決められないことは悪いことか
いろいろ、決断が揺らぐ、今日この頃…。
離婚にしても、会社の経営にしても、私自身は「決められない」とか「まだ決めていない」という状態がふがいなくて情けなくて、とにかく決めなきゃいけない、進むにしろ退くにしろ、肝心なのは決めること、と思ってここまできたのだけれど、もしかして、そういう価値観で動いていない人、というのも、いるのかなあ? 迷いつつあることこそ、良いことだ、とか? 悩むことこそ、人生の醍醐味、みたいな?
決めてしまえば、悩みはなくなる。けれども、決めてしまったら覆せない。小さく決めて、小さく覆して、大きな舵取りでいったら何も決めてないようにするするとすり抜けて生きていく、みたいなやり方も、あるのかもしれないなあ、と思うようになった。
決めていない、決められない、とは言え、毎日どのように過ごすか、どのように過ごしているか、というのは判断と決断の連続なわけで。
決めていないように見えながらも、それは判断を先送りにした、という決断でもあるわけで。
あー。
そうやって考えると、何が決断で、何が悩みなのかも、よくわからなくなってくるなあ。
自分なんて、もういいや、って思うと、ステキな人が現れて、その人が応援してくれたり、やっぱりがんばろう、って思うと、身近な人が、それは無理なんじゃない、って言ってきたり。
そういうことに、ひとつひとつ揺れて揺らいでゆらゆらしてしまうのだけれど、それはそれで、悪いことだと決めつけなくても、よいのかも、しれないなあ…。
いずれ、決めなければいけないときは来るのだし。いつか、振り返ったときに、ああ、今考えてみれば、あのときがターニングポイントだったなあ、と思える時が来るのかもしれない。
ずばっと、すぱっと、決めてしまえることがかっこよくて、そうありたい、と思っていたけれども、単にそんなイメージにあこがれる必要も、ない、のかもしれない…。
と、私にしては珍しく、ずいぶんとぐじぐじ考えている。
でも、悩むのって、悪いことではないのかもな。何かひとつを絶対に大切にしたい、って、それはそれで単純で分かりやすいけれど、大切なものは一つだけじゃなくていい。何かを切り捨てられないからといって、もう一つのものが大事じゃないわけじゃない。
少しずつ、二つ以上のものを、バランスを取りながら大切にしていくのも、それはそれで、悪くないのかも、しれないよ。
人間関係の話じゃありませんよ。二股かけてるとかじゃないです。そもそも一股さえかけられてなーい。
おやすみなさい。