元気になって美味しいものを食べる

週末、っていうか昨日、久しぶりにママ友と飲んだ。昔はよくママ友と集まっていたけれど、今回はなかなかに久しぶり。

 

親権を手放してでも離婚する、と決めてから、親権以外の部分でぜんぜん離婚の話が進まず、別居状態のまま、だけど親権についてはほぼほぼ手放したままのような状態なので、それ以来、私の母親としての立場はかなり微妙。そんなわけなので、ママ友ともあんまり会わなくなっていた。

 

会わなくなっていた、というのはなんとなく会うのが気まずいから、というわけではなく、会うのも久しぶりだし、今のこの別居の状態をどうやって説明するかなー、と思っていたのだけど、集まった早々に、みんなから「うさぎさん、まだ別居状態なの?」「え、いまだに離婚してないの?」みたいに言われて、あれ、私、いつの間にそんな話をしてたんだ(笑)、って状態でした。っていうか、それほど久しぶりってわけでもなかったのか。

 

籍が抜けてないから次のパートナーが探せないと言えば、「別にすぐに結婚したいわけじゃないなら、いくらだって恋愛すればいいじゃん」と激励され、仕事の愚痴を言えば、自営業でお店やってる友達から「ごちゃごちゃ言ってるヒマがあったらうちの店にきてトイレの掃除してくれ」って活を入れられ、まあ、なんというか、元気が出ましたよ、ホント。友達って、いいなあ。

 

飲み会で、お酒も飲んだし、おつまみも食べたし、体重がどーんと増えるかな、と思ったけど、今朝はかってみたら、そうでもなかった。時間差で増えるのかな。

 

一日一食、のつもりでいると、その一食をないがしろにできないというか、そうそういい加減なものを食べたくないので、1週間のうち、唯一家で食事をする日曜日のお昼も、それなりに美味しいと思えるものを作るようになりました。なりました、ってまだ2回目だけど。

 

今日は、前から食べたいと思っていたサバのサンドイッチを作った。ずいぶん前に美味しそう、と思って買ったままになっていたサバのオリーブオイル漬けの缶詰があったので、バゲットと、ブロッコリーの芽と、レモンを昨日のうちに買っておいた。

 

レモンは、ほんのひと切れ使うだけだから、残りははちみつに漬けておこう、と、昨日の夜にレモンを切ったら、当初の目的を忘れて、全部はちみつに漬けてしまった。私の完璧なサバサンドへの夢がもろくもくずれた…。

 

今朝になって、はっ、私はアホか、と気づいたわけですが、はちみつ漬けから救い出して、水ではちみつを落としたら、普通に酸っぱいレモンのままだったので、ちゃんとサバサンドの酸味として役立ちました。

 

トーストしたバゲットに、マーガリンをぬって、ブロッコリースプラウトとサバの缶詰を載せて(缶詰のまま載せたわけじゃないですよ)、その上にいちょう切りにしたレモンを。

 

美味しかったです。見た目も完璧でした。写真はないけど、本当ですよ。うさぎは、やればできる子なんです。

 

元気になってよかったねー、私。

 

私があこがれているもの

1週間前に「1.2キロ落ちた」と報告していたダイエット、その後もさらに0.8キロ落ちたのですが、その後リバウンドしたりまたちょっと落ちたりして、今日の朝の時点ではスタート時と比べてマイナス1.4キロです。

 

そりゃそうだ。最初の勢いで体重が落ち続けていたら、2週間くらいで体重が半分くらいになってしまったかもしれん(適当)。

 

身体って、うまくできてるな、と思います。私の体は、これからあんまり栄養が入ってこなさそうだ、ということに気づいたのでしょうね。だから、燃費を保とうというスイッチが入ったのでしょうね。

 

このくらいのことで、動揺はしません。粛々と、一日一食を楽しんで、味わって、健康的に生きていくのみ。

 

なんというか、つくづく私は、「続ける」こととか「一貫する」「貫徹する」ということに価値を置く人間なのだな、と思います。少し前まで、自分のことを「飽きっぽくて何も続かない」と思っていたのだけれど、それって、「続ける」ことが大切だという価値観だからこそ、自分が「続かない」ことが気になってしまうのだと思う。

 

「続ける」ことに価値を見出していなかったり、「続ける」ことが努力の対象でなかったりする人だったとしたら、「いつのまにかやめてしまっていたこと」になんて注意が向かなくて、「ああ、そういえばそんなことしてた時もあったね」「あれ、そういえばいつの間にかやめちゃってたわ」っていう感じで、さらさらと、するすると、いろんなことをやめる、あるいはやらなくなるのだと思う。

 

大学生のときに初めてつきあった彼氏が、いろんなことにすぐに手を出す人で、アメフトのサークルに入ってみたり、単館系の映画をいいと言ってみたり、バイクに乗ってみたり、いろんなことに興味をもって、実際に時間やお金を使っては、すぐにそこから離れていた。私はそれを、なんとなく恥ずかしいことだと思っていた。ちょっと面白そうと思ってはつまみ食いして、その後すぐにほったらかすなんて、みっともない、と。

 

だけど、考えてみたら、次から次へといろいろなことを試してみるという意味では、実行力のある人だった。「面白そう」と言うだけで何も行動を起こさない人も、多いと思うから。「じゃあやってみたら」と言うと、「今はちょっとお金が足りないから」とか、「いやもうちょっとちゃんと調べてみてから」とか言って、何も自分で活動しないままに年をとる人も多いと思うから。

 

私は、できたらひとつのことを、何年もあきらめずに粘って取り組んでみたい。たぶん、それってライフワーク、みたいなものだ。そういうものに、あこがれがある。手に入らないかもしれないからこそ、あこがれがある。

 

食べなくて良いスイッチが入った

突如として、「私、このままでは見苦しいかも」スイッチが入ってしまい、月曜日から本気のダイエットを始めました。月曜日からなので、まだ5日目です。なので、ダイエットが続いているとはまだまだ言えない状態です。

 

が、本気のダイエットなので、一気に体重が落ちています。5日間で1.2キロ落ちました。

 

どういう方法でやっているかというと、夕食をバナナ1本と豆乳200ccのみ、に変えました。

 

ちなみに私は、3年ほど前から朝食をとっていないので、夕食をバナナと豆乳にしてしまうと、実質、一日一食です。お昼ごはん、のみ。

 

これがですね、まったくもって快適で、なんでこれまであんなにたくさんの食料を食べていたのか、自分で不思議になるくらい、お腹がすくこともなく、がまんでツラいということもなく、朝も夜も、きげんよく過ごしているのです。

 

夜、なんとなくお腹がすいたから食べてしまおう、ということは、一切やめました。だって、「これくらい、いいだろう」っていう判断って難しいんです。絶対に、食べちゃダメ、っていうのは、むしろ簡単。ちょっとだけなら食べてよい、とすると、ついつい食べ過ぎる。だから、一切食べない。

 

こうして決心してしまうと、不思議と食べたいと思わなくなりました。一日に一回だけのお昼ごはんを、心からあじわって食べて、その満腹感が、夜まで続く感じです。

 

しっかりと眠り、朝になってお腹がすいてパワーが出ないかというとそんなこともなく、毎朝、起きてトイレに行ったあとで体重をはかる、というルーティンにしているので、毎朝、毎朝200gずつ減っていくのが楽しくて(今日は昨日と比べて400g減っていた。なので合計1.2kg。)、その自己肯定感で、午前中はうきうき過ごす、とそういう感じです。

 

自分で自分のことをコントロールできているのは、ものすごく充実した感覚があります。私、けっこうすごいじゃん、っていう気分になります。たかだか1.2キロ体重が落ちただけで。このあとどんなリバウンドが待っているのか、まだ分かりませんが。

 

しかし、そのものすごい自己肯定感を、補って余りある、の反対で、削ってさらに私をへこませるほどの、会社の売り上げの低さ。こういうの、8月の日照りっていうんですかねー。凹むわー。

 

しかし、会社の売り上げも低く、ダイエットも失敗する、という二重苦は避けたいので、なんとかダイエットだけはがんばりたいと思います。単なる現実逃避でもありますが。

 

目標は、マイナスあと2キロ!

 

メイク用品をめぐる思考

身の回りを整理することにあこがれます。必要最低限のものだけ所有して、いつもすっきり暮らしたい。

 

ときどきその状態に対するあこがれが局所的に爆発して、メイク用品とか一気に捨てちゃったりする。けど、そうすると、次に来るのは物欲の開花。

 

結局、「あまりものを持たずにすっきり暮らしたい」という欲求と、「新しいものを手に入れてわくわくしながら使いたい」という欲求の、両方を持っているから、いつもどちらかにあこがれている、という渇望状態に陥る。

 

しばらく前まで気に入った色の口紅を安定して使っていたのだけれど、安定しすぎて、3本も買ってしまって、ぜんぜん減らず、そろそろ色を変えたくなってきたのだけれど、なかなか新しいものを買えない。

 

2本だけ買った状態で使い切ったらよかったのだけど、調子にのって3本目を買ったのが間違いだった。

 

初夏に買った真っ黄色のアイシャドウも、なかなか減らない。ドンキホーテで300円くらいで買ったもので、あまりにぱっきりしたペンキみたいな色のアイシャドウだから、ちょっと遊ぶくらいのつもりで買ったのに、意外とつけてみても派手じゃないので、ほとんど毎日使っているけれど、全然減らない。

 

メイク用品を、使いきらずに捨てるのが苦手。なんとなく自分がすごく効率の悪いことをしているみたいで、イヤ。

 

黄色いアイシャドウは、電車のなかで見た広告で、なるほど、と思って、昨日からチークとまぜて使っている。この、チークがまた、真っ赤っかで、ぜんぜん減らないのだ。いや、べつに色が赤いから減らないわけじゃないと思うのだけど。あ、でも色が濃いから減らないのかな。うすい色のチークだったら、たっぷり使うから減るのも早いのかも。

 

メイク用品を買うのって、楽しい。だけど、私の場合は、ものが増えるのがイヤなのと、使いきらずに捨てるのがイヤなので、あまり買えない。ものが増えても全然気にならない、とか、使いきらずに捨てるのも全然気にならない、という性格だったら、メイク用品をどんどん買ってしまうと思う。

 

新しい洋服を買うのは、あまり楽しくない。できれば、同じ服をずっと着ていたい。けど、洋服は見た目が古くなるし、年齢や体型や日焼けやヘアスタイルなどで似合わなくなってくる。(メイクもそうなのかもしれないけど、私はそれは気にならない。)だから、洋服は、必要に迫られて買うって感じ。

 

考えてみたら、メイク用品を必要に迫られて買うのって、アイブロウ(眉ずみ)くらいだなあ。その他は、趣味で買うというか、買いたいから買うだけだ。

 

なんだか最近、自分のお金の使い方とか、物欲とかを、見直すことが多い。自分の欲求を理解したい、という欲求が、根本にある。

 

私にとって、たぶんメイク用品は物欲を満たすためにあるだけであって、美しくなりたいという欲求を満たすためにあるものではない。という気がしている。

 

おやすみなさい。まだ寝ないけど。

心のままに書いてたら性格の悪さが浮き出た

頭の中に浮かぶことを、次から次へと吐き出していく、という書き方を昔はずっとしていたと思うのですが、なんだか最近、それができなくなってきた気がします。書いてみても、それを自分で面白くないな、と思って消してしまって、また書き始めるのだけど、やっぱりこんなこと書いてもしょうがないかな、と思って消してしまう。

 

今日は、何度かそんなことを繰り返した後で、ええい、何を迷っているんだ、消さずに書け、とにかく書け、心の向くままに、いや、指の動くままに書け、と自分にげきを飛ばして、今、できる限りバックスペースキーを使わずに、書いています。

 

昔は10分で1000字書けたのに。昔っていっても、たかだか1年とかそれくらい前のことですが。

 

あの頃は、なんであんなに書けたのかなあ。なんで、今は書く勢いが鈍ってきたのかなあ。

 

って、すぐにこういう「なんで」を求めてしまうのが、私はイヤなのです。嫌いなのです。正しくないと思うのです。

 

「なんで」っていうのは、安心したいためだけに人が編み出した考え方だと思うからです。なんで風邪をひいたんだろう→昨日、急に気温が低くなったから。なんで今日はこんなに疲れてるんだろう→夏の疲れが出るころなんだよ。なんで最近こんなに太っちゃったんだろう→お菓子の食べ過ぎじゃないの。

 

これ、ぜんぶ疑わしい、って思ってます。書けば書くほど、なんだかめちゃめちゃ性格悪い感じですが。風邪をひいたのは夏の疲れが出ているからかもしれないし、疲れているのは糖分のとりすぎかもしれないし、太っちゃったのは急に気温が低くなったからかもしれないじゃないですか。

 

性格が悪いといえばですね、私、世間話のようにされるお天気とか気候の話がめっちゃ苦手です。1週間ぶりに会った人から「先週は暑かったですねー」と言われても、「そうでしたっけ? 覚えてません」と答えたい。毎日顔を合わせる人から「明日からまた暑くなるんですって」と言われても、「そりゃあまだまだ気温が上がる日もあるでしょうね」と思ってしまう。

 

こういうめんどくささを避けて生きていくには、私はどうしたらいいのでしょう。なんで、みんなそんなにお天気の話が好きなの? 

 

分かっていますよ。コミュニケーションのために、あたりさわりのないお天気の話をするってことくらい、わかってます。でも、もう信頼関係のある間柄だったら、わざわざそんな「つなぎの会話」する必要なくないですか? だって、仲の良い親子がお天気の話題で場をもたせたりとか、しないじゃん。

 

社交辞令が、嫌いなんだな、私。とことん。っていうか、性格わるくてごめんなさい。

季節のことを考える

過ごしやすい季節になってきました。少なくとも私の住んでいる東京は。

 

暑いのはかなり得意なほうですが、でもやっぱり秋がいちばん好きです。いちばん過ごしやすいから。

 

でも、私のまわりには秋があまり好きではないという人がけっこういます。まず、母親。「こういう季節は何を着たらいいか分からない」というのです。昼間は暑いけど、夜になったらすごく寒くなったりするから、いろいろ考えなきゃいけなくて、面倒、だと。

 

まあ、分からないではないです。が、私は大人になって学びました。私にとって、半袖だけで出かけられる季節はない。どんなに真夏の暑い時期でも、冷房の効いた室内に入ったら、そこは私にとっては冬。むしろ室内で過ごす時間が多いとわかっている外出は、上着とレッグウォーマーが必携という人間なので、秋口に少々寒くなるくらい、どうってことありません。夏のあいだもずっと上着を持ち歩いていたのだから。

 

もう一人、秋が好きではないと言っていたのは、友人のA子。A子というか、I子というか、まあ、アイコですよ。

 

彼女は、「秋には何もイベントがないからつまらない」と言っていた。春はお花見、卒業、入学、進学。夏は海、花火、お祭り。冬はクリスマスに年越し、新年。という感じだけれど、秋にはなにもないから、とそういう意味だったと思う。

 

なるほどなー、と思いましたけど。

 

でも、そもそも私、そういうイベントがそれほど好きではない。歳時記とか、風習とか、ものすごくめんどくさい。

 

昔はこんな風に思ってなかったと思うのだけれど、ここ数年、わがまま放題に生きていいようになって、とにかくもうすべてのイベントがめんどくさくて、1年毎日365日、たんたんと生きていけたらそれでいい、という心境になってます。

 

そういえば、世間は3連休なのですね。ぜんぜん実感ないわー。なんのイベントもないわー。明日もふつうに会社行くわー。

 

次に私を待ち構えている人生のイベントはなんだ? いろいろすっ飛ばして年越しか? 秋から冬にかけての盛り上がりが思い当たらないぞ。

 

私の願いはただ一つ。これ以上、寒くならないでほしいです。とにかくもう、寒いのだけはイヤなので。

 

そういえば、「あと10回、東京の寒い冬を我慢したらこの町から出ていく」と決心したのは2年前だったでしょうか。今年、まもなく3回目の東京の冬を迎えるのかな。そしたらあと7回、寒さを我慢したら、私は別のところに住むのかな。

 

当てもないんですけどね。それこそ、四季もないような熱帯の国に行ってしまいたいわ…。って、やっと涼しくなってきたのに何を言ってるんでしょうね。

 

おやすみなさい。

 

気づいてしまった私の美点

自分の母親とあんまり年齢のかわらないような女性から、なぜだかわからないけれどほんの数回お会いしただけでずいぶんと信頼していただけて、その女性がやりたいと思っていることについて「月々これだけお支払いするから手伝っていただけないかしら」と頼まれました。

 

正直、お手伝いの内容からしていただける金額が多いと言ってよいくらいの割合なので、喜んでお引き受けさせていただきました。先方も、喜んでくださっていると思う。

 

私は、その方(あまりに年上でありさらには人格者なので、「その女性」とか「その人」とか書くのがためらわれる)をとても尊敬しているんだけれども、なんというか、一緒に仕事をしてみると、うーん、この人の仕事のしかたはこういう風なのかー、と思うことがないわけではない。

 

たとえば、打ち合わせのための資料がメールで送られてきて、開いてみればほんの数行、箇条書きで「決めなきゃいけないこと」=「打ち合わせでみんなで考えてほしいこと」が書かれている、みたいな。

 

私だったら、「考えてほしいこと」を資料にするのではなくて、「私の考えた案」と「予想される困難」と「困難を解決するために必要な期間」を資料にするかなあ、と思った。

 

思ったんですが、こういうことを書くとなんだかエラそうなんですが、私がここで伝えたかったことは逆で、私はこの「決めなきゃいけないこと」を話し合った会議で、イヤな思いを全然しなかったんですね。資料の作り方は、うーん、と思ったけれど、打ち合わせが終わってみれば、決めなきゃいけないことはちゃんと決まったし、予想される困難もなとかクリアできそうな目処が立ったと思う。

 

仕事のしかたって、人によって全然ちがうものだなー、と思ったわけですよ。

 

で、さらにエラそうなことを言うと、今日気づいたんですが、私って、こうやって「人によって全然ちがうものだなー」と他者を受け入れられるところが、わりと人よりも優れている点なのではないか、と。

 

たとえば、この女性のやり方を知って、ちょっとこの人とは合いそうにないな、とか、この仕事のしかたには付き合ってられん、とか思ったとしたら、任せていただけるはずのお仕事も、お断りせざるをえないわけで。

 

自分のやり方とは違うけれども、その相手に応じて一緒に何かに取り組んでいけるのって、これはもしかしたら、私のすごい強みなんではないか、とそんなことを思ったのですねー。

 

もちろん、先方が「この女(私)とはやってられん」って感じて去っていった場合も多々あると思うので、私が勝手に自己評価してるだけなんですけど。

 

そんなことがありました、というお話。