伝わらないかもしれないのだけど

まー、毎日毎日、せっせせっせと文章を書いてはいろいろなところに送ったりネット上にアップしたりばかりしていて、なかなかここに自由気ままにだらだら垂れ流して書く、ということができずにおります。

 

しかし、書くのは好きだ。書けなくて困る、ということはあまりない。まあもちろんそれは、書けることしか書いてない、ということなんだけれども。

 

ただ、これを書きたい、と思ったことは、ある程度書けている。これを書きたいけれどもどう書いたらいいか分からない、ということはあまりない。

 

しかし、書きたいことを書いたところで、伝えたかったことを読み手に分かってもらえるかどうか、というのはまた別の問題。

 

個人的に(仕事ではなくて)たまーにTwitterもやっているのだけれど、個人事業主というか自営業というか自己ブランドで仕事してる友達が、つぶやくごとにいちいち絡んできて、要らんなー、と思ってしまう。あんたに向けたつぶやきじゃない、みたいな。あと、絡んでほしくて絡んでくるんじゃないよ、みたいな。

 

たぶん、先方はよかれと思っているのだろうけど。あー。これ、この前の会社からとある物品が送られてきた事件と同じだなあ。

 

なんかさ、こっちは恥をしのんで、怒られることも覚悟して、それでも誰かのために、みたいな感じでやったことを、「売名行為」みたいに思われるのって、悲しいよねえ。思われるのは悲しいのだけど、ときどき私はそういう風に思ってしまう。そういう風に思ってしまうと、その相手のことをあまり好きになれない。

 

だから、あまり、見えないものは信頼していないのです。どういうつもりでやった、とか、なんでそんなことをした、とか、後からいくらでも解釈を変えることはできるし、人によって受け取り方というのは全然ちがうのだし。

 

一緒の職場で働いている人たちがとある男性にものすごく腹を立てていて「あの人、本当にキライ」と言っているけれど、私はそこまで思わない。だって、人にはできることとできないことがあるのだから。悪口を言っている同僚たちにだって、私にだって、できることとできないことがあって、とある場面では、とある人たちに、ものすごく腹の立つ思いをさせているかもしれないから。

 

それでも、誤解されるかもしれないけど、傷つくかもしれないけど、思いは言葉にしないと伝わらないのですよねー。好きだとか、応援してるだとか、一緒にいたいだとか、元気になってほしいだとか、悲しまないでほしいだとか。

 

「お前に言われたくねえよ」って思われてしまう、その可能性はあるとしても、それでも、言わなかったら、絶対に、伝わらないのですよねー。

 

おやすみなさい。

 

私が今めっちゃ眠い、ってことも、書かなきゃ伝わらなかったでしょ。