やっぱりどうしても寒いのはイヤ

東京、寒くなってきました。12月だから、寒くて当たり前なんだけど、去年の冬に、もう本当に寒いのだけはイヤだ、と思っていたことを、じわじわと思い出してきた。

 

寒いのを我慢せずに、いくらでも着込んで、いくらでも暖房器具を使って、いくらでも室内に引きこもれば、それでいいのかもしれない。それで何も悪くないのかもしれない。運動不足にならないように、家の中で踏み台昇降するとか、バランスボールで弾むとか、ラジオ体操するとか、ちゃんと運動さえしていれば、なるべく、なるべく外に出ないで、温かい家の中で過ごせば、それでいいのかもしれない。

 

なんとなく、寒さに負けずに外へ出かけたり、寒い冬でも活動的に出かけたりするのが良いことだと思われているのはなぜだろう。なんとなく、のイメージにとらわれて、誰が得するわけでもない行動をとらなければいけないのは、もしかしたら馬鹿らしいのかもしれないよ。

 

着込んで着込んで、コートや手袋や帽子までして出かけたところで、出先でそれらのアイテムが邪魔になるし、おしゃれと防寒を両立させようと思ったらますます悩みが増えるし、もう、おしゃれなんて要らない、活動的なイメージなんて要らない、とわりきって、家の中で過ごしてしまえばそれでいいのかもしれないよ。

 

今年の冬は、マフラーを編んで過ごそうかなあ。それとも絵を描いて過ごそうかなあ。映画は夏の間もだいぶ見たから、特に冬に見なくてもいいかなあ。ピアノかギターを練習しようかなあ。

 

たとえば北欧の人々は、冬をどんな風に過ごしているのだろう。家に暖炉があったらいいのにな。家の中で、燃える火を見て過ごすことができたらいいのにな。

 

一日に1回は空気を入れ替えて、家の中の空気がよどんでしまわないようにだけ気をつけて、食料はちゃんと健康的な食べ物を買い込んで、外で寒い思いをしなくても、心身ともに健康に、冬を過ごせたらそれがいいなあ、と思う。

 

ただ、それでもきっと私は、誰かとの交流を求めてしまうだろうな、という気はする。だから、SNSからは逃れられないし、毎日、会社へは行くと思う。

 

それで、十分かな。自分の人生が、どこへ向かっているのか、実は今は、あまりよくわかっていない。やりたいことは、できている。できているからこそ、向かうべき場所がよく分からない。だから、とにかく、冬は凹まないこと、落ちてしまわないことだけを目指して、もう、寒くてイヤになることだけを避けて、過ごしていこうと思う。