ゼラチンばんざい

いきなりですが、コーヒーゼリーの話。

 

私はよくコーヒーゼリーを作ります。小さいころはコーヒーゼリーが全然好きじゃなくて、今も好きではないのだけど、なぜか子供たちが好きなので、作ります。

 

作る理由はもう1つあって、職場に誰も飲まないインスタントコーヒーが大量に余っていたから。ふだんスタッフはレギュラーコーヒー(というの?ちゃんと粉でコーヒーメーカー使って作るやつ)を入れてくれる人がいるのでそちらを飲む。いつからインスタントコーヒーが大量にあるのかわからないけど(会社には謎が多い)、いつまでたってもなくならないので、持ち帰りました。

 

で、男子高校生の弁当箱くらいの大きさのタッパーにインスタントコーヒーと砂糖とゼラチンを入れて、お湯でといて荒熱がとれたら冷蔵庫で冷やします。できあがり。

 

ゼラチンは、チャックのついた袋入りのを買っていて、今見てみたら100g入りのでした。それをてきとーにばさばさっと入れるので、いつも出来上がりのゼリーの固さがばらんばらんです。あるときは消しゴムみたいな固さだし、あるときは葛湯くらいにゆるい。

 

タッパーに入ったコーヒーゼリーをテーブルナイフで切り分けて、お皿に小出しにして子供たちにおやつとして出します。コーヒーフレッシュは、あったりなかったり。なぜかというと、買ってあったりなかったりするからです。このところは、チューブの練乳が冷蔵庫に入っているので、それをかけて代わりにしてました。

 

我が家の戸棚に緑茶だか中国茶だか、これもまたいつまで経っても飲まないであろう飲料の元があるので、これもそのうちゼリーにしよう。砂糖を入れてゼラチンで固めると、たぶんおやつになる。子供たちだけじゃなくて、ちょっと小腹が空いたときに私が食べる食料としてもよい。

 

ほうじ茶ゼリーって美味しいと思うのですが、わざわざほうじ茶を買ってまで作ろうとは思いません。あー、食べていくって大変。

 

母と言えども稼がねば

こんなにヒマなら年賀状配達のバイトでもすればよかった…とこの三日間、何度思ったことだろう。

 

しかし、実際にそうしなかったのは、子供たちがいるからだ。別居しているとは言え、子供たち、休みの日はほとんどうちに遊びにきて入りびたりになる。子供たちが私と同じ空間にいる限り、私は母親であることが最優先になる。

 

のどが渇いたと言えばお茶を出し、お腹すいたといえば食事を作り、ヒマだと言われれば一緒にゲームをし、パソコンの操作が分からなければ教えてやり。

 

もちろんその都度「〇〇してください」と言わせたり、ありがとうの言葉を忘れないように気づかせたり、母親を奴隷扱いしないようなマナーは伝えているけれども、それでも私が常に彼らを最優先にしたいという気持ちはどうしようもなく自然なものだ。その私の欲求に従っている限り、彼らと同じ空間にいながら仕事なんてできたものじゃないし、耳をふさいでDVDを見るなんてとてもじゃないけどできないし、本を読んでいても細切れになってしまうのだ。

 

子供たちを放ってバイトをしていたら、いくばくかのお金は入ってきただろうと思うけども。世の中が私を求めることについての対価と、子供たちが私を求めることに対する時間を比べて、私は後者を選んでいるというわけ。

 

お金はいつか取り返せると思うから。でも、子供が子供でいるのは今しかないと思うから。

 

お金はいつか取り返せる…そのために、隙間時間を使って仮想通貨の口座を開設しましたよ、このお正月。うひひ。

 

今日はちょっと風邪っぽいので休みます。おやすみなさい。

 

とことん自由なお正月

今日もラジオ体操をしましたよ。三日坊主達成です。

 

昨日、『プラダを着た悪魔』を見ていた2時間以外の22時間のうち0.5時間くらいストレッチをしていたので、そのせいか、今日のラジオ体操は身体を動かすのが楽でした。元日と昨日は、関節も筋肉もガチガチのギシギシで、どうにもうまく動かせない感がすごかったのです。

 

昔から身体がかたくて、体力測定の立位体前屈も、そこだけ星型の分析チャートががっこーんと凹む、みたいな体質なのですが、このまま老人になってしまったら、どうなるんだろう。恐ろしい。

 

と思う一方で、同じくめちゃめちゃ身体のかたい父親が、69歳の今も元気に幸せそうに生きているから、まあ、なんとかなるのかな、とも思う。あの人、自分で靴下はけてるのかな? そろそろつま先に手が届かなくなってるのではないかしらん。

 

今年はまだ初詣に行っていません。年賀状も1枚も書いていません。おせちなんて存在すら忘れていました。昨日、近所のハナマサにいったら、大きな八つ頭が半額になっていたので、そういえば私はこれが大好きだった、ということを思い出して買ってきました。切って皮むいて火にかけて、だしと砂糖と塩とおしょうゆで味をつけて、火からおろして布団に包んでアナログなスロークッカー調理をしたら、まあまあうまくいきました。たぶん。うまくいったんだかどうなんだか、自分しか食べないので、よく分かりません。

 

書けば書くほど寂しいお正月だと読めるかもしれませんが、私の脳内ではいつものごとくスーパーポジティブフィルターによって事象がゆがめられているので、「自由って素晴らしい!」と、この三日間がバラ色、虹色に彩られています。

 

私はもう、この先一生ひとり暮らしなのではないか、としみじみ思うお正月。←ポジティブに書いています。念のため。

 

映画『プラダを着た悪魔』

ほんとにもー、DVDしか見ていないお正月です。嘘です。1日は24時間あるのです。DVDにはそのうちの2時間ほどしか使っていないのだから、残り22時間は別のことをしているはずです。

 

でもナイショ。こんな私にも書けることと書けないことがあるのです。

 

なんて、そんなことはどうでもよくて、とにもかくにも1日1本、DVDを見ている今日この頃。今日見たのはこちら、

 

 です。

 

こういう“恋する女の子のお仕事ムービー”みたいな映画を、なぜ、私は、恋しているときにも、女の子だったときにも、お仕事しているときにも、観ていなかったんだ!!!

 

答えは簡単、この映画が公開されたころ、私は、妊娠、出産、授乳の真っ最中だったからです。ハイヒールとかメイクとか、無縁の世界だったなあ。

 

アン・ハサウェイは、

 

 で、やたら胸の大きい女の子だなあ、と思っていたときから印象に残ってました。

 

ファッション…申し訳ないが、私もほとんど興味ない世界だ。だけど、みんな好きなのね…ファッションが…。

 

寝よう。おやすみなさい。

 

余裕があるのもないのも困る

ラジオ体操をしました。2日目。いつも何かを始めるときは、「まずは三日坊主が目標」と思っています。

 

大学時代に付き合っていた彼氏が、なんでもかんでもすぐに始めてみるけどすぐにやめちゃう人で、当時の私はそれをものすごくバカにしていましたが、今考えると、何も始めずにぐずぐず言っているよりは面白い人だった。とにかく始めないことには始まらないのだ。何事も。

 

ラジオ体操をして、やっとクリスマスツリーも片づけました。さっき。1月2日の早朝にクリスマスツリーを片づけるというこのいい加減さ。だったら飾らないほうがマシなのでは、とも思うほど。

 

仕方がないのです。私には、未来を予想する能力が欠けているのですから。ツリーを飾ったのは12月のはじめ頃だったと思いますが、そのころ、クリスマスが終わったときのことなんて、予想もできなかったのですから。

 

はー。今日は何をすっかなあ。会社に行かないとこんなにヒマなのかー。とか言ってて、仕事が始まったら、「ああ休暇のうちにこれだけでもやっておけばよかった!」って思うことは容易に想像がつくのですが、その事態を避けるための行動をとることができない。

 

私に欠けているのは想像力なのか、行動力なのか、よく分からなくなってきました。

 

とりあえず、毎日ブログを書くという行動力はあります。しかし、これがどんな未来へ導いてくれるのかという想像力はまるで働きません。

 

お腹がすきました。お腹がすいた状態ではあまりブログの文章が進みません。HIKAKINだったかはじめしゃちょーだったか、動画編集をする前には、好きなものをお腹いっぱい食べて満足している状態でやる、って言ってた気がします。心に余裕がないと、楽しいことってできないんでしょうね。昔の文学作品が暗いのは、みんな心に余裕がなかったんでしょうね。

 

と、怒られそうなことを書いてますね。

 

はー。休むって、難しい…。

 

 

もしかして私はヒマなのか

ほとんど断食せんばかりに何も食べていないお正月です。そもそも現代人は、ふだんから贅沢なものばかり食べているのです。お正月だからって、ことさらに贅沢なものを食べる必要はない。

 

ハレとケ、という言葉があります。ケが日常で、ハレが非日常だとしたら、日常的においしいものを食べている私たちは、お正月という非日常くらい、質素な食生活を送ったらよいと思うのです。

 

はたから見たら寂しいお正月かもしれません。中年女性が一人、DVDを見る以外、やることがないのですから。しかし、決してそうではありません。

 

 

ゴールデンスランバー [DVD]

ゴールデンスランバー [DVD]

 

 を見ました。何これ。めちゃめちゃ面白いやんけ。

 

ずっと見たい、見たい、と思い続けていた甲斐がありました。面白すぎでした。伊坂幸太郎って、すごいな。堺雅人は好きだけど、この映画は堺雅人じゃなくてもいい気がする。

 

若き日の堺雅人竹内結子の、付き合い始めるシーンが最高。

「少し前から言おうと思ってたんだけどさ」

(中略)

「遅いよ。それ言うの、遅いよ」

きゃああああああ、最高。こういうお付き合いのスタートをしたい。したいぞ。まだ夢は捨てないぞ。

 

そこに至るまでにはいろいろ道のりが長いですが。そもそもどんな道のりをたどったら、42歳のおばちゃんがそこにたどり着けるのか、全くもってわかりませんが。

 

とりあえず、贅沢なものを食べ過ぎて体重が増えると、見た目にますます老けてしまうので、それを避けたい、と思っているお正月の夜なのでした。

 

あー、やっと1年の365分の1が終わりそうだ~。

新年のごあいさつ

おはようございます。そして、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

今年も、と書きましたが、このブログを書き始めたのは去年の8月ですので、いちばん多く私の記事をお読みくださっている方でも、4か月ほどのお付き合いなんですよねー。昨年の今ごろは影も形もなかったこのブログに、現在23人の読者の方がいて、毎日4,5人の方がスターをくださって、日々20くらいのアクセスがあるって、素晴らしいことです。ありがとうございます。

 

ええ、毎日20くらいのアクセスしかないんですよ、このブログ。なんですが、その割にはスターの数が多い、と自負しております。マニアックとでも言いましょうか。ものは言いようです。

 

1年の計は元旦にあり、ということで、今年はなんとしても身体の柔軟性を向上させたい、向上が無理だとしたら維持したい、維持が無理だとしたら少しでも悪化を防ぎたい、ということで、NHKラジオのアプリ、らじる★らじるをインストールして、毎朝6時25分から自動で放送されるように設定してみました。

 

アプリダウンロード | NHKラジオ らじる★らじる

 

このラジオ体操の前にブログ更新するか、それとも後に更新するかが、毎日の大きなポイントになるような気がします。たぶん、夏の間は早起きできてブログ更新→ラジオ体操、秋から冬に寒くなってくるとラジオ体操→ブログ更新、という流れになるのではないか、と予測しております。

 

しかし、予測は予測。人生では何が起こるか分からないのです。ブログ更新よりも大切なものが、私にできてしまうかもしれないのです。

 

…今の私にとってブログ更新が何より大切なものなんでしょうか?

 

少なくとも、今、この瞬間の私にとってはそうです。パソコンのキーボードをたたくこと以外に私の心を乱すものはありません。これが、マインドフルに作業する、ということです、たぶん。たぶんですよ。なんの根拠もありませんよ。私が勝手にそう定義しているだけです。でも、それってけっこう楽しいです。マインドフルに楽しいです。

 

こんな感じで、この1年も、一瞬、一瞬を、精いっぱい楽しんでいきたいと思います。過去も未来も関係ねーや。

 

皆さま、よければまた2018年もお付き合いくださいませ。