いいかげんな大人になりました
好きな人ができたくらいで幸せになれる年齢ではなくなってしまいましたが、生きていくための張り合いができたというのはありがたいことです。
私、とても仕事が好きだったので、子供が生まれて産休に入ったとき、会社に行きたい、とぼろぼろ泣いていました。そのころ、生活の張り合いといえば、近所のスーパーのポイントをためることくらいで、つらかった。ほんと、あのころはつらかった。
自由がないことはつらいけど、自由がありすぎるのもしんどい。何もかもを自分で選べる状態というのは、つねに迷ってばかりです。つねに判断を強いられるのも、それはそれでつらい。
好きな人はいるけれど、何もアクションは起こさない、と決めているのでラクです。どうにかしてその人とデートしたい、とか、あわよくば付き合いたい、とか、まかりまちがって結婚したい、とか、そんなことを考えた日には大変。あーでもない、こーでもない、と延々脳内会議をしなければいけないのだと思いますが、まあ、幸いにして、そんな年齢は過ぎてしまいました。年齢だけじゃなくて、立場も。
夫と別居してまだ2年です。この時点で、新しい恋人ができるのは、いざ離婚で裁判となったら不利になるそうです。正しいことがこの世のすべてだとは思いませんが、自ら進んで世間的に正しいと言ってもらえないことをするほど損得勘定のできない人間でもありません。私は何も悪くない、と言えるだけの理論武装はしておきたい。
淡々と、粛々と、毎日をこなす。大人としての責任を果たす。個人としての自由を楽しむ。親としての立場を全うする。
なんだか、精神的には非常に安定している気がしますね。
少し前のブログを読むと、あー、私はやさぐれていたなあ、とか、あー、このころはふてくされていたなあ、とか、思います。そのころ、そのつもりがなかったとしても、今から見て、過去はつらかった、そして今はそのときより幸せ、と思えるなら、今が幸せだということなので、それでOK。人間、今、この瞬間の幸せしか味わうことはできないのですから。
今日は、健康診断です。さっき、うっかりして紅茶を入れて、砂糖まで投入してしまった。いかん、いかん。あー、もしかして尿検査があるのか。とりわすれた。おしっこしちゃった。
子供のころ、こういうのは絶対に忘れない優等生だったのですが、なぜか大人になって、ものすごくいいかげんになってしまいました。困ったものだ。
その日、その日を生きていきて、先のことが全然考えられない。もうちょっと、ちゃんとしなきゃなー。