とにかく面白くなかった

先日感じていた怒りについて、その理由が分かりました。

 

私は、面白くなかったのだ。

 

とある人と会って、食事して、話して、別れたという、それだけのことなんですが、なんだかやたらに腹が立って、何がそんなにいちいち私の気に障ったのだろう、と自分でもよく分かっていなかったのですが、とにかく全体として、面白くなかったから、腹が立っていたのでした。

 

言葉にしてしまえば、単純なことです。楽しいかと思っていたけど、楽しくなかった。楽しくないんじゃないかと思っていたら、やっぱり楽しくなかった。前提は、どちらでもいいです。いずれにしても、楽しくなかった。

 

あー、楽しくなかった。面白くなかった。

 

たとえば、もっともっと腹が立ってぶち切れて、相手にわめき散らしたり、泣き出したりして、そんな風に自分で感情の動きを感じることができていたら、それはそれで、不快な一日にはなっていたかもしれないけれど、面白くなかった、という感想にはならなかったでしょう。

 

良くも悪くも、感情さえ動かなかった、それくらいに、面白くなかったのです。

 

ひとつひとつが気に障ることもありました。詳しくは書きませんが、しかし、それらのひとつひとつよりも、全体として、面白くなかったことが腹立たしい。

 

これは決して腹立たしいから面白くなかった、ということではないんだな、今回の場合。気に障ることについて、あれ?と思う瞬間はあったけれど、そのときも、うーん、と思う程度のことで、その場で頭にかっと血が上った、ということではない。

 

基本的に私はもう、一人でいることで十分楽しいわけです。私が1人でいること以上に、誰かが私を楽しませてくれるのって、けっこう難しいことになってるわけです。そうなると、誰かと会うこと、誰かと一緒に時間を過ごすこと、誰かのために時間を使うこと、それらがもう、圧倒的につまらない時間になってしまう。

 

それはそれで、ものすごく不幸な気もしますが、仕方ないじゃん。面白くないんだから。

 

「誰か私と一緒に老いてくれないか」って、ブログのタイトルつけたころは、こんな気持ちになるなんて、思ってもみなかったなー。すべてを一人で請け負わきゃいけない人生は、なんて孤独なんだろう、と思っていたけれど。

 

孤独でいることと、面白くないことを比べたら、孤独でいることを選んでしまうようになった。少なくとも今の私は。

 

今の私は、面白くない相手でも一緒にいてほしい、とは、ま、っ、た、く、も、っ、て、思わない。ぜんっっぜん。

 

はあ。それでも、いつか誰かが私を楽しませてくれるのでは、という希望は捨ててないんですけどね。