誰かの悪口を言わないために

腹が立つものや嫌いなことは、うまく言葉にできない。あー、私そういうのダメなんですよねー、で終わってしまう。好き嫌いが個人的なことなら、それで終わらせてよいだけの話だし、もしそれが社会的なこと、世の中の構造的なことだとしたら、そういうものをなくすために努力するのはものすごく大変なことで、その大変さを思うと、口をつぐんでしまう。

 

腹が立つ人や嫌いな人も、じつはたくさんいて、そういう人のことは、その嫌い加減を理解してくれる人と、いくらでも悪口を言えてしまう。

 

人の悪口を言うのは気持ちがいい。自分の正しさや、自分は理解しているという優越感、自分はその人とは違うという変なプライドなどを確立できるような気がして、気持ちがいい。

 

悪口を言い合うのはもっと気持ちがいい。一緒に悪口を言っている目の前の人は、自分の味方だ、という偽の安心感を得ることができてしまうから。

 

だけど、いつか自分も、悪口を言っているその人と、同じ立場になったり、同じ言動をせざるをえなくなったり、同じ環境に追い込まれたり、する可能性があるのだと思うと、そのブーメランは恐ろしい。今の自分が未来の自分を貶めることになると思うと、きっと自分はそれで傷ついてしまうだろうと思う。

 

ブーメランで傷つくのは、なんでなんだろう。その人と、自分は、違うはずなのに、なんでブーメランを恐れてしまうのだろう。

 

ブーメランを恐れないためには、嫌いな人から離れるしかない。嫌いな人でも悪口を言って近くにい続けると、ブーメランがどんどん大きくなる。悪口を言わなくてよいように、離れる。あるいは、同じ環境には絶対にならないと思えるほどに、自分の立ち位置をその人と変える。

 

悪口を言ったところで、その誰かは痛くもかゆくもないのだろうし、その誰かが変わることもないのだろうし、取り除くことのできる痛みは自分の痛みだけ、変えられるのは自分だけだ。

 

離れることを恐れずに。誰かから距離を置くこと、誰かの人生からいなくなること、誰かの興味からはずれること、そういうのを恐れる必要はない。

 

自分から距離を置くことはできない、自分の人生からいなくなることはできない、自分の興味からはずれることはできない。最後の最後まで付き合わなきゃいけないのは、この自分であり、自分こそが自分を手放さない。

 

そしたら、悪口を言ってうさを晴らしている場合ではない。誰かの悪口を言うことは、気持ちがいいように見えて、ブーメランを恐れながらびくびく人生を過ごすことだ。

 

本当は言いたくない誰かの悪口を言わないために、1000字を書いてみました。おやすみなさい。