書くことの意味と書いたものの価値
考えてることなんて書いても何の価値もない、と思う。他人の夢の話がつまらないように、脳内を読まされてもつまらない。
それでも私が書きたいのは考えてることなのだから、困ったものである。
したことを書いたら、たまったま私を知ってる人がこれを読んだときにバレるから。
へんなの。自分で価値がないと思ってることをして、「そんなことないよ、君の考えてることは面白いよ」って、言ってくれる人が現れるのを待ってるの。変なの。
でも、恋ってそういうもんだよね。「私みたいな人間を好きになってくれた」「君は無価値なんかじゃないよ」「こんな素晴らしい人が私を見つけてくれた」「この人の素晴らしさを分かるのは私しかいない」。
全部、勘違いのすっとこどっこい。
あー、勘違いしたい&されたいわー。
なんか知らんけどいつも「よい状態」なのです
そういえば、この記事を書こうとして思い出したけど、昨日、生理でどんよりしてたのでした、私。もちろん生理は1日で終わらないので、今日も生理のど真ん中ですけど、すっかり忘れてました。ははは。結局、気分がよいのって、体調がよいってことなのです。体調がよい日が多いというのは、体力があるということなのです。体が資本。頭がいいことはカッコいいけど、身体が強いのは生き抜く力があるということ。
そんなわけで、私が毎日気分がいいのは、肉体が健全ってことだと思うのですよね。運がいいとか、メンタルが強いとか、いろいろ言い方はあるかもしれなくて、でも、たぶんそれって、「体力だけはある」っていうより、「運を引き寄せる生き方をしている」っていうほうが、なんかおしゃれだったりカッコ良かったりするから、そう言ってるだけなんじゃん?
そうそう、そしてまた思い出したけど、私をへこませるメール、引き続き昨日も、がんがん私をへこませてくれました。でも、忘れてたよ。もちろん、今朝起きてから思い出さないわけじゃないけど、忘れている時間も多くあった。忘れている時間がどんどん増えれば、完全に忘れる日も近い。
人間、暇だと余計なことを考えて、余計なことで落ち込むわけです。悪いけど、そんなヒマないの、私。楽しいことも、取り組むこともありすぎて、忘れちゃってる時間がついつい長くなってしまうの。
別に努力してるとか、そういう風に生きよう!とか、決めてるわけでもなく、そうやって、気づいたら42歳になってたわけです。
めでたいなあ。
気心知れない仲だからといって
昨晩から、母が泊まりにきているので、ペースが乱されます。
乱されることは悪くない。
母とはめちゃめちゃ仲良し親子なので、日ごろ誰にも言えないような話も、心おきなくできるのも楽しい。おしゃべりに花が咲きすぎて、寝不足になるくらい、楽しい。
けど、やっぱり一人暮らしが気楽だな、と思ってしまうわけです。
えーん、私やっぱりこのままずっとシングルで暮らしていくのかも。
正直は最強
いろいろ事情が重なりうちの会社を辞めていくパートさんに、
「次の仕事先を探すの?」
と少し前に聞いたら、
「家族の病状が落ち着くまでは看病に専念します」
と言っていた。
その彼女が、間違えて会社のGoogleカレンダーに、別の会社の面接の予定を書き込んでおり。
なんで、ウソをつくのかなあ。
そんな生き方、苦しくないのかなあ。
ウソを繕ったり、辻褄合わせたりするのって、ものすごい人生の時間の無駄使いだと思うのだけど。
ま、余計なお世話なんですけどね。
仕事をするために必要なこと
学校の成績が良いことと、
体力があることと、
自立&自律した生活ができることと、
我慢ができることと、
理不尽なことに意見できることと、
間違いを認めて謝ることと、
データを記憶することと、
データを分析することと、
人の気持ちを察知することと、
自分の思いを大切にすることと、
求められていることを遂行することと、
自発的に何が求められているか考えることと、
目の前の相手を気遣えることと、
自分が誰かに嫌な思いをさせていないか客観視することと、
身なりに気を使うことと、
教養を身につけることと、
人の話を聞くことと、
自分の考えを文章にまとめられることと、
度胸をもつことと、
慎重になることと、
全部、別の能力。
誰が、どれだけ持っているかは、全部、バラバラ。
一人前に仕事をするって、けっこう大変なことだ。
「あのことのせい」「あの人のせい」には決してしません
私は運を味方につけて、幸せに毎日を生きていると思います。気分よく過ごせる日が多いし、そのための努力もしている。
しかしですね。
ここ数日、もう少し早起きしたい、毎朝のルーティンを決めたい、と思いつつ、今日はさらに寝坊してしまいました。
昨日、友達と飲みにいったというのもありますが、この眠気には覚えがあります。
生理だからです。だるい。眠い。お腹もちょっと痛い。
でも、だからといって、キゲンが悪くなったりはしません。人と会ってもむっつりしているとか、職場で誰かに当たるなんてこと、もちろんしません。
いやな気分の原因があることと、いやな気分を表出するのは、まったく別のこと。人に会ってイヤな思いをさせてしまいそうなら、会うのをやめたらいい。「体調が悪いから、また今度にしてほしい」とか。「どうにも仕事ができそうにないので今日は休みます」とか。そのために言葉があるんですよ。肉体に気分も思考も支配されて、予定を変えることもしないで、いやな気分を人にまで伝染させる必要なんて、ない。
いやな気分を拭い去る努力も、人に迷惑をかけない努力も、どちらも怠って、ずるずると、「生理が始まっちゃったから」「約束しちゃっていたから」「仕事を休むとイヤな顔をされるから」とか言って人に会うほうが、私には無責任だと思う。
人に会うなら会うで、気分を切り替えて、相手に、「今日、あの人に会えてよかった」と思ってもらえるような努力をするべき。女優が覚悟をして舞台に上るように。まわりの人の前にいる間は、それが自分にとってのステージなのだから。
で、ステージから降りたら、いくらでもグダグダすりゃーいいんですよ。泣こうがわめこうが、えんえんとブログに愚痴を書こうが、それを知っているのは自分だけなんだから。