いろんな角度から見てるって本当は何も見てないのかも

前職で私はわりと大きな会社に勤めていて、もう辞めて何年も経つのに、そこからとある物品が送られてきて、久しぶりに腹を立てている。

 

先方はよかれと思って送ってきているのだけど、全然要らないものだし、梱包材などのゴミが増えるし、捨てるに捨てられないし、非常に腹を立てている。

 

どういう意味合いで何が送られてきたのか、具体的に書かないと何がなんだかさっぱり分からないと思うのだけれど、とにかく先方がよかれと思って送ってきた、ということが分かっているだけに、私は腹を立ててはいけない、と思ってしまう。なので、絶対に具体的なことはここには書かない。

 

ほんっとうに腹が立って腹が立って、100%相手が憎い!と思ってしまえるなら腹立たしさをぶつけてすべて洗いざらい書いてしまえばよいものを、なんで私は常に、先方の気持ちも一緒におもんぱかってしまうのか。いいことなのか、悪いことなのか。

 

しかも、そのおもんぱかっていることが、必ずしもプラスに働くとは限らなくて、お世辞にも「けっこうなものをお送りいただき、ありがとうございました」などと言おうものなら、また同じ被害が繰り返される可能性だってあるわけだ。まあ、たぶんそれはないけれど。

 

最後の最後に大切なのは自分の感情だけれど、不必要にだれかを傷つける必要もない。もしかして、誰かを傷つけてしまうかもしれないのであれば、私はその行動を差し控えてしまう。

 

もっと鈍感だったらラクだろうな…と思う一方で、私がまったく気づかないところで、たくさんの人を怒らせたり、悲しませたり、傷つけたり、しているのだろうな、ということも思う。決してそんなつもりでしているわけではないとしても。

 

それにしても、腹が立つ。こういう、行き場のない感情を、家族に話したい、と思うのだけど、一人暮らしはそこが不便だ。家族でなくてもよい。彼氏がいてくれたらいい。私の言うことを、共感して聞いてくれる彼氏がいたらいいな、と思う。

 

この先わたしにそんな相手ができるのかどうか、それはまったく分からない。未来のことは分からない。

 

分かるのは、現在のことと過去のこと。現在、私は前の職場から送られてきた物品に腹を立てていて、腹が立つほど要らないものを送ってくるような会社のことをつまんねー会社、と思っていて、そんな会社を辞めた私は正解、と思っている。

 

その一方で、私は常に自分の過去を正解、と思う性格なので、つまらない会社だから辞めたのではなく、辞めた会社だからつまらないことをしているように見える、というのが真実だと思います。

 

そんな風にいろんな角度から見てばっかりいても、しょうがないのにね。

 

おやすみなさい。