私の感情は私だけのもの

なぜかこのところ、人と会って外で食事する機会が多い。財布はさみしくなるし、ダイエットもなしくずしだが、それなりに楽しい。食べてむなしくなるようなこともなく、好きな人と楽しくごはんを食べて、お酒を飲まないから酔っぱらって苦しいわけでもなく、気分よく家に帰ってくる。なんて幸せな。

 

今はこうして、幸せを感じられる心の状態になっているから、よかった、と思う。自分の身体機能が、きちんと幸せをキャッチできる状態になってよかった、と思う。

 

100%幸せな人生も、100%不幸な人生もないのだから、その割合の中の、幸せな部分を自分が見つけて、受け止めて、味わえるという状態が、私にとっては人生のなかでよい状態だ。

 

少し前までは、映画を見て、映画が2時間で終わるのがうらやましかった。自分の人生が続くのが、しんどかった。

 

でも今は、映画は映画として見終えることができるし、面白い映画を見た後で、さあ次は何をみようか、と思えるし、終わってしまう映画のことをうらやむような心理状態にはならない。

 

私の人生は続く。まだしばらくは続く。

 

私が見ている自分の人生は続く。誰かから見られる人生は続くけれど、私以上に、私の人生を見ている人はいない。

 

楽しい食事の後で、こんなブログを書いていることを知っているのは私だけだ。楽しい食事の前日に、夫から離婚の話でメールが来たのを知っているのも私だけだ。離婚の条件を提示されて、自分にどんな感情が沸いたのかを正確に知っているのも私だけだ。この感情は、他の誰も、引き受けてはくれない。

 

それでいい、と思う。私は、自分の感情を自分で受け止められるから、それでいい、と思う。ほかのだれかと共有しなくても。私も、だれかの思いを共有したいとは、もう、思わない。それはすべて幻想だと、知ってしまった今となっては。

 

あなたはあなた。私は私。あなたがどんなにつらい思いをしていたとしても、私がどんなにあなたのことを愛していたとしても、あなたのつらい思いを私が引き受けることはできないし、つらい思いを加減してあげることもできない。

 

私の思いをあなたに分かってほしいとも思わない。分かるよ、と言ってほしい瞬間はあるかもしれないけれど、それは、そのときの関係性がそう言わせるのであって、分かってほしいわけではない。

 

私の感情は、私にとっていちばん大事なものだから、ほかの誰にも、侵入してほしくない。他のだれかに、勝手に解釈されたくない。私の感情は、私だけのものだから。