傷つけないより傷つかないが大事

なんだかんだと忙しかった1週間が終わった。とは言え、明日も明後日も仕事をすることは決まっているので、私にとっての1週間の区切りがどこなんだか、よく分からない。

 

それでも、金曜日の夜はほっとする。土曜日の夜はだらだらする。日曜日の夜はほっとしてだらだらする。つまり、週末ってそういうことですね。

 

そういえば昨日、ひっさしぶりに友人にLINEしたら、普通に返事が来て、うれしかった。年賀状を出して、返事もなく、LINEなどでの反応もなく、もしかしたらもう私はうっとおしがられてるのかな、と思っていたけど、うっとおしがられていると決めつけるには早かろう、と思ってLINEしてみたら、普通に「わーひさしぶり♪」とレスポンスがあった。うれしかった。

 

誰かから嫌われるのは悲しいものだ。うっとおしがられていることが分かってしまうのはつらいものだ。

 

だからといって、誰かを嫌わずにいることはできない。誰かをうっとおしく思ってしまうことは、ありうる。この矛盾に、どう折り合いつけたらよいものか。

 

誰も傷つけずに生きていくことは無理なのだ。なるべくなら傷つけたくないとは思うけれども。

 

だから、傷つけないことよりも、必要以上に傷つかないほうが大事なのだ。たとえ、友人からうっとおしがられている、ということが分かってしまった場合でも、必要以上に傷つかないことが、必要なのだ。

 

私、傷つきましたから! と、相手を責めることはできない。私を傷つけるなんて許さない、と誰かを非難することはできない。

 

もしかしたら、私たちは、誰かを傷つける権利をもっている、のかもしれない。

 

そして、謝る権利をもっている。釈明する権利をもっている。傷つけたくはない。けれども傷つけないわけにはいかない。そんなときが、きっと、ある。そしたら、全力で、謝る。謝ることは、権利だ。

 

傷つけてしまうのは、致し方ないこと。傷つけられてしまうのは、避けられないこと。

 

だから、傷ついたら、傷ついた自分を認めて、逃げること。その場を、閉じること。その人から、離れること。傷ついた自分のために、してあげられることを、全力ですること。

 

あー、なんか、久しぶりにこういうことを書きました。なんか、ブログを書き始めたころは、こんなことばっかり書いてた気がする。

 

おやすみなさい。まだ寝ないけど。

 

って〆の言葉に違和感があるのは、ときどき、ぜんぜん違うキャラで違うトーンのことを書きたくなるから、なんですよね。好き勝手書いてるので、トーンが定まらないんですよ。

 

今日のところは以上です。