一部の人には有効

毎日これだけはやろう、と年始に決意して続けていた語学の勉強が、この3週間ほどでできなくなってしまい、なんとか挽回するために早起きしてみたのですが、ブログをうろうろしてしまった。これをやめたい。やめたいのだが、ついついやってしまう。

 

やめたいけれどついついやってしまうことは他にもあって、FacebookTwitter、あと友達とのLINE。つまりSNSですね。私はSNS中毒なのです。

 

基本、さみしがりなので。さみしがりだけど、自分ファーストなので、自分をちやほやしてくれるところへ行きたくて、あっちへふらふら、こっちへふらふら。

 

誰も私をほめてくれない、孤独な勉強の世界にいるのは耐えられないのです。本当は、それをやるべきなんですけどねー。

 

本当はそれをやるべき、と書いて、それは本当か?と自分ツッコミ。やるべき、って誰が決めたんだ? 誰のためにやるんだ? やると誰が得するんだ? やると誰が助かるんだ?

 

私は私で、自分を満たしてあげることが最大のミッションだと思うのだけど、がんばってがんばって勉強するのは、何のため? 誰のため?

 

と書いていて、また気持ちが上がってきました。誰のために勉強するのか。それは、過去の自分を裏切らないためです。1年間、勉強しよう、この先の1年間、あなたに勉強することを期待する、と決めた過去の自分を裏切らないためです。

 

自分で自分を裏切り続けると、どんどん自信がなくなっていくのです。だから、未来の自分を信じてくれた過去の自分を裏切らないために、今の自分の行動を決める。

 

私は、こういう風に、自分で自分を鼓舞できる言葉を持っていると思っていて、そこはわりと信じている。言葉にすることで、自分のことをまた好きになれるし、そういう言葉の使い方をするのが自分だって知っている。

 

たぶん、たぶん、ですが、私はこれを他の人に対してもやるのだと思います。だから、一部の人は「うさぎさんと話すと元気になれる」と言ってくれるし、「久しぶりにうさぎさんと話したい」って言ってくれる人もいるのだと思う。

 

全員がそうだとは思いません。私の言葉をネガティブにとらえる人もいれば、正直私がポジティブな言葉をかけられない人もいる。

 

みんながみんな、誰とでもうまくいくわけではない。けれど、なんだか理由は分からないけれど、やたらとこの人の言葉が心地よい、という人もいるのです。人間って本当にバリエーション豊かだなー、と思います。