私が傷つくこと

はいはいはいはい、久しぶりに来ました、この感覚。仕事が忙しくて、何からやったらいいか分からなくて、現実逃避でブログに来ちゃう感覚。久しぶり。

 

仕事が忙しいのはいいことだ。ただひたすらにやることがある、というのはいいことだ。それさえやってれば会社が安泰、という状態だったらもう、何も言うことはないのにな。そうはならないのだ。働けど、働けど…という感じで、じっと手を見てしまう。

 

しかし、じっと手を見たところで不安になったりいじけたりするばかりなので、ただただ降ってきた仕事をばさばさと片付けるのみです。繰り返しますが、降ってきた仕事をばさばさ片づけるのはいいです。嫌いじゃないです。というか、むしろ、好き。仕事はいい。自分が社会の役に立っている、という感覚が得られるから。

 

私が不安を覚えるのは、人と比べられるときです。「前の担当者はこんなじゃなかった」「◎◎さんはもっと☓☓してくれた」などと言われると、とても凹みます。その人よりも自分が劣っていると感じるからではなく、比べられたその人なら、その相手を満足させてあげることができたのに、私では満足させることができなくて、本当にふがいなくて申し訳ありません、という、卑屈な気持ちになるのです。

 

相手が幸せになってくれることが、私にとっては仕事の醍醐味なのかもしれません。社会の役に立っていると感じること、それってつまり、誰かの役に立っていること。私が仕事をすることで、誰かが満足したり、ちょっと幸せになったり、やりたいことができたり、そのまた他の誰かに認められたり褒められたり、しているのだとしたら、それはとてもとても、幸せなことです。

 

私のしている仕事で、誰かが不幸になっているとしたら、そんな悲しいことはありません。私と誰かを比べることで、欠落に気づいてしまう。そんな人がいたら、本当に申し訳ないと思います。

 

申し訳ないけれど、仕方ないんだよなー。私は私だから。私は私にできることをするしかないいんだから。

 

分かっちゃいるが、へこみます。へこんだところで仕方がない、というのも分かっているけど、へこむんですよ。

 

ああ、そういえば。

 

昨日、会社のスタッフと話していて、私が傷つくなあ、と思ったのがもう1つ。私、強い女だと決めつけられるのがイヤです。私は決して弱くはないし、たぶんかなりタフな人間だと思いますが、だからといって絶対に傷つかないとか、これくらい大丈夫だろうとか、そういう風に思われるのがイヤ。もしこの先パートナーを見つけるなら、私、たぶん、私のことを心配してくれる人がいいです。私が自分で自分を大丈夫だと思うことと、誰かが私のことを大丈夫じゃないかもしれないと思うことは、ちゃんと両立するのです。それが両立する世界で生きていきたい。

 

はい、お仕事に戻りまーす。