書けばいいというものではない

あ、あの作業の続きをしよう♪ といつもより早起き。

 

分かってます。これ、続かないです。そのうち飽きるし、したくない仕事になるし、そもそも、認めてもらえるかどうかも分からないので、続けられるかどうかも分からない。

 

でも、とりあえず楽しい時間を過ごせていることはなくならない。消えない。だから、しばらくは、浮かれて過ごす。

 

執着を手放すには時間がかかります。あきらめられないものは、あきらめられるまで続ければよい。あきらめられたときが、執着を手放すタイミング。

 

いつか、そのタイミングが来る。来なければ来ないでよい。

 

私は、たぶん今年がそのタイミングなのです。手放しても怖くない、ということが、ようやくわかってきた。自分のしたくないことはできない、ということもよーくわかってきた。

 

このまま、自分の大切なものだけを選択していけばよい。

 

この、ブログを書く時間も、私には大切なものですね~。これだけ書いているにもかかわらず、全然アクセス数も増えていませんが、スターがついているということは、読んでくださっている方がいるということ。

 

私は、言葉は一人に届けばいい、と思っています。一人に届かない言葉が、多くの人に伝わるわけがない。

 

一人の人が、読んで意味のわかる文章は、それだけで価値があると思います。

 

ピンチに陥ったら手紙を書く。自分の気持ちを言葉にする。私はこれまで、人生をこれで乗り切ってきました。

 

この状況から抜け出したい、と思ったときも。

 

どうしても助けてほしい、と思ったときも。

 

心からのお詫びをしたい、と思ったときも。

 

私は悪くないと弁明すべき、と思ったときも。

 

自分の言葉は自分を裏切らない。自分の言葉は自分を助けてくれる。今は、そういう自信があります。

 

その他は、全然ダメですけどね…。交流パーティみたいなものとか、飛び込み営業とか、やってもやっても凹むばかり。

 

言葉って、誰にも使えるものなんですけどね。

 

私、部活動で陸上部がいちばんかっこいいと思っていて。

 

なぜかというと、「走る」ってかなり多くの子供が、小さいころから訓練させられるじゃないですか。だから、「オレってもしかして走るのが得意かも?」って気づく子供は相対的に多いはず。

 

これが、水泳とか、サッカーとか、ピアノとかだと、まず「習い事として継続的に訓練した経験がある」ところでフィルタがかかりますよね。

 

あー、すみません。書くのがめんどくさくなってきた。

 

私の言葉好きレベルなんて、こんなもんです。