反抗期の反対

この4月から、つまり明日から中学3年生になる長男。つまり今日で中学2年生は終わり。

 

中学2年生といえば厨二病という病気もあるくらい(こんな字?)、難しいお年頃だと言われているけれど、息子と私の場合でいったら、この1年間は、ここ5,6年でいちばんと言っていいくらい、仲良く心地よく過ごせた1年間だったと思う。

 

息子は、大人だ。というか、大人に、なった。

 

春に、「お父さんとお母さんっていつか離婚するのかしらねえ」と言ったときは、「別に、いいんじゃね? このままで」と、あっさり解決策を提示し。秋に、「中学校生活が半分終わっちゃったねえ。あと1年半できみは本当に高校生になるのかしらねえ」と言ったときは、「なるんじゃね。まあ、どっかしらは入るよ」と、不安も見せず。

 

好きな音楽の話、読んでいる本の話、見たい映画の話、そういうカルチャーの話を、たくさんした1年だった。難しいお年頃だというのは、脳の機能がほとんど大人と同じになるからだ、というのを聞いたことがあるけれど、まさにその通り、大人と同じような、趣味の会話ができるようになった、と思う。

 

だけど。

 

昨日、すごく久しぶりに一緒に食事をしていて気づいたことがある。

 

反抗期というのは、子供が大人になっているのに、まわりの大人が彼/彼女を子供扱いするからこそ、起きるのだと思う。自分はもう子供じゃない。子供扱いされたくない。

 

私と息子の場合は、逆なんだ。

 

私は、14歳の息子をほとんど大人として接しているけれど、彼は、まだ子供なのだ。

 

昨日、二人で食卓につくのがすごく久しぶりで、私はなんだか照れてしまって、うまく話もできないというか、どんな風にふるまったらいいのか分からなかったのだけれど、彼は普通に、子供として、息子として、夕飯を食べていた。当たり前かもしれないけれど、私はその姿を見て、ああ、子供なんだな、と思った。食事のマナーがあまりよくなくて(お茶碗の持ち方とか)、直したくて注意したかったけど、一瞬、もう言わなくてもいいかな、と思いかけた。もう、彼は子供じゃないんだから、言わなくてもいいかな、と。

 

でも、それでもまだ子供なんだし、他に直してくれる人はいないんだし、と思い直して、「お茶碗の持ち方はこう。指をもっと伸ばして」と言ったら、「やだ。疲れる。いいじゃんべつに」と、やっぱり反抗期の少年が顔を出した。

 

私は反抗期がないことでラクをさせてもらっているけれど、彼が必要以上に早く、大人にならなきゃと、無意識に思っているとしたら、ごめんね、と思う。

 

子供でいたいときも、早く大人になりたいときも、それで子供たちが苦しむことのないように、と願っている。

 

おやすみなさい。