一人になれない

なんでブログ投稿のタイミングがずれたか、わかりました。友人が恋をしているのです。で、私を含むグループLINEでいろいろな話をするので、それに付き合っていると、あっという間に時間が過ぎるのです。

 

結局、自分ひとりに向き合って、自分ひとりでキーボードで文字を紡ぎだしているか、友人と一緒にスマホのフック入力で文字を紡ぎだしているか、の違いで、私はせっせせっせとテキスト入力をしているわけです。

 

自分以外の人間を動かすのに、方法は3つあると思っていて、それは、言葉を使うか、お金を使うか、体を使うか。体を使うっていうのは、土下座する、とか、その人のために働く、とか、足しげく通う、とか。

 

言葉、お金、体、この3つのうち、言葉を使うのが私にとってはいちばん痛みがない方法なんですよねー。いちばん豊富に持っているもの。いくらでも出てくるもの。そして今は、出す方法がインフラとして整った世の中に暮らしている。

 

いや、でもインターネットとかスマホとか、インフラが整う前から、私は文字を書くのが好きだったなー。子供のころから、手紙を書くのが大好きだったのです。文通が趣味だった。あれって、ネットのない時代のSNSみたいなものですよね…。

 

私は、ポケベルやガラケーはほとんど使いませんでしたが、あのころは何をして過ごしていたんだろう? 私の趣味って何だったんだろう。と書いて、思い出しました。やっぱり日記を書いてました。手書きの日記。ノートにせっせと毎日書いてました。今でも残っているあの日記。

 

あるから読み返すこともあるけれど、一時期マックで日記を書いていたこともあって、それはマックを使わなくなって、いちおうフロッピーでどこかに保存してあったと思うけど、それをわざわざ読み取って読もうとまでは思いません。フロッピーディスク、なーつーかーしー。

 

インフラって大事ですよねー。アクセスできるかどうか。アクセスの困難を乗り越えてでもなお、その情報を欲しいと思えるかどうか。

 

逆に、その垣根をどんどん低くすると、商売としてはもうかりやすいのでしょうなあ。

 

春から夏の間は、仕事をする気になれる時期なので、働かなければ。働いて、自由になるのだ。お金がないと、子供たちにも気を遣わせるし。会いたい人にも会えないし。

 

あー、そういえば、子供たちのために夜に彼らと会える時間を確保しよう…と、自分の時間の使い方を見直した途端、お誘いのメッセージがいっぱいきて、なんだか今週は食事会が連続。

 

ありがたいのだけど、なかなか一人にはなれませんなー。ありがたいのだけど。