プレッシャーを感じつつ書く

どうも。うさぎです。

 

まー、なんだかんだ言って、世間ってやつは良妻賢母が好きだからねー、と、以前、妻であり母である友人とぼやき合っていたのを、よく覚えています。その頃は友人も私も、良き妻、良き母といった女性像から、はみ出したくて、逃れたくて、世間様に対するちょっとした反抗期みたいな感じだったのですが、まあ、思春期の反抗期と同じようにかわいいもんで、仲間内できゃんきゃん吠えてはみるものの、息子や娘を捨てることもなければ家事をほっぽりだすわけでもなく、蒸発や駆け落ちをするわけでもなく、坊主頭や金髪にしてみたりさえすることもなく、友人も私も、結局はまだ民法的に「妻」であり「母」であるまま、年を取りつつあります。

 

私はその後、別居に至ったけれど、友人のところはどうなってるんだろうな。SNSで繋がってはいるけれど、わざわざ会って、ネットに書き込めないような実情まで聞くようなタイミングも必要性もなく、なんとなく、どうしてるかなー、と思ってるだけ、の状態。

 

まー、なんだかんだ言って、世間ってやつは良妻賢母が好きなんですよ。こんなわがままで自堕落で、夫に子どもを押しつけて家を飛び出した(という風に解釈しようと思えばできないことはない)私ですが、やっぱり子供を愛しているというところで、読者の皆さんは安心されるのではないかな、と。

 

これが、骨の髄まで身勝手で、子供のことなんて心底うるさいとしか思ってない、みたいな女だったら、きっとあんまりこのブログも読んでいただけないのだろうな、という気がします。

 

あ、別に、読んでいただくためにいい母親だってことをアピールしてるつもりはないですよ。そうではなくて、事象の順番が逆で、私が私で素直に自分のことを書いて、そんな自分のことを好きだと思っていられる文章について、読者の方からスターをいただける、というのが、とても嬉しいわけです。

 

私は私で、やっぱり良妻賢母が好きなんでしょうね。いや、良妻はもう、要らないな。死んでも今の夫の良妻になんて二度となるものか。がはは。

 

賢母、賢い母。子供たちから「俺の/私の母さんは賢い」と思ってもらえてたとしたら、嬉しいな。だってそれは、私自身が、子供たちから賢い母親だと思ってもらえるように努力しているつもりだから。

 

まずは自分がなりたい姿になれていること。それを、適切な表し方でまわりの人に伝えることによって、周囲にもそれでいいと思ってもらえること。

 

なんだか今日はひじょーに自画自賛な投稿になってしまいました。スターをたくさんいただいた後は、なにげにプレッシャーなのです(笑)。