぐわ団の、スターを付ける機能です。

 

もしかしたら、私のパソコンに表示されないだけでしょうか? 何か私のはてなブログの使い方が間違っているのでしょうか?

 

解決策が見つからないので、自分のブログにまけもけさんの今日のエントリーを貼り付けます。

 

www.gw2.biz

 

貼り付けるっていうか、埋め込むっていうのかな、これ。やっぱり私ははてなブログの機能をよく分かっていません。

 

代替肉、だいたい肉、そして代替豆腐、書けそうで書けないこの面白さ。名詞のかけ合わせ。

 

前に、タオルを煮る話でもリンクを貼らせていただきましたが、その後でまけもけさんが記事の中で書かれた「清潔で臭いタオルを用意してください」という絶妙な形容詞のかけ合わせは、いまだに読んだときの感動がよみがえります。「清潔で臭いタオル」ですよ。もしかしたら正確には違うかもしれませんが、確かめることはしません。細かいところが違っていたとしても、私がまけもけさんの形容詞のかけ合わせに感動したという事実は変わらないのです。「清潔で臭いタオル」って。

 

正直、はてなブログを使い始めたとき、まけもけさんのブログを発見していなかったら、今でもブログが続いていたかどうか分かりません。

 

なんでこんなにまけもけさんのブログを褒めちぎっているかというと、まけもけさんのブログにスターを付ける機能がないからです。人は、心が動いたときにそれを消化、あるいは昇華しないと、感情が成仏できないのです。

 

まあしかし、一方的に好かれても褒められても、困ることが人生には多々ある、ということも、よく存じ上げております。今、私には実在の人物で、しかもごくごく身近にいる人物で、苦手だなー、と思う女性が二人いるのですが、その方々が、ものすごく私のことを慕っていてくださるのです。それが、分かっているからこそ、なんというか、ものすごく気持ちが悪い。

 

人間、ときには感情を抑えることも必要です。しかし、抑えきれない感情というのもあるのです。こうして、常に矛盾をかかえて人生は進むのです。

 

まったくもって仕事が終わらなくて、こんなことしてる場合ではまったくないのに、人生は矛盾に満ちています。

 

おやすみなさい。まだ寝ないけど。

 

皆さん、すでにお気づきかと思いますが、上記を、私の締めの文句にしようと目論んでおります。

 

以上です。

 

だらだら過ごしてしまう原因をつきとめた

やりたいことと、やらなきゃいけないことと、やらなきゃいけないような気がすることが、たくさんあって、結局、やりたくもなければやらなきゃいけないわけでもないことばっかり、していたような気がする週末。

 

やりたくもなければやらなきゃいけないわけでもないことって、つまりだらだらスマホ(主にFacebookTwitter)を見て過ごすってことなんだけど。

 

FacebookTwitterが本当に楽しくて有意義なら、この過ごし方を後悔したりはしないはずなのに、FacebookTwitterばかり見ている時間を、無意味に思ってしまうのは、なぜなんだろうなあ。

 

解決方法は簡単で、スマホをから手を離せばいいだけの話なのだけど、なぜそれができないのか。

 

と、書いてみて、解決方法が分かりました。スマホから手を離した後、手が空いてしまうからいけないのです。空いてしまった手が行き場を失って、またスマホを握る。その繰り返し。

 

その流れを断ち切るためには、スマホを手放したタイミングで、さっさと別のものを握ればよいのだ。

 

では何を握るか。今のところ思いつく選択肢は3つ。

 

1)歯ブラシ。

歯を磨く。これは、よほど磨きすぎて歯が削れてしまわないかぎり、虫歯や歯周病予防にもなって、たいへん良いと思われます。

 

2)ラケット。

家の中でふりまわすにはちょっと危ないですが。というか、本当はずっとテニスをしてられたら楽しいんですけど。

 

3)包丁。

一時期の私は、料理の神様から「お前はもう金輪際、死ぬまで料理をしてはならぬ!」と言いわたされたい、と思うくらい料理が嫌いでした。が、今はそれほどではありません。料理、楽しい。義務じゃなくて、好きなようにする料理は、楽しい。

 

あとは、なんですかね。絵筆とか。万年筆とか?

 

本当は、ボールペンでもシャーペンんでも握って、勉強すればいいんです。あ、わかったぞ。なんで私がヒマなときにさっと勉強できないか。

 

ボールペンを握るのは簡単でも、デスクまわりが片付いていないからです。さっと本やノートを広げて勉強できるスペースが、ない。

 

それに比べて上の3つは、歯磨きは洗面所で、ラケットは部屋の空間で、包丁は台所で、いつでもさっと始められるから、心理的ハードルが低いわけです。

 

いつでもさっと勉強できる場所。それがあったらきっと、私はかなり勉強してるのではないかな、とそんなことを思いました。

 

いや、机はあるんですよ。いっぱいあるんです。あるんですが、全部が全部、ものがごちゃごちゃ置いてある(笑)。だから、私に必要なのは、片付け、ですね。

 

ああ、貴重なことに気づいた、有意義な週末でした。

 

おやすみなさい。まだ寝ないけど。