悔しくて言葉を吐く

仕事がたんまりあって、こんなことしてる場合じゃない、って分かってはいるのだけれど、どうにも腹が立つというか、はらわたが煮えくり返るというか、もやもやするというか、ふざけんなーって叫びたいというか、まあ、とにかく黒い感情が私のなかで渦巻いているので、吐き出させてくださいませ。

 

具体的には書きませんが、とある仕事を頼まれて、それがどーも、「この人ならうまくおだてればタダでやってくれるだろう」みたいに思われてるような気がしたので、「報酬の有無や拘束時間なども踏まえて、具体的に依頼状をください」と伝えたら、ずいぶーん経ってから、「やっぱり今回は見合わせます」という返事が来た。

 

本当のところは知らないよ。報酬が惜しいからとりやめたのか、あるいは別の理由ができたのか、他の誰かの反対があったのか、詳しい経緯は知らない。

 

知らないけれど、説明がない限り、私は自分の解釈をするしかないわけで、それはやっぱり「この人ならうまくおだてればやるに違いない」みたいに思われてたんだろうな、と思うと、もう、それが、悔しくて、悔しくて。

 

これまで、さんざんそういう目にあってきて、もういい加減、そういう世界からは離れたい、自分をそんな人間に貶めたくない、と思っていたのに、また、そういう依頼が来た、というのも悔しいし、さらに、報酬をもぎ取ることもできなかった、自分も悔しい。

 

そうだ、私はそこが悔しいんだ。自分の価値を認めてもらえなかった、自分の時間を使うことにお金を出してもらえなかった、というところが、悔しいんだ。

 

私の歩んできた道のりや、してきた仕事に、敬意を払うつもりがあるなら、それを金額で示してほしい。言葉だけの敬意では、私は生活していけないのだから。

 

自分が会社員で、余裕があったときは、頼まれたり、おだてられたりして、さんざんボランティア仕事をしてきたけれど、もう、本当にそういうのはイヤなの。私の人生を、みんな、なんだと思ってるの。勝手に、無料で、時間を削ろうとしないでほしい。私のキャリアや性格や、文章力やコミュニケーション能力に、きちんとした金額で報酬を支払ってほしい。

 

今の私にとってボランティアというのは、本当の意味で、自由意思で、今、書いているこのブログのように自分の中から発する言動のことだ。そうじゃないことをさせるなら、お金をください。言葉は要らない。

 

言葉なんて、いくらでも偽造できてしまうのだから。言葉を偽造できるってことは、誰に頼まれたわけでもなくせっせとブログを書いている私が、いちばんよく知ってる。